2月4日民主集中生さん、良い討論を有り難うございました。「横あいから」は全く気にしませんし、多少の強いお言葉も、貴方が僕に近いものを感じていらっしゃるからだと受け取りました。このサイトには、教条的な左の左の方々が多いと僕には感じられます。過去の「文献命題」のように世の中が「なっていくはずだ」という客観主義。そんな中での二人のこの右的な「近さ」は元横浜市大生さんも触れられた通りなのでしょう。
さてお返事ですが、僕の以前の関連投稿は前提とさせていただきます。組織論・運動論に04年6月辺りから9月辺りまで頻繁に書いたもの、党員欄04年10月「エッセー、日本共産党の全体像をこんなふうに変えてみたい」などまでのものです。これらを前提にして以下を書きますのでよろしく。
日本共産党の民主集中制は数十年単位よりずっと速く廃止されると思います。これについてだけなら5年とか10年とかのスパンを僕は考え、それを速めたいとここでも振る舞っているわけです。あなたはそれでも「10年!?」と反論されるでしょうが、社会主義世界体制が100年抱え続け、以降も20年近く抱え続けている問題を、もっと早くと言われても不可能なことです。ここには将来に向けての理論的な問題も当然多く含まれているわけで、それを避けて行動を急いだところで、社会党、民社党、新左翼のようにまた失敗するに決まっています。何か状況の急変があれば耐えられはしないでしょう。僕が状況の急変を上げたのはその時に党が良くなるなどということではなく、そういう時に理論というものが試されるのだと言いたかったわけです。
さて、民主集中制廃止の見通しは以下のように考えます。
党は既にどん詰まりに来ています。90年代後半の、なくなった社会党票が一時回ってきて、不破が愚かにも「かってない支持の厚みを感ずる」、党の隆盛が目前にあるなどと「予言」した時から、総ての組織指標が一路後退を示しています。そしてその原因はいろいろ重なってはいても、肝心な党の主体的問題としては民主集中制が最も大きいはずです。離れていった学者たち、批判する第一線の人々の殆ども指摘してきたところですが、これらの後退が民主集中制から来る官僚主義と方針の歪み、下部党員に主体性が育たないことなどの諸現象であることは明らかです。そしてやがては党中央も否応なくそう認めざるを得なくなると僕は考えています。
基礎票が4分の1も逃げ出して、議席も得票率も30年前に戻ってしまいました。それでも「善戦、健闘」と強弁しつつ従来路線を踏襲するしか術がない状況です。若い人が入らないから党員の高齢化が進み、活動力はどんどん落ちています。大部隊である公務員や教員も高齢化とともに小さくなっています。こうして、資金力も急速に落ちています。組織の緩みは指導部が誰よりも知っているでしょうし、「支部本位、主体的支部活動」と言いながらそれが実現せず、自分らの真の悩みの参考にはならないヒラメばかりを中間機関に見ていることでしょう。それどころか数少ない元気なところが中央方針をいかにデフォルメしてやっているかも正視し始めているのではないでしょうか。こうしてもう、党員の自主性育成には全く自信がなくて、ただ「何か情勢の急変、重大な敵失が起こらないか。起こるに違いない」という典型的な政治的客観主義状況に陥った議員政党、現在の中央はこういったものではないでしょうか。敵失はこれからも多くあるのでしょうが、そんなことでの「元気」はほんの一時。やはり「民主集中制では主体性は育たない、育てる方針を中央が作る力も生まれない」と思い知らざるを得ないはずです。
こうして、不破の辞任は別稿でも触れたように解任だと推察しています。「党のこの苦境に対して役に立たなくなった」との実質解任と言うだけではなく、民主集中制の頂点というワンマンに慣れすぎて数々やってきた党規違反の何かを現下の諸困難とどこかで結びつけられた、こんな所だと推察します。志位にとっては宮本も不破もワンマンが過ぎるようになってしまったという事実が、こういう現象すべてとともにまた重いものになっていることでしょう。
