私も読みました。
1.北欧などでの実績を見ての社民主義への肯定的評価。
2.福祉国家を実現できる新しい経済システムとして社会主義を選択する。
・資本主義は限界だが、社民にも資本主義内での限界がある。
・社会主義とは生産手段の社会的所有である。
・マルクス社会主義は生産力主義であったがこれからは生産力主義によら
ない、経済成長を求めない新しい社会主義を目指す。
これが骨子と思います。
今までのJCPの枠を超えての探求の姿勢は滝川さんと同じように評価したい。
しかし疑問なところもいくつかあるので、以下に記します。
3.ヨーロッパ社民主義に関して。
ヨーロッパ社会民主主義が現実資本主義と格闘しながら、我々の目標の一つ
ともなる成果を獲得していたことを著者は認めている。そしてコミンテルンが彼等
を資本主義を延命させる敵対勢力としてきたことは誤りであったとも認めている。け
れど自主独立路線でのJCPも社民主義を修正主義と呼んで、革命への最大の障害、
裏切りとして罵倒し主敵扱いしてきたことはかつてのコミンテルンと同じだったと記
憶しています。著者はJCPの指導部の一角に永くあり、政策委員長としてこの路線
の責任者だったこともあるのに、この事実をどう考えているのだろうか。
自分が否定してきた相手への肯定的評価はかつての自分の誤りを認めること
と、罵倒してきた相手へ謝罪的姿勢に行き着くべきです。「コミテルンは謝ってい
た」との裁判官的な姿勢は自分の不十分さや誤りを認めないものではないでしょうか。
つい最近まで反原発運動に対して「反科学」と軽蔑、敵対してきたのと同じ
構図です。
これで通用すると著者は感じていると思われますが、これも不思議です。
4.資本主義限界論から社会主義へ。
資本主義は限界に達している、だから福祉重視できる新しい社会経済システ
ムとしては生産手段の社会的所有を基本とする社会主義を選択したい。これが著者
の主張で、福祉というカテゴリを重視し導入したことは新しい試みですが、資本主義限
界論から社会主義を正当化するのは旧来の伝統的マルクス主義の立場です。私はここ
に異論があります。言葉尻を捉えて言うのではないのですが、
・資本主義が限界かどうかが問題なのではなく、社会改良に当たってあらか
じめ限界を設けないこと。
・社会経済システムの選択にはあちらを立てればこちらが立たずのトレード
オフを充分考えること。
が重要と思います。資本主義が限界⇒だから社会主義、の構図を見直すべき
と思うのです。資本主義限界説は史的唯物論での重要な定式ですが、論証できるもの
ではなく その先のオルタナティブとしてアンチ資本主義=社会主義を導くための、社
会主義を必然視するための非論理的な断定ではないでしょうか。社会主義の当否は資
本主義の限界説から導かれる必要はないのです。資本主義が限界であるかどうかとは
関係なく社会主義は資本主義よりよい社会経済システムとして選択に値するかどうか
が問題なのです。資本主義限界論は不要であるばかりでなく、
・資本主義の進化、変化を分析する鋭敏な感覚を麻痺させる。
・慎重さを欠いて非資本主義的なオルタナティブの選択に走ることにつながる。弊害があると思います。
資本主義の負の側面の主因を生産手段の私的所有にあるとすることは真逆
の論理として生産手段の社会的所有が別の負の側面を生む可能性もあることを認識す
べきです。
これは可能性に留まらず、ソ連など社会主義国での非人間的社会の経験が現
実にあったからです。生産手段の社会的所有と民主主義が結局は両立しないのではな
いか、マルクス主義にとって深刻な課題と思います。
生産手段の私的所有の廃止とこれの社会的所有化は次の社会経済システムの
目標として検討に値するにしても、いくつかの選択のなかの一つとして最大限慎重に
扱われるべきものであるはずです。
ここには以前から様々な議論が存在しています。
