残念ながら、長壁さんが「9.11」の陰謀論者であることがはっきりしましたし、ご自身の発言に責任をもたない人だということも、はっきりしました。今回の長壁さんの投稿は、ご自身の正直な気持ちがよく表れていて、実にわかりやすいものです。
>「ビルに突入したテロリスト7人は現在生きているという説」もあるそうですよと言葉足らずを認めます。前後を読んでください。つまり、私は、こちら側の大本営発表に基づく、米国のフィルターからの情報を疑う見方は必要ではないかといってるのです。
私は最初から一貫してその説が誤りだと言っていますが、あなたはトコトン逃げるんですね。「自分の頭で」判断できないのですか?
そして結局、根拠なくとも“公式発表を疑え”と!
こうして、あなたはご自身が陰謀論者の一員であることを白状されました。もはや疑う余地はありません。
繰り返しますが、飛行機で突入したテロリストは、その被害者とともに遺体でペンタゴンからみつかっています。被害者はDNA鑑定によって特定されています。あなたはこれらの事実をでっちあげと言うのですか?
飛行機が突入したんじゃないと主張する人たちは、例えば、“DUである爆弾かミサイルによる攻撃だった”から“地下からの爆発があった”“消防士にがんが多発した”“粉塵の成分が不明”などというウワサやギワクをふりまくのですが、その前に、数々の物証や目撃証言や遺体があったことに反証を示すべきでしょう。
>「イラクレジスタンスレポート」を私は基本的に信じています。
あなたが何を信じようが自由ですが、それは「9.11」の陰謀説を主張されているのですかね?
>ただ、私が信じるものがどこまで、真実に通じるものなのか、といわれれば、これもまた、澄空さんや銀河さんやさつきさんも同じ立場にあるわけです。あなたがたも、日本のテレビや専門書から情報をもらっているの過ぎない。きくちゆみさんもまた、私は一事例と取り上げただけで、理由は、多少とも著名なら説得的な効果があるかと思っただけに過ぎません。
「過ぎない」「過ぎない」ってね、その発言の意味がわかって言ってます? “どちらが正しいかなんてわかんないじゃない”“きくちさんの名前を出せば、ちょっとはハクがつくかなと思っただけよ”――そういうことでしょ。開き直りにしても、あまりにお粗末すぎるし、軽すぎる、そして何より恥ずかしすぎます。
>それにしても、共産党に依拠する人はもとより、今の変質した土俵にかくもどっぷりと浸らなければモノが言えないのでしょうか。
本名で共産党員だということに「依拠」しているのはどこのどなたでしたか。。。
あとの文面は読む気もしませんが、私はあなたと違う見方をしているとだけ言っておきましょう。ここでは関係ないので触れません。
さて、私は「9.11」が陰謀であるか否かという問題とイラク戦争での報道が正当かどうかという問題は別問題であることも申し上げましたが、どうしてもあなたは「9.11」の陰謀論にこだわりたい。
だいたい時系列をみても、「9.11」によってワシントンが動いたのは、テロの首謀者の根拠地があったアフガニスタンに対する戦争に向けてであってイラク戦争ではありません。ところがあなたは、私が示した一つのことに反論するために多数のいかがわしいウワサやウソ、歪曲を持ち出したうえ、それをイラク戦争がどうだこうだと言って正当化しようとなさる。あまりにも無茶苦茶すぎませんか。
私は陰謀論の重要な主張に反論したつもりなんですが、それにはだんまりを決め込んでいらっしゃる。再反論がないということはお認めになるわけですか? いや、“どちらが正しいかなんてわかんないじゃない”っていうことがその返答なのでしょうね。
繰り返しますが、ワシントンがウソつきだ、信用できないと言うなら、それこそ材料はワンサカあるわけです。それをあえて“「9.11」はアメリカの陰謀だった”いうのを一番の例としてあげることは、どういうことなのか? 米軍ら外国の軍隊はイラクから即時撤退せよと訴えている人々が、そういういかがわしい主張をしているトンデモ系の人たちと同列視されるということです。
あなたの発言が共感を呼ばず、それに言及する人がほとんどいないとすれば、その原因は、あなたの主張のイカガワシサにあるということにほかなりません。
まあ、これだけドギツイ色眼鏡をかけなければ物事をみることのできない人が「今の戦争をその根幹」に誰も言及しないと嘆く姿は、これほど悲しむべきことでなければ“へそで茶をわかす”ようにしか見えません。
あなたがここを拠点にするなら、私はトコトン追及させていただきますよ。
以下は、長壁さんには関係ありませんので飛び火させないように希望します。
まず、さつきさんの適切なフォローのおかげで、私が書いたのも少しは救われたかもしれません。以前、さつきさんと長壁さんとがやりとりしていた際、私も同様の問題意識をもって注視していました。川上さんの言うこともわかりますが、私はそれぞれの別の思想を持った人たちが、それぞれの方法で闘えばよい、相互に厳しい批判もあってもよいと考えます。そして、ここぞという場面(たとえば国政選挙)で共同すればよいのではないでしょうか。
あと、やすしさんへは、すいません、実際のところあまりやすしさんの投稿はほとんどみてません。なかなかみなさんの投稿を追うことができませんが、また機会がありましたらよろしくお願いします。