石原慎太郎都知事や小泉純一郎首相の政治的手法は大衆 迎合主義であり、その政策は新保守主義である。これらの両者 が複合しあって、いまや日本は超(ウルトラ)管理的全体主義 社会に突入した。
思えば、さきの郵政選挙とは、ただ郵政民営化を特徴とした ものではなかった。「憲法改悪とその地ならし態勢準備」選挙 であったのだ。
自民党から民主主義派、護憲派を一掃するとともに、トップ
ダウン独裁を批判する議員を徹底的につぶしにかかった。恐怖
政治は、郵政民営化を通り越した目論見をもっていた。
いまや政権与党派は、憲法改悪を急激に実現しようとしてい
る。自民党内の異論派は、封じた。つぎは国民世論の制御であ
る。マスコミも出版放送もつぎつぎに抑制する相次ぐ手をうた
れて、逼塞している。インターネットも危うい管理下にある。
これらの情勢を踏まえると、日本における支配階級に対する
抵抗運動は、ただ左翼や無党派民主主義派だけではにないきれ
ない。端的に言おう。自民党から、とくに小泉一党から徹底的
に排除された保守派との大胆な提携が求められている。具体的
に言えば、国民新党の綿貫元衆院議長や亀井静香氏、無所属の
鈴木宗男氏、田中真紀子氏など自民党現執行部から徹底的に排
斥された彼らと共通の基盤はないだろうか。
さらに自民党内の護憲派である加藤紘一氏、河野洋平氏らと
提携は不可能か。
そういった自民党内外にとどまらぬ。民主党の菅直人氏らの
護憲派や社民党、共産党内の統一戦線志向派はどうか。
これらが大いに意見交換を闊達におこない、課題ごとの共闘 を組めないものか。組織的同一は必要ない。いま重要なのは、 わずかな課題でも行動の協同である。共謀罪や国民投票法など の法案に対して、わずかでも意見の交換と連携、部分的共闘を 組めないか。
課題は切迫しているが、展望はある。