日本共産党資料館

私の自己批判

(一九五〇年二月六日)野坂参三

『前衛』47号


 第十八回拡大中央委員会では、徳田書記長の一般報告が、当面における党の基本方針として決議された。また、その討議の中で、コミンフォルム機関紙に「評論家」(オブザーバー)の署名で書かれた「日本の情勢について」と題する評論と、そこで批判された私の「理論」とが、重要な議題とされ、これについての中央委員会の決議もおこなわれた。私は、右の二つの決議に賛成して、その実行をちかった。
 この中央委員会でおこなわれた各地の同志の発言や、当時発表された「北京人民日報」に載せられた社説「日本人民解放の途」から、私は多くのものを学んだ。そして、私の自己批判を思い切っておこなう機会をえた。
 過去四年半の私の論文や演説を全面的に徹底的に検討することが必要ではあるが、それは他日にゆずることにして、とりあえず、中央委員会でおこなった私の発言を骨子として「評論家」の指摘した諸問題に重点をおいて、一応の自己批判を次に発表することにした。これは、全共産党員ならびに私を支持してくれた人々に対する私の義務である。
 この自己批判は、中央委員会終了後ただちに発表する予定であったが、いそいで私の国会演説を準備する必要があったので、予定よりもおくれたのである。

 一、何を書いたか

 コミンフォルム機関紙の「評論家」は、私が一九四六年五月に書いた論文(毎日新聞所載)を主たる問題としている。この論文は、戦後におこった新しい内外の情勢について、次の六つの特徴をあげた。すなわち
(一) 日本の支配階級の武装が解除されたこと。連合国軍が進駐しているが、ポツダム宣言の遵守によって、日本に民主的政府が作られたのち、可及的速かに撤兵するであろうこと。
(二) 植民地のそう失、財閥の解体、等々による資本家勢力の失墜、彼等の政治的支配の不安定。
(三) 日本の民主化の発展、新憲法草案と国会の民主化、国会内外の闘争にもとづく民主的方法による権力獲得の可能性。
(四) 民主的自由の拡大。
(五) 大衆闘争の高揚と大衆組織の拡大。
(六) 国際的規模における社会主義と人民民主主義の拡大と、その日本の革命に対する援助。
 右の条件から、結論として、日本に、平和的、民主的方法によって、民主主義革命が達成される可能がある。しかし、これは、ただ、可能性の問題であって、実際に実現できるか、どうかは、今後の情勢の変化と大衆闘争によって決定される。……以上が論文の骨子である。
 右の結論をつきつめていえば、占領下においても、主として議会を通じて、人民政権の樹立が可能であるということになる。これが、今日の状態から見れば、原則的に誤っていることは、容易にわかる。

 二、当時の客観的事情

 しかし、どうしてそのようなことがいわれたか、当時の特殊的事情を回顧する必要がある。
(一) 終戦直後の連合国軍は、ポツダム宣言にもとづいて、日本の封建主義と軍国主義を打破し、新しい民主主義の発展のためにある努力を払っていた。日本共産党も、同一の方向に全運動を指導すると共に、党はこの時期に急速な発展をとげることができた。
(二) 国際関係においても、米ソの関係はその後におけるようではなくて、なお協調が続いていると思われ、また、対日管理に関するソ同盟の役割が期待された。
(三) 当時の共産党の戦術としては、新しく議会活動を含めての一切の合法的活動を最大限に拡大しなければならぬ。したがって、これを、特に強調する必要があった。
(四) 当時の日本で、武装革命の方式を宣伝することは、害があるだけであり、また、党拡大強化のためにも、これが必要であった。そして、平和的方法とは、武装闘争以外の一切の大衆闘争を意味していた。
 ところが、この論文(ならびに同年二月の「大会宣言」等)の趣旨は、一部の同志によってさらに行きすぎが行われて、当時の条件のもとにおける戦術としてではなくて、大戦後における新しい革命の方式、一種の社会民主主義的革命方式として述べられるにいたった。
 この行き過ぎは、私の論文に根源があるが、明らかに誤りである。そこで、私を含む中央委員会の多数は、このような偏向を論ばくした。したがって、一九四七年一月に開かれた党全国協議会では、前記毎日新聞の論文を、単に討議のための「参考資料」として、代議員に配布するにとどめ、同会議の討論では、誤った「平和革命論」が反ばくされたのである。
 この問題に関連して、その後一九四八年四月の中央委員会で私はつぎのように述べている。「……平和革命ということである。これについて、一部には、レーニン・スターリンも考えなかった新しい革命の型があるという見解がある。これは、社会民主主義的見解で革命にとってはきわめて危険である。平和革命という一つの新型の革命があるのではなく、革命の平和的発展の可能性があるということで、それは一個の戦術にしかすぎないのであって、客観的条件が変化すれば、これもまた変化するのである」
 さて、上述のように、全国協議会が開かれたときすでに私は、内外の情勢が変化しはじめたことを認め、また、私の見解に不正確さと欠陥の含まれていることを知ったので、半年前のような見解を、そのまま繰りかえすことはもちろんしなかった。しかし、当時なお、原則的に誤りがあることには十分に気がついていなかった。

