投稿する トップページ ヘルプ

党員用討論欄

党員9万人除籍に総括なし 無責任

2012/7/29 クマさん

(文中・敬称略)

 「赤旗」に、党創立90周年記念講演会での不破と志位の演説が掲載されたので読んだ。志位の演題に「歴史に学び」の文字も大きくあるから、その記念すべき講演にあたり、党発展の生命力の一つとされる“自己分析性”を発揮した話でもしたのかと思ったらとんでもなかった。「歴史に学び」とは口先だけで、たたかいを前進させていた過去の党と革新勢力の実績を引き合いに出して、現在の党の政策方針や運動は「先見性」を発揮しているなどという相も変らぬ講釈話であった。―――党は一昨年、「綱領的認識」でつくったという第25回党大会決定方針で参院選をたたかい歴史的大惨敗を喫した。その党大会で規定して現在も全党を拘束している次期党大会までの、「過渡的情勢」と「建設的野党」の任務という方針もあっけなく吹っ飛んでしまった。ところがその大事な大会決定の基調をなしたその規定についてはなんら総括もせずにこっそり棚上げしたままで運動を続けた。昨年には、一斉地方選挙戦で党はさらに後退した。しかも「赤旗」日刊紙発行危機を表明する事態となり、そして今年は、その時点より「赤旗」読者をさらに1万人以上減らし、党員を9万人も除籍した。そのどこに先見性があるのか、、、。
 そして志位は、“「一点共闘」の積み重ねによる新しい統一戦線”について述べている。が、それは、情勢の一断面に寄りかかる主観的願望による無原則な運動論、「革新」抜き『統一戦線』論といえるもの、現実には役立たない、統一戦線運動には必ず有害な方針となるだろう。が、議会主義者にとっては正しい方針なのだろう。

 不破が修正主義・議会主義者に完全変質して、『61年綱領』路線から踏み誤った90年代後半以後の党の方針はことごとく運動を誤らせ破綻してきた。例えば、
*その過ちの出発は、第21回大会2中総による「“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸」という情勢論から始まる。それは、もっぱら議会選挙活動の立場からものをみる議会主義、主観的情勢論・運動論の開始であった。が、スグ破綻した。
*不破らは、安保・自衛隊容認の暫定政府構想を発表し、DNAが保守・新自由主義の民主党にエールを送った。
*“グローバリズム時代”に、求められる国際連帯、国際共産主義運動追求の方針を捨て、議会政党に転身し「野党外交」活動にその方針に置き換えた。加えて、あのデタラメな中国共産党と無批判迎合し無原則的交流に入った。それで、「社会主義四基準」方針を死文化させた。それで、グローバルな課題・強欲資本主義との国際的連帯闘争を放棄、国民の中にある社会主義運動への関心・期待に道を閉ざし、敵を利してきた。
*日本の平和・国民の諸要求実現をはばむ保守反動勢力の政策と策動に対抗してそれを打破する革新統一戦線運動の性格も含めて明示した「革新三目標」から「革新」の文字を削除し、運動を大衆迎合路線に引き込み、運動の変質をすすめている。
*小選挙区制――その課題を党綱領から外し、「革新三目標」から外し、党のメーデースローガンからも下ろした。それは単に一つの政策や一つの法・制度ではなく、『体制』の問題――激化する国民との矛盾拡大の下で日本の軍国主義帝国主義復活強化をめざす米日独占資本勢力による国家体制づくりそのものであり、単に議会政党による一政策ではない。形式民主主義の機能発揚すら圧殺するファシズム体制づくりそのものである。不破らは、その反動勢力とその野望を告発をせず免罪し、ファシズムとのたたかいを放棄し、茶番化した議会にどっぷりとつかって議会政治の虜になっている。
*党規約・綱領を全面改定して党を議会政党に変節させた不破ら中央指導部は議会論戦に明け暮れ、世界中に新自由主義が荒れ狂い青年たちの多くが職に就けない時代に、国政革新の「主体的条件」づくりに励まず、、、そのようにたたかいの戦線を後退させて当然、党は選挙戦を連敗し、不破の『自共対決主軸』論は破綻。――不破の後を継いだ、“新鮮で柔軟な対応”を得意とする志位は、保守か革新かではなく与党か野党を争うようになり「たしかな野党・日本共産党」を看板にした。それは世の人に意味も無く、だが「実践による検証」方針を放棄した彼らにそれを「自己分析」ができるわけもなく、、、保守か革新かをたたかいの現場で問うことをしてこなかった党はとうとう敵味方のその見分けも分からなくなり、―――民主党については、新社会党の党綱領でも『民主党は、新自由主義路線の党』として規定している、その通り米日独占資本の手先であり企業献金にどっぷりつかる『二大政党』の一方の旗手、憲法改正を党是とし国連の名の下に自衛隊海外派兵を政策にした日米軍事同盟国家体制づくりを推進するまぎれもない保守政党そのものである。―――2009年党創立87周年記念講演で志位は、その民主党政権誕生を絶賛して、それを「新しい日本の幕開け」「過渡的情勢、過渡的政権」の出現だと規定して美化し、日本共産党はその政権の「建設的野党」、補佐役になると宣言した。そして、「綱領的展望」による第25回党大会は、その講演の内容を方針に追認し、今党大会の基調方針にした。その方針でたたかった半年後の参院選挙で当然のようにわが党は歴史的大惨敗をしたのである。
 今回の“一点共闘積み重ねによる新しい統一戦線”論もそれら方針の延長線にある代物、結局は、要求実現のための正しい共同闘争のためにも、統一戦線運動の前進のためにも役立たない無益で、運動には有害な方針である。