さて、不破が睨みを利かせている間は「学習と宣伝、これを赤旗で」という「知のスタイル」に根本的には手が触れられませんでした。彼の数十年の方針からの転換を意味するからです。元気なところをまともに調べてみればこれが第1のエネルギー源でないことははっきりしています。中央が時に口では強調しても、援助もせず、ましてや恒常的な理論化などはまったくしてこなかった「二本足の活動」がエネルギー源です。むしろ中央がそこから学ばなければならなかった。国会議員は減ってもなんとか持ちこたえているほとんどの地方議員さんは二本足で己をささえているはずです。社会福祉、医療など元気な民主的経営陣地の諸分野もあります。「国民の声を聞きながらの、国民を主人公とした要求実現運動の生活自身」、これです。党は、こういう所から常に出て来た「異論」にもっと耳を傾け、生活に根ざした恒常的要求運動を総ての支部に育むための「理論化」を進めねばならなかった。必要な全国的制度的大運動なども、彼らの言葉を聞いて恒常的な構えを地道に、信用第1をモットーに理論化しつつ築き上げねばならなかった。
しかし中央は要求運動重視の声をそのつど退け、赤旗による「知のスタイル」の基本を変えませんでした。中央は「日本全体の、歴史的な視野」で実質は狭く偏ってものを語り、元気の本質は持っている地方・分野の方は、自らの実践を「日本全体の歴史的本質的なもの」と示すことはなかなか難しいということも関わってきます。中央にちょっとそれらしいことを言われると中央はちゃんと総てを知っていて努力もしているのだけれど、何らかの事情でできないのだろうぐらいに、そう考えて結局下がってしまう、あるいは下がらされることも多かったことでしょう。つまり、民主集中制の下では中央も偏り、その偏りを正す視点が中央と対等なものへと育たないということなのです。どんな中央批判に対してもどん詰まりに至るまで、中央は自己弁護をし続けることができる、民主集中制とはそういう働きも持っています。
院外要求運動極めて弱い議員政党という現状は、民主集中制という組織原則を共産党という名前と同様どんどん重荷にしていくはずです。たかが議員にちょっとした要求を実現してもらう程度で、共産党という名前を誰が背負い、誰が中央の強大な権力を認めることでしょうか。
不破が退いて、こういう問題は総て明らかになりやすくなったと思います。現在でもどんどん修正はありますが、さらに修正、実践、論議が繰り返されていくことでしょう。それでも何の成果も上がらないでしょう。一端できた活動スタイルは変わりにくく、「全体」の立場で語る必要はない「伝動ベルト」とされてきた県など中間諸機関が急に下の状況から認識を改める力を増やし、上に認めさせる力を持てるものでもありません。今後も、急速なじり貧の他はないということです。
結局、民主集中制が問題になっていかざるをえないでしょう。また、そうしていかねばなりません。僕は新党は目指さず、こういう実践的立場です。何度も言うように僕は、党員たちの言葉ではなく、立派な党員達の生活現場を信じますから。言葉を換えるのは簡単ですが、無数の人々の日本の宝物のような生活現場は一朝にして作れるものではありません。中央が口だけで言ってきた二本足の活動を日夜目前の住民とともに苦労してせっせとやっている党員と「その周囲の熱烈な支持者」の数だけでも、ほかの左翼の総ての派を足したよりも遙かに多いのではないでしょうか。こういう民主主義的な生活作りは、日本全土に「ハイル ヒットラー」とか「構造改革」とかを「言わせる」よりは遙かに難しいものだと僕は考えています。
なお、中央がなし崩しに変更するのではないかと心配する向きもありますが、民主集中制の変更はなし崩しにはできませんし、その残滓を少しでも残したら変更の効果がありません。つまり、今までと同様の、誰も中央が変わると思えない変更など、どんな意味があるでしょうか。
さて、民主集中制がなくなるときは総てが変わっていくはずです。まず、これによる過去の除名者の問題、いわゆる歴史的和解が議題に上らざるをえません。すると、過去の一切の理論問題が蒸し返されることにもなりましょう。これは結局党や諸運動の原点が語り直される事に他ならないでしょう。これに対して従来の中央が中央然と振る舞っていられるわけはありません。民主集中制がなくなれば復権者たちの横断的話し合い、作戦会議なども当然なされていくでしょう。
2月6日党員欄、松岡様。お返事有り難うございました。
結論ですが、僕は党の後退の第1の原因が不破氏にあるとは一回も言ったことはありません。それは以上の文章を見て頂いても明らかでしょう。04年9月組織論・運動論の僕の論文も読んでください。その上で討論しましょう。