 三、いかなる誤りがあったか

 以上のような事情があったにもかかわらず、私の意見の内容にはどのような誤りがあったか。
(一) たとえ、一九四六年の状況のもとにあっても、われわれのかかげる「ポツダム宣言の厳正実施」のスローガンが、そのまま厳密に実行されるような客観的条件があるかのような錯覚をおこした。また、戦後直ちに、世界が二つの陣営に分裂し始めた事実とその意義、ならびに、戦後の帝国主義に対する正しい分析にもとづいて書かれなかった。
(二) 同盟の援助によって解放された東ヨーロッパの状態と、事情の異なる日本との間には、根本的な相違のあることを正しく見ないで、むしろ、両者が同様であるような理解をもつた。
(三) 権力の問題について、国際独占資本が、国内の全分野を支配しつつあることを明らかにして、ここに一切を集中しなければならぬこと、すなわち、民族独立が戦略的な基本的任務であることを、十分に明確になかった。また、革命は権力の問題であって、権力は階級的であるとともに、武力によって裏付けられていることを強調しないで、これとの闘争が、いつでも平和的手段でおこないうるような見解をもった。
(四) 以上の点から、国会を通じて、政権を握りうる可能性を強調した。しかし、この場合にも、私は、社会民主主義的な議会主義を主張したのではない。一九四六年二月の党大会における宣言の説明のなかで、私は次のように述べている。

 「私は決して、議会主義をいっているのではない。議会におけるこの力は、議会外のわれわれの力の反映にすぎない。議会の議員が主ではなくて、議会外のわれわれの大衆活動および大衆の支持、これが議会に反映する。だから、われわれの活動の基調は、大衆活動、大衆の支持をうける活動である。この力があれば、議会において多くの代表者を出すこともできると思う」

 以上は、社会民主主義者の議会主義ではないが、しかし、「国会を通じて政権に近づく」という考えは、権力や国会に対するマルクス・レーニン主義的な原則からの逸脱であって、本質において社会民主主義への偏向であるといえる。
 もう一つ重要なことは、今日の日本の国会は、東ヨーロッパの人民民主主義国の国会やフランス、イタリアの国会とちがった性格をもち、一種の従属国における国会の性格をもっている。したがって、これに対する共産党の根本的態度も、上記の国々の国会に対する態度とは違わなければならない。この点が、従来から、明確を欠いていた。ここからも、社会民主主義的偏向が生れた。
 この偏向は、国会外の闘争に対する全党の真剣な準備と努力とを弱めた。また、偏向は、共産党議員団の国会活動の実践の上でも若干あらわれた。
(五) 「評論家」は、一九四九年六月の中央委員会総会で、私のおこなった国会報告の一部をとりあげ「占領下において、人民民主主義政府を作ることは、もちろん、可能であると、きっぱり確言した」と書いている。
 これは、次のような事情のもとで発言されたのである。すなわち、吉田内閣を倒した後に民主政権ができるか? 占領軍がとどまる間は、その実現は不可能ではないか? もし可能であるならば、占領軍のとどまる間は、共産党を支持しても意味がないではないか?……という疑問を、大衆はいだいている。
 これに対して、私は次のように答えた。「共産党、労農党、社会党、その他の民主的勢力、さらに、労働組合、農民組織、その他の大衆団体の代表によって作られる〝人民政府〟を作ることができる」と。
 私のいわんとしたことは、共産党が大衆の支持をえ、他の民主勢力と提けいして、広大な大衆闘争を展開する場合には、民主政府をつくることができるとともに、占領軍も撤退せざるをえなくなる。すなわち、民主政権を樹立する闘争が、撤兵を促進し、完全な主権を回復する闘争であることを強調したのである。
 それにもかかわらず、占領下においても人民政権を樹立する可能性があることを認めたことは、私の主観的意図いかんを問わず、占領軍に対する正しい理解をさまたげる結果になっているのである。
(六) 私の重大な誤りの一つは、私に不十分や欠陥や誤りがあった場合に、ただちにこれを公然と大胆に、明確に清算しないで、ズルズルベッタリになっていた点にある。これは党全体にとってもいえる。無論、えん曲な言葉で語らなければならない現状にはあるが、これを口実にして弁護することはできない。その結果、三年前に誤りが大体わかっていたにもかかわらず、つい最近まで、断片的ではあっても、同様な言辞をつかった。これは、私自身を誤らせただけでなく、党内に、正しくない傾向を残した。その責任は私にある。

