選挙翌日2010年7月12日の常任幹部会声明「どこにただすべき問題点があるのか、、、、掘り下げた自己検討を」は今までの選挙総括とは違って、参院選での個別的反省を超えての総括の意思表明です。今まで繰り返されてきた「もう一歩の力不足」からもう一歩踏み出してどこまで立ち戻るかが総括のポイントだったと思います。しかしその後の幹部の発言や赤旗記事では「綱領の立場を確信して」「どんな問題でも綱領の立場に立てば解決できる」が基調で、事故原因の調査に当ってはじめから「エンジンには問題なかった」と断定するのと同じです。意見の集約は始まったばかりだったのに早すぎる線引きです。
中央はすでに総括の限界線を現綱領ラインと決め、それを知らせるメッセージを発したということでしょうか。この限界線を超えた議論に党と中央は耐えられないと見ての判断かもしれないけれど、党の閉塞状況を打ち破るチャンスをまたも失うことにもなる。党内に乏しいながらもなお残る理論的活力に活動の場を与えれば限界線を超える思い切った議論もまだ可能と思うのですが。
生煮えで自信もないのですが私の考える「問題点をただす粗筋」はこうです。
1.党内の民主主義化を徹底する。
現社会でのそれを超えた究極の民主主義を党内で実現する。民主主義の一つの実験的モデル、これで自体で一つの歴史的評価、支持を受けられる水準の内容で作り上げる。
2.究極の民主組織の中で新しい合理的な社会システムを探求する。
社会主義への盲目の恋は終わった。より合理的な社会の選択の一つとして過去の社会主義実験の経験は正負含めて吸収されると考えて。大きな知的力量での長期にわたる探求を要する仕事で一党での力に余るだろう。
3.つまり社会主義の前に民主主義を。党内民主主義がなければまともな社会主義像の再建は不可能と思うからです。これは綱領が日本社会の改革の道筋として示している認識と同じでこれの党内版とも言える。
以下補足します。
○1990年の社会主義国崩壊後、社会主義は来るべき社会としての夢も信頼を失った。
崩壊以後、白日のもとに晒されたのは社会主義国の政治経済を含む社会全体の惨状で、日本国民のみならずそれまで社会主義に親和的であった世界の進歩勢力、平和勢力の中にも社会主義への異議、懐疑、嫌悪が浸透し「反共」となって現在に到っている。サヨクの劇的な退潮は全世界に及ぶグローバルな現象である。
これは支配勢力によって作られ注入された伝統的な反共主義思想とは異なって、スターリン、ポルポト、東欧での自由抑圧の全体主義体制を見ての「事実に基づく反共」である。このことを党は見誤っている。現代の「反共」は撲滅や撃破でなくわれわれ自身の立ち戻るべき「平等と自由」を問う深い課題を含んでいる。社会主義がより合理的な社会システムとして選択されるべきか否か、社会主義が人民大衆の幸せに役立つのかどうか、これは我が党の存立基盤そのものが問われている党自身にとっての最大問題である。
我が党は社会主義が善玉から悪玉に転じる画期をなしたこの社会主義崩壊について「社会主義とは無縁」として一貫して軽視し、創立88周年志位講演での革新的未来を語る場面でも社会主義崩壊の事実に関しての言及は全くなかった。これは歴史観としても特異で日本国民のみならずグローバルにも共有されている「社会主義への懐疑」に無理解である。
我が党は1977年からはソ連などに対してこれを擁護する立場から「社会主義生成期論」を、崩壊後は攻守を反転させて「崩壊したのは社会主義とは無縁の体制」を主張し今に到っている。この一貫した逃げの姿勢が「社会主義への懐疑」への無理解を生んできた。
社会主義の理念の中にはまだ再生に値する内容があると認めている人々(小生もそのひとり)はいったん死滅した社会主義に再び命を吹き込む努力を共同でおこなわなければならない。それは「綱領に立ち戻る」では済まされないだろう。社会主義の真価の再発掘への長く続く格闘が求められている。
社会主義への盲目の恋は終わった。より合理的な社会の選択の一つとして過去の社会主 義実験の経験は正負含めて吸収されるべきだろう。過去の社会主義は死んだけれど役割を果たし終えたとも言える。
○今の党は日本経済への具体的政策でも当を得たものを出せる力はない。単純化して言えば景気を良くする実効ある政策を党が提起できるとは思えない。
前投稿「否定形での発想を改めたい」で書きましたが、党は資本主義の否定に熱中する余り、肝心の現代資本主義党の性格や振る舞いについての知見に乏しく、出てくる政策は党内でしか通用しない研究不足の水準でマスコミや経済専門家からは殆ど相手にされない。弱者に目を向けてはいるが国の経済を任せられるものではない。抵抗勢力、異議申し立てする護民官、としての意味はあるけれどそれ以上の信頼は得られず、永く続く数%の支持はこれを示している。経済政策での党の関心はパイの分配に集中していて肝心のパイそのものの確保に関する分析と展望がない。これは昨年来の民主党主導の新路線でも不整合の際立った問題で、国民の認識も進んでいて現実経済にかみ合った議論でないと相手にされず力とならない。
○率直に言って理論と政策の両面で内容ある提起は期待できない状態が続くだろう。つまり選挙での支持が上向く見通しはない。だから選挙活動で、特に中間指導機関が全力を使い果たしている活動スタイルは人材とエネルギーの浪費に近い。
○ではできることは何か。私は党を徹底的な民主的組織として作り直してみてはどうかと思う。社会的に見て党の実力も存在も弱く、民主集中の集中側面が重視される状況ではないのだから市民社会では実現したことがないような徹底的な、究極的な民主主義モデルとして党組織を作り上げるチャンスでもある。
例えば、今回早速見直しの対象となっている消費税問題でも機関内には方針に対する異論や疑問はあったと思われる。全員が絶対反対で一致していたとは思えない。だから直ちに見直しが始まっているのだろう。問題は異論が表面化せず完全に一本化された結果だけしか表面にでてこない、いわば究極の小選挙区制のような仕組みである。決定に関して言えば、決定は一本化するとしても、決定の段階でも一人ひとりの胸の内には3:7や4:6と言った絶対賛成でも絶対反対でもない判断が存在していることが多い。このような各人のどっちつかずの判断を正確に集約するシステムが党内にあってもいいだろう。一本に決定を絞れない、絞る必要のない場合への処置方法もあるかもしれない。
これは一例ですが、政党としてこのような究極的な民主組織を作り上げることそれ自体が現代日本にとってプラスの意味があるのではないか。またその中で始めて社会主義理論も現代資本主義に通用する政策も練り上げることが可能になるのではないだろうか。
世間並み以上の民主的運営の具体的姿については皆さんとの議論を通して練り上げてゆきたいと思っています。
○本来なら党は政策や理論で評価されるのだから政策や理論より党内民主化を優先するのは異常なことです。目標を持たずに運営を云々するのはおかしいよ、とも思います。政策や理論が魅力的で優れていれば人材も集まり党の力量も確保されるでしょうが、今や政策や理論を生み出す力量があまりに衰退しているので出口が見えない状態です。またこのままの閉鎖的組織運営では党内からは優れた理論は生まれる見込みはありません。結局は党運営の民主化が党にとっての最重要課題であると思う所以です。少し変ですが、、、、。