 不破の方は、党史について講演した。そこでは、歴史事実とこれまで確認されてきた党史の重要な内容について幾つか偽って述べていて悪質である。やはり変質した人物はこうなるが、それは見過ごしには出来ない。そして疑うほどに偏狭で稚拙な歴史観を披露している。
 この二人の講演内容について、次回投稿でまた記してみたい。
 以下は、前回投稿の続き“党員大量除籍”問題について。

◆大量の除籍――志位は2度目

 青年・学生は次代の担い手である。
 そのため支配者は、自分たちに都合よく役立つ人間になるように幼年期から系統的に対策をとっている。そして、鋭い感受性をもって成長途上にある青年期の彼らに対して、現瞬間も、社会的に主要な党派や団体は特別に対策をとって“争奪戦”を展開している。
 民青同盟は、日本共産党の指導の下で、科学的社会主義と日本共産党綱領を学ぶことを重要な活動としている。党は、同盟員が自主的に学び学習する活動を通して成長し確信し、党と革新民主勢力の後継者として歩み出すことを期待し、そのように党の方針に位置づけてきた。それで、大衆的団体の中でも民青同盟は党と特別な関係にある。そのため党は、青年学生運動対策部任せにせず中央委員会はもとより各級党機関の三役にその責任を課して対応することを方針とした。
 そのように、青年学生をめぐる社会条件、成長期という世代の特性、党と統一戦線勢力の後継者という運動側の要請などから、民青同盟の運動全体の前進後退の結果について、それを時の民青同盟幹部活動家の能力の可否に求めることは適切ではなく、それは党中央の指導上の問題とする立場をとってきた。

 かつて20万人の隊列を擁していたその日本民主青年同盟が、しばらく前に2万人ほどになってしまったことを聞き、そのとき私は言葉が出なかった。その後退した経過の中に、組織構成員の大量“除籍”問題も起こっていて、志位も当時、その担当者として関係していた。

 安保闘争や党の『61年綱領』確定などを経て、アメリカが沖縄を占領、ベトナム侵略戦争を行っていた60年代、自民党の支持率は安定して60%台後半を維持していた。戦後民主主義の中で成長してきた当時の私たちは、日本の『高度成長』と社会的政治的矛盾に反応し、様々な左翼的青年・学生運動を前進させた。“歌ってマルクス踊ってレーニン”などと言われながら、民青同盟は活動を前進させて同盟員20万人に到達し、年齢制限による『卒業』がありながらもその隊列を前進させた。
 しかし私も記憶するに、70年代入ると60年代とは社会は様変わりする、世界第2位の経済大国になった日本、大学進学率は2割台から3割台に、新幹線や高速道の拡大、街にはホンダシビックの多様なモデルが出回り“プロレタリアート”の彼も誰もそれらカローラ、サニーを乗り回し始め、部屋からはステレオの素晴らしい音響が流れはじめ、、、社会主義の中ソ対立も冷戦も激化、日中国交回復、沖縄は返還、メディア総動員による大々的反共攻撃、ベトナム戦争は終結へ、、、変化・多様性が若者たちを包んだ。それは多国籍企業が台頭し東欧崩壊の80年代さらなる激変の前夜であった。その時代に、民青同盟の課題と活動内容に大きな対応変化が求められていた。

