8月5日、12日付け「対抗戦略」欄に、原仙作氏の「2005年の都議選と日本共産党」の上下巻が掲載されている。この「上」だけで原稿用紙30枚近い力作だ。最近いわゆる未結集なのだが、辞めた積もりもないし、除籍されたという通知もない40年党員として、この文章を読み、短くとも良いから意見を述べて欲しいと、さざ波を読まれている全国の仲間の方々に呼びかけたい。共産党のことはどうでも良いと思っているのではない方々にである。
「上」は以下の内容だ。都議選では浮動票の流入はかなりあったが、11万票ほど基礎票の流出(基礎票の4分の1ほどと、多方面から算出された)があって、議席が後退した、と。党中央の総括は、基礎票の流出には全く触れず、その意味で良いとこ取りの「自画自賛」、非科学的総括と言える、と。そして、基礎票はなぜ大きく流出し始めてきたのか、と。そして「下」のほうは、9月総選挙の党方針全体の根本的な批判である。この下巻に見て取れる原さんの政策理論こそ唯物論的選挙政策論だと僕には思える。この理論に比べれば「インテリゲンチャだけが考えそうな理論」と原さんが言うところの党の政策論は全くの「主知主義」、無力で惨めな物でしかない、とも思える。このままでは、基礎票流出はどんどん増えていくばかりだろう。日本共産党の非実践的、観念論的体質が変わらない限り。
さて僕にとっては、日本共産党とは今や綱領のことでも幹部のことでもなく、まさに他ならぬ党員たちのことなのだと実感している。綱領などこの40年にどれだけ変えられて来て、これからどれだけ変わっていくことだろうか。幹部についても、宮本・不破・志位という主流以外の脇役はどんどん変わってきた。最高幹部は、民主集中制によってどんな過ちを犯しても守られてきたのだ。しかし僕はこの40年で、党員たちの多くはヒューマンで純粋な人々だと確認できたつもりだ。党員たちこそ党の最高の宝ではないだろうか。だから僕はいくら最高幹部が嫌いでも党を辞めることはできない。そういう党の党員の方々にこれを是非読んで欲しい。そして最低以下の点についは、ご意見をいただきたい。都議選総括について、党と原さんとどちらが「科学的」かと。
そしてまた、これを読んで原さんの言い分に興味を持たれた方は、今度は不破哲三氏の理論水準、いやマルクス・レーニン主義理論家としての彼の不誠実さというものを確認するべく、以下の原さんの論文をもご一読願いたい。04年9月の「理論・政策・党史欄」に掲載された「レーニンが無知なのか、不破哲三が無恥なのか」である。
僕は原さんとは一面識もない者だし、彼が誰なのかなども全く知らない。ただ僕が2年ばかり関わったこのさざ波で最も共感の持てる投稿者、理論家で、彼の投稿意見に関する限り僕としては同志のような親近感を覚えてきた、僕にとって原さんとはそういう方である。こういう労作には多数の意見が寄せられるべきだと考えている。