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党員用討論欄

赤いたぬきさんへ(党にはもっと自由な意見の交流が必要)

2012/1/8 植田与志雄 60代 エンジニア

 赤いたぬきさん、返信ありがとうございます。
 文中、「DCに拘泥するのは共産主義運動の効率性と能率の観点からだった、、、組織の温存と権力奪取を至上命題として」とあります。党員の多くのこの善意、真面目さ、がDCを下から支え、党の活力を奪う結果になっています。私も昔はこうだったので実感できます。
 ご返事に代えて私がDCがらみで最近考えていることをいくつか述べさせていただきます。

 党の進化を停め衰退をもたらした本源的で実質的な元凶は「意見の交流がない」ことにあると思い至っています。規約が民主的か否かに関して規約の各項について議論すれば「統一or自由」のどちらを重視するかで党員の一致をみることは困難です。しかし意見の交流にかんしてはこれを禁ずる項はありませんし反対する理屈もなく、反対する人間もいないのではないでしょうか。意見の交流は最も本源的であり、同時に反対も最小に抑えられて小さくとも確実な前進が末端組織から得られるのではと思います。意見の交流があれば非合理的な運営や規律は存在できず、自然にしかるべき内容に修正されるでしょう。民主的組織でなければ党は支持されないのではという「どう見られるか」を保留して、徹底してエゴイスティックに「党のためになるのか」という効用面からDCを考えて見た。