分析的マルクス主義の流れでは「生産手段の私的所有の廃止でなく分解unbundle
(1997ローマー)」などもその一つです。伝統的マルクス主義にとっては常識だった「生産手段の私的所有か社会的所有こそが社会構造を決める分水嶺」との問
題設定自体への見直しもあります。
私的所有に代わる社会的所有は市場との適合性はあるのか、も大きな課題
です。著者も社会主義において市場の存在を認める立場ですが、問題は経済社会シス
テムとしてうまく作動できそうな、市場との整合性を持った社会的所有の形態が具体
性を持って未だ見い出せないことです。
もちろん市場の暴走で経済と社会が崩壊する危険は大きくなってきているの
で規制は必須だけれど私的所有なき市場とはどのように安全に作動できるのか。
著者はこれを「多様な社会的所有には多様な方法がある」で済ませているけ
れど、これでは綱領と同じ水準で数十年来進歩のない最重要課題の先送りです。
これが社会主義の青写真を描けない最大の問題点と思います。綱領にある
「生産手段の社会的所有による社会主義」は未だ空想的社会主義のレベルです。
生産手段の社会的所有が果たして社会主義のメインアイディアとして妥当な
のかにまで踏み込んだ議論が著者の論考に欲しかったと感じています。
5.ポスト工業化社会、ゼロ成長と知識産業に関して。
著者はマルクスは生産力主義だったがこれは修正されるべきとして、これか
らは経済成長を必要としない経済システムとして社会主義を再定義しようとしていま
す。社会主義のメイン目標の修正はすでに「社会主義を生産力の解放のためでなく人
間性の回復という目標へ回帰(1998加藤哲郎)」、社会主義=ゼロ成長社会とし
て提起されています。著者の提起は新しいものではないですが社会主義再定義の議論の
中では常識的な内容と言えます。社会主義=ゼロ成長経済社会、もっともな面もあり
ますがここには見落としがあるのではと思います。
ゼロ成長が妥当するのは、経済=モノの生産に限った場合ではないか。
情報、知識、芸術など非モノの生産に関しては自然からの収奪も自然への廃
棄もないので限界を設けて定常化する必要はありませんし、現実の経済も非モノの生
産比率が急上昇しています。
これについて「モノから非モノの生産へポスト工業化社会へのシフトによっ
て、人間欲望を非モノによって吸収することで、自然からの収奪や廃棄などエコ面
での制約から解放され開かれた文明の可能性がある(1996見田宗介)」の見方も
あり、私もこれに近いです。
マルクスは生涯、情報産業などを見ることはなかったのでモノに結実しない
経済活動を分析することはできず、マルクス後もマルクス経済学はここに留まった。
著者もこの伝統の中にあって情報や知識はそれ自体を価値ある生産物、商品
とは見ずに生産の効率化の助けとなる単なる生産手段として見ています。
蒸気機関がモノ生産に革命をもたらして資本主義を産み出したのと対照に、
現代資本主義はマルクスが想像も出来なかったほどの生産力の爆発的発展とモノから
非モノへの生産力の質的発展の段階に達しています。
非物質的な財の生産は単なる生産の効率化に留まらない人類史的なスケール
での大きな意味を含んでいます。社会主義を構想するに当たってもマルクスを超えた
分析が求められていると思います。
例えば非物質的な財は分けても減らないし生産(コピー)はワンクリックで済むので商品に転化される労働が無限小になり労働価値説の再検討が必要になるであ
ろうし、生産手段に関しても労働者を一同に集めて労働させる工場や生産機械に代
わってインターネット上での知識や情報など半社会的に所有されているインフラが生産
手段となっていてもはや資本家の私的所有とは言いがたい、などなど。話しが脱線し
ました。
現代資本主義は生産力の量的面だけでなく質的面でもマルクスの想定外です。
マルクスを超えた分析と構想がわれわれに必要です。
著者にもこれを期待したいのです。
以上