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「現状分析と対抗戦略」討論欄

陣痛なしに子供は生まれない

2005/11/30 銀河 60代以上 画家

 暴力革命後の社会はどうなるのか。そんな質問があった が、世界史におけるかつてのほとんどの革命が暴力革命によっ てなされました。
 フランス革命はギロチン抜きに話せません。さてフランス革 命の後華々しく文化と芸術が表れました。ブルジョア文化の花 が開いたのです。勿論その後のナポレオンの侵略がヨーロッパ を席捲し封建制支配が各国で倒されてゆくのですし、パリコミ ューンという時代も経過するのであるが、フランス革命は世界 史を変えたのでした。

「暴力は新しい社会を生み出す、陣痛なのである。」

 エンゲルスがそう書いていたと思います。
 ロシアの1905年「血の日曜日」は何万人もの労働者達が 徒手空拳でツアーリに向かって請願行進をしたのだったが、軍 隊が行く手をさえぎり、発砲して多くの死者を出したのです。
 手元に資料を置かないで書いていますが、レーニンはこのあ とで我々も武装しなければならないと労働者に訴えています。
 私が暴力革命を主張しているのは、国家権力は労働者人民が 許容できないほどに抵抗すれば軍隊と警察で襲い掛かるし、労 働者、人民を銃殺をするのが見えているからです。しかも日本 国家のみではなく日米安保条約にしたがって米軍との戦いも想 定されねばなりません。これは自明のことといってよいのです 。
 改憲阻止の戦いが壮大なものになれば必ずそうなります。6 0年安保闘争も自衛隊が出動命令を待ち構えていたのだが、「 整然たるデモ」をのみ主張する日本共産党によって国家権力は 救われたのです。おかげさまで超長期自民党支配が今日まで続 いているのです。
 さて決して暴力を好むのではないのだが、我々の国家が他国 人民をふたたび殺戮する時、我々の国の人民が戦場に狩りださ れて死なねばならない時、我々がそれに反対して労働者、人民 とともにたたかう時、みんなが無抵抗に自衛軍と警察によって 殺されてもよいという理屈は成り立たないのです。だが歴史は 1905年の「血の日曜日」を、1989年の「天安門」を経 験しなければならないのでしょうか。一体、中国政府が残虐で 日本のブルジョアジーは穏やかなのでしょうか。
 私は革命後の社会を漠然と描くことができてもその革命がど のような条件によってできるかによって表れ方がちがうので、 はっきりわからないといいましょう。但しこれだけはいえます 。社会主義とは労働者階級の独裁の時代の事をさすのです。搾 取の自由を許さず、生産手段の私的所有も許さず、働ける全て の人が勤労の義務を負い、収入は労働に応じて受け取る社会を 指します。それはただちに階級を解体してゆくのであるから共 産主義社会への第一歩なのです。
 だが実際、そうなってみれば米軍がどのように革命政権と日 本人民に襲い掛かり、反革命がどの程度の抵抗をするのかがは っきりと予測できないのです。日本革命は国内問題だけではな く世界史的な壮大さを持つと考えられるので、流血は絶対にあ るし、流血を恐れるならば革命に反対することでしょう。永遠 に日本の労働者階級はレントゲン技師が望むように奴隷になり 、時には戦場に刈り出されて戦場で野垂れ死にするのを選ぶし かないのでしょう。