 20万人を擁していた浦田中央委員長時代に行われた、全国的に同盟地区委員会を“地区分割し、小地区制に移行する”の組織対策もその一つだったと思われる。しかし、1976年だと記憶するが新任した同盟中央委員長F(現・故人)は、まもなく“拡大至上・成績主義”に陥り、煽られた全国の同盟専従者達は活動の内容や質は問われず、同盟員拡大の実績づくりの競争に引きづり込まれた。運動に検討が求められる時代にそんあ乱暴が長続きするはずもなく、その誤った運動によって70年代後半に“同盟建設は砂上の楼閣”と表現される事態に至った。1980年だと記憶するが、私は一時、青年学生を担当することがあり、学生を除いた民青同盟の経営・居住班1000人の実態調査をした、同盟員と党員の構成比もみた、同盟費納入者3人に党員1人という関係がどこといわずにある状態にあったことを記憶している。全国的に大量の“未結集同盟員”が常態化するその事態は60年代以降で初めての不健全な異常事態となっていたのだ。それで私の調査結果をもって一級上の担当責任者が党中央の担当責任者に対応を相談してきて言うには、“中央でも深刻に苦慮しているということ、同盟は党の組織ではないので同盟中央自体で問題を解決できるよう対応を始めている、しばし時間がかかる”とのことだった。私はその後すぐ担当をはなれたのでその後の経過は分からないが、、、1982年不破が幹部会委員長に就任し、民青同盟の問題で初めて言及し彼は、こんなになるまで誰が何をしていたのかといわんばかりの話、その記事をみて私は、青年学生問題は三役に対応責任があるはずなのに不破の話は他人事で無責任傲慢だと、党機関の会議で党中央に意見を上げるよう述べたことを覚えている。その後も問題はより進行していき80年代10年間を通じて民青同盟の組織実態はボロボロになっていった。80年代後半に志位は党中央青年学生担当責任者になっていた。私はすでにその担当を離れていたが、彼は覚えもないだろうがたまたま志位と話す機会に恵まれて意見を求めた、彼は“その問題はわかっている、民青の組織整理は党中央が責任をもって、民青同盟自身の方針として実行できるよう遅くない時期に、確実にすすめる”と断言していた。その通り民青同盟員の“実態のない同盟員”の大量除籍が開始されていく。私は事情で90年代半ばより『党費納入党員』となり党活動から二十数年離れたので、、、以後の経過が分かった時には、民青同盟は全国的に大半の地区委員会組織が消滅したという話を聞き愕然、しかしまた然もありなんと思っていた。
 そのような私の認識では、民青同盟の衰退は1970年代後半に起こったとみている。何事も後退が発生するには原因があり、それを理解し解決のための正しい方策が見つかり実行出来なければ、必ず後退は進行し最後は衰退状態にいきつく。そして、青年学生問題で成功出来ない共産党では社会変革も出来ないと断言できる。青年は次代の担い手であり、未来は青年のものであるから。

◆人間の集団の事業

 わが党は『61年綱領』確定以後、党が直接指導する団体・民青同盟の構成員大量除籍および20万人から2万人へ地区機関組織の消滅、そして今回党員の大量除籍9万人(その他まだ6万人以上の党費未納者)と「赤旗」読者330万人から130万人への後退を経験した。それは何か偶然のつみ重ねでそのようになったのではない。

 マルクスやエンゲルスは、人類史は原始状態を例外として階級闘争の歴史であり、階級闘争は歴史の原動力であり、人類の歴史は階級闘争を通じて発展する、歴史を階級闘争の見地でとらえなければならないと教えていて、私たちは学んできた。
 階級闘争は人間の集団による事業である。

 一度は結集した構成員の全国的大量離反、同志・仲間の離反がどこでも後を絶たない、その問題に正面から立ち向かわず、原因究明をしようともしない、、、それを繰り返す、そのような組織の指導部は有害な人々以外の何者であろうか。たたかいという側面からみてみればそれは明らかに利敵行為に相当しているのだ。  この“大量除籍の問題”、さらに述べてみたい。