 四、どこに誤りの根源があるか

 以上に述べたような私の誤りは、どこに思想的根源があるか。
(一) その根源は、目前の戦術のために、マルクス・レーニン主義的原則を軽視、または無視した点にある。
 われわれは、複雑で困難な特殊の事情のもとで活動しなければならないし、また、合法性をまもらなければならぬ。そのためには、日々の闘争においては、いろいろのカケ引きや、えん曲な言葉も用いなければならぬ。ところが、私は、これにあまりに拘泥して、原則を踏みはずす傾向を生んだ。特殊性を強調しすぎて、原則を軽視した。
 この傾向は、大衆に追従することからも生れている。われわれは、常に大衆の先頭に立って、大衆を指導しなければならぬ。ところがおくれた大衆の意識程度や気分に迎合して、原則を忘れる傾向を生んだ。
 以上のことは、結局、日和見主義的偏向である。われわれが、もっと心がけなければならぬことは、公式主義におちいらぬようにしながら、しかも原則を堅持し、それを正しく実践と結びつけることである。
(二) また、私の考えの中には、折衷主義的なものがあった。私の書いたもののどこを見ても、純粋に社会民主主義的なものはない。たとえば「平和革命」の問題にしても「平和的手段による人民政権樹立の可能性」があるというだけで、常に国会を通じて社会主義政権を樹立しうると主張する社会民主主義理論とは異なっている。しかし、戦後の事態が実証するように、日本の今の状態のもとでは、このような可能性はありえない。したがって、私の考えは、共産主義と社会民主主義との折衷的なものとなり、本質的には社会民主主義的偏向である。このような折衷的な性質のために、自他ともに誤りを認識することがおくれたのである。
(三) 次に理論的修養と理論的厳格さが足りなかった。そして、理論の俗流化がおこなわれた。そのために、誤りをいち早く認めて、これを克服することがむずかしかった。
(四) 徹底的な自己批判をおこなうことを妨害したのは、小ブルジョア的「面子」または名誉心である。たとえば「評論家」の論文を最初に読んだ時、野坂「理論」は「帝国主義占領者美化の理論の……」不当な字句を見て、私は激怒した。しかし、静かに考えてみると、私の理論には大なり小なり偏向がある。しかし、その時、ただちに、これを率直に認めることはできなかった。私にはいろいろの言い分があるし、また、私ひとりの責任ではないという弁解もあった。しかも、政治局の「所感」のなかには、私の「不十分と欠陥」が指摘してあるだけで「誤謬」とは書いてない。これに「誤謬」を加えることを私はちゅう躇した。
 しかし、中央委員会の席上では、私は一切を清算することを決意した。そして、私は公然と誤りを認めたのである。

 五、結語

 要するに、私の「理論」は、右翼日和見主義的の傾向をもったということができる。しかし私の偏向は、他の同志によって修正されて、党は、不十分と欠陥はあったが、大体において、基本的には正しい方針をもって進んできた。それにもかかわらず、私の偏向が、日本共産党の今日までの活動の上に、直接または間接に、大なり小なり、悪い影響を与えたことは、否定できないところである。これに対して、私は十分の責任を感ずるものである。
 この責任は、私の今後の積極的な活動のなかで、はたさなければならぬ。すなわち、私の誤りを、理論的に、ならびに実践活動のなかで、もっと徹底的に清算すると共に、正しい方針にもとづいておこなわれる今後の全活動によって、全党員に対する私の責任をはたす決心をしている。
 私の誤りは、決して私だけに限られたものではない。日本のような複雑な事情のあるところでは、とかくおかしやすい誤りである。
 この際、党員諸君は、前進のために、新しい角度から、自己の思想と実践とを厳密に検査する必要はないであろうか。
 大切なことは、その場合「面子」にとらわれずに、誤りを率直に認めて、徹底的に清算することである。そうするには、勇気が必要である。だが、これがボリシェヴィキ的態度であり、唯一の更生の道である。
 しかし、それよりも、もっと大切なことは、誤りをおかさないための努力である。そのためには、理論を軽視する傾向を克服して、マルクス・レーニン主義理論の把握と、実践への、その正しい適用につとめなければならぬ。
 また、この問題を論議する上で、もっとも注意しなければならないことは、理論を実践から切りはなし、または、ある見解がいかなる条件のもとで述べられたかを考慮しないで、理論だけを問題にするという態度である。これは正しくない。私の全活動をふくめて、党の指導と闘争の全体のなかで、私の見解が、どのような役割をはたし、また取りあつかわれたかを見ることが、問題を正しく取りあつかう態度である。そして、われわれは、正しい相互批判と自己批判に立脚しつつ、第十八回中央委員会で採用された一般報告と決議にしたがって、民族解放の大目的を達成する大衆的力量をいかにして、つくりあげるかに全力をそそがなければならぬ。
   *   *
 以上のような、私をあやまらせ、また、党に害をあたえた私の誤謬に対する自己批判は、私自身を教育し、訓練するのみならず、党をも教育し訓練し、苛烈な実践のなかで、本当の指導者を育てあげることに貢献することを、私は心より期待するものである。そして、われわれは、国際的革命運動の一翼である日本共産党に課せられた重大な任務をはたさなければならない。