①党の衰退、自力不足の根源はヨコ抜きの極端なタテ社会。
 党内に自由な意見の交流がないことが党(党員、幹部)の自力を奪っている。党は片側通行の極端なタテ社会で党員は異論に接する機会がなく刺激しあう隣人がいない。考える力を持った個が育たず、自力が失われる。ヨコでの意見の交流があればここまでの凋落はなかったのではないか。
②自由な意見の交流が進化の原動力。
 類似意見がまとまって探求と検討が深まり、対立意見との類似と相違が整理され明確になる、複数意見間で相互浸透、競争、淘汰が生じる、この過程で少数意見も成長し、多数意見の誤りも発見修正される(中坊公平)。競争は評価を生み、評価は選択を生む。競争のないところにはまっとうな評価も選択も存在しない。複数の意見は交流によって消化されつつ変容、進化する。
③意見交流の禁圧は真っ先に党中央の自力を喪失させる。
 今の党には複雑化した現代資本主義に有効な処方箋を提起する力が失われている。意見交流の禁圧は党の土壌をやせ細らせ育つべき幹部を枯れさせる。ここ数十年にわたって党幹部による論文も、論考も出ていない、自力不足は党中央において最も進行している。
④党内には発言の自由はあるけれど交流の自由はない。
 私は所属支部以外の同志の意見を直接に知ることが出来ません。同じことですが私の意見を所属支部の外の同志に知らせることができません。どこでどのような意見があるのか知ることができません。意見の交流は自分の所属する支部内に限られていて、少数意見は組織の外には出て行けません。党内は超微細化された小選挙区制と同じである。少数意見は進歩の芽、多くの目にさらして検討の機会を持つべき。宮本氏も50年問題では「結局は少数意見が勝利した、粘り強く議論して党を割らなかったのが教訓だった」と語っている。
⑤自由な意見の交流は何かのための手段ではなくそれ自体が守られるべき人権。
 意見の交流とは自分の意見を他者が知ることができること、他者の意見を自分が知ることができることで、これは「党員主権」の土台というより人権そのものでもあり、いかなる社会や組織にあってももっとも大切に扱われるべき。民主的制度は目的に応じた調整機構、手段として様々なバリエーションがあり得るけれど、自由な意見の交流は効用や手段の向こう側にあって手段によって守られ獲得される対象である。党内の様々な選挙制度や運営方法はこの土台の上に作られるべき。この土台を持たない組織は存在する(ヤクザなど)し、ある意味で存在の自由はあるけれど、そのような組織は反社会的存在であると言える。
⑥自由な意見の交流は常に最上位の優先度で保障されるべき。
 党は方針や行動の統一のために党員の自由を制限することはありうる。
 しかし統一した行動が実行されている時でも意見の交流の自由は守られるべきだろう。パニック、行動の乱れ、などを理由に規制してはならない上位の規範である。
⑦個にとって自由な意見の交流は本源的で正当な欲求。
 メンバー相互の自由な意見交流を欠いた組織には魅力がない。党に加わるのも何らかの交流を求めてである。これを外して崇高な使命感にだけ頼るのは深い歪みを生むと思う。修験者ではない我々にとって献身的で利他的な行為を支える重要な要素のひとつに個の自由な交流、そこから得られる喜び、があるのではないだろうか。
⑧党の各機関は意見交流のパイプ役を果たすべき。
 本来は意見交流のパイプ役を果たすべき上部機関がこれに関しては全く機能していない。地区委員会に「討論の場設置検討委員会」を設置して交流機能を回復すべきである。これが機能すれば分派など生まれる必要がない。
⑨インタネット上に意見交流パイプを作ることができる。
 今日ではこのような交流を経済的に実現する物理的条件が存在している。地区委員会が自前サーバー設置、運営するのが良いだろう。我々も協力する。
⑩党は討論クラブではない、防衛上危険、という神話がある。
 正しくは「党は討論クラブに留まらず」である。党はその先の方針と行動の統一によって現実世界の変革までをなすので、「討論クラブは不要」でなく「討論クラブ以上」が正しい。「討論に於ける最大限の自由な意見の交流」こそが前提であったはず。「防衛上の危険」は自衛隊と同じで敵の過大評価によって際限なく拡大され、守るべき本体を窒息させる本末転倒に通じることが多い。党自体の絶対化が防衛の絶対化に転じて多くの党員を抹殺したのがスターリンによる歴史的経験だった。 ⑪自由な意見の交流は分派を生むという神話がある。
 交流が禁止されれば異論は議論される機会を求めて分派を生む。自由な意見の交流があれば分派の土壌がなくなる。規約には分派禁止はあるが分派の規定がなく、無際限に拡大解釈されて「私的な意見の交流=分派」、とされて異論抑圧の道具とされてきた。
⑫DCに効用はあるのか。
 DC擁護に関して党の見解は以下です。
・我が党の歴史上の経験⇒1950年綱領めぐる深刻な論争を分裂せずに解決できた
・客観的真理へは限りなく接近できる⇒多様な見方が当然というわけではない
・正しい認識の勢力が誤った見地に立つ勢力より多数になる⇒科学的社会主義の展望
・DCは世界の革命政党で試され済み⇒スターリンの暴走はDCからの逸脱
・組織独自のルールは結社の自由の権利の範疇⇒規約綱領を認めた社会主義者の集団
・党は政治から経済まで広く社会に責任を持つ組織で討論クラブではない
 これらの基本にある認識は「異論の存在は程度の差こそあれ常態であるという前提をとるべきとの意見があるが、それは認識の問題は人によってみな違うのがあたりまえだという、つまり、運動としての統一の基礎という観点がはじめからないのです。」(1990年19回大会、民主集中制に関しての宮本議長の発言)で示されています。
 運動の統一、これがDCの眼目であって以上の理屈はありません。統一の手段としてDCの効用を認めればDC擁護となります。民主的か否かは問題ではないのでいつまでたってもDC批判派とは議論がかみ合いません。
 原発も短期的には効用が大きかったので社会的レベルで推進された。しかし原発が本当に経済的に見合うものなのかの議論も始まっている。DCにも安全神話があったのです。統一には便利で効用があように見えるけれど、長期的には大きなものを失ってきた、これが歴史で試されてきたことではなかったか。私は効用があった時期を否定はできませんが、少なくとも今では効用は失われていると思います。 ⑬意見交流に関しては誰からも異論は出ない?
 規約上も意見の交流を禁ずる項はありません。「自由に」でひっかかる人はいるでしょうが多少は「不自由に」でも限定的にでも末端組織間で、つまり地区レベルでの支部を超えての交流がスタートできればいいのです。
⑭意見交流の提起に難題二つ。
・意見交流の不在が自力をつける上での障害だということを言ってきたけれど、障害を除けば、交流すれば自力がつくわけではない。DC外した政党が伸びたわけではない。
・「党には何か大きな深い誤りがある」の仮定に立たない人にはこれら提起は無用のオシャベリに過ぎず、無関心=DC擁護派になる。出来るところから少しづつの精神で進めるつもりです。 以上