ここに現在における読者拡大の特別の困難性があります。拡大が提唱されると、「もう少し大衆運動をやってから」という「段階論」があらわれるのは、こうした事情を反映したものです。また、ほとんどの支部はこのような意見は出さず、ぶやさなければならないことやふやす条件もあることをみとめますが、実際にはなかなか拡大にとりくもうとしないのも、同様の事情にもとづくものです。
したがって、いくら拡大の意義を明らかにしても、拡大に奮起している支部の教訓を普及しても、ほとんどの支部の自主的な拡大のとりくみを引き出すことはできません。拡大月間が決められ、地区機関常任が支部のなかに立ち入って、徹底した個別指導、「つめきる指導」を行い、くりかえし点検をして、全支部、全党員の決意をうながすことによってようやく大きなとりくみがはじまるわけです。
このような拡大は集中拡大でなければできません。党機関の指導のゆきとどく大都市の党に、機関紙の一時的「急上昇」が生ずるのは、このためです。しかし拡大を成功させるためには、地方党機関が長期間にわたって大へんなエネルギーを投入しなければなりませんし、支部の決意を引き出すための「緊急の体制」が必要であり、機関の指導が緊張感にみちていなければなりません。そしてそのための機関の不退転の決意ととりくみが要求されるわけです。
拡大の一定のとりくみ後、「暴落」がうまれるものと同じ事情からです。支部にとって、このようにしてあらゆるつながりをもとめてふやした読者は、たしかに全国的な政治情勢に影響を与える力になることはわかっていても、やはり職場や地域の力となる読者ではありませんし、機関のつよい指導でふやしたため自分たちの読者というかんじが弱いわけです。そこで減紙してもそれほど重大とはかんじませんし、もともと特別な決意をしてふやした読者ですから、緊張した指導がなくなれば、読者として維持する努力をはらうことをおこたりがちになります。機関としては減紙は革命勢力の後退であるから重大であると、さまざまな手だてをとりますが、支部はそのようにうけとることができないため結局大量減紙となってあらわれます。「ふやさなければ減る」ということは、一時的大量拡大ですから、部数の混乱や事務上の手続きのあやまりなどによる減りがさけられないため、ふやす必要があるということと、支部が少部数でも拡大に立ち上がるほどの決意の動員、緊張した機関指導が継続していないと、支部は読者維持の努力をやめてしまうという事情を反映したものです。
こうした「減紙」、「急上昇急暴落」を解決するための、二本足の党活動、持続拡大をすすめる支部活動をつくりあげる努力がいろいろ払われてきました。しかし、現在の読者の大きな部分が、職場地域の闘いと必ずしも結びついているものでないため、いかに労働組合運動や大衆運動の指導をつよめても、一挙に、現在の総部数から割り出した拡大目標を達成するところまで到達しないのは当然です。いやそれどころか、このような活動では、減紙分の回復さえできいため、結局、減紙克服や目標達成のための集中拡大にきりかえざるをえません。このことは、地区機関における労働組合運動や大衆運動の指導の強化の中断を意味しています。地区機関はばく大なエネルギーを投入して、「よこ糸」の拡大、つまり支部にとっては、必ずしも職場や地域の闘いとは結びついていない拡大の動員に奮闘することになります。
こうしてこの二年間のように、拡大月間とそれに準ずるとりくみの時期がかなり長期化するなかで、地区機関常任の一面的指導の欠陥は固定化していき、支部は「たて糸」の活動をつよめようにも、それができない事情がつづくことになります。
選挙戦にも、このような拡大の指導方法が次第にもちこまれ、三本柱の方針にもかかわらず地区機関常任の具体的指導は、「票よみ」の推進を中心にすえた、全党動員に力点がますますおかれるようになってきました。こうして今日では、一方では戸別ビラ配布による大量宣伝と他方では、党員の読者をとびこしての「票よみ活動」というとりくみが定着化しつつあります。党員は、一人あたりのかなりの票をよまねばなりませんし、よみ票の重なりをさし引いても、党に投票しない大衆に対しして無差別に「広くあたる活動」をしなければなりません。このためますます、機関は全党を動かすことに力をつくさなければならなくなり、支部はまた三本柱の活動がますますできにくくなっています。
拡大、選挙で地区機関常任が、全党の決意動員、支部の全部をつかんで動かしきる具体的指導がつよめられればつよめられるほど、これと結びついて、機関からの指導がなければ何もやらない支部がふえてきています。強力な指導があればあるほど自覚的自主的支部が少なくなるということはすぐわかる道理です。こうして、拡大、選挙以外の課題でも、地区機関の特別な具体的指導、徹底した点検がないとほとんどすすまないという深刻な事態さえ進行してきています。このことと、拡大、選挙における指導方法を用いるならば、現実にかなりの成果を収めうることとあいまって、読了、十二条党員の解消などの課題にも、まったく同様な指導や活動がすすめられるようになりました。
以上が、この数年間、党活動、党指導のなかでおこった経過についての概略であり、推論の本質的側面であります。この結果、その一方には三百万の読者、三十数万の党員、五百万の得票という輝かしい成果があります。しかしこの成果の内容をみると、読者の大きな部分は党員との地域でのつながり、個人的なつながりによるものであり、得票は読者をとびこして党員が票よみ活動に奮闘したことによって支えられています。そしてこのような成果を支えるため、党中央はたえず緊急・重要課題を全国に提起し、機関はこの課題へ全党を動員するため、ばく大なエネルギーをつぎこみ、いつも緊張した活動と指導をつづけています。こうしてもう一方では、党支部の労働組合運動や大衆運動へのとりくみの弱さがあり、とりわけ、党の労働組合運動の分野での立ちおくれがあり、支部と読者や大衆との結びつきの弱さがあります。このことは、労働者の間での党員の影響力の小ささや指導力の低さなど、党員P64・65の資質にかかわっており、同時に地区機関常任の労働組合運動の指導能力の低さなどにもかかわっています。
このような現状は、何年もかかってつくりあげられてきたものですし、一方の成果は一方の欠陥にかたく結びついており、別々に切りはなすことのできないものです。いまこの事態の根本的解消をはからずに前進をはかることは、どのような一般方針をかかげようと実践活動においては、党勢拡大と選挙戦のとりくみだけで、民主連合政府の樹立から革命の勝利をめざすという日和見主義に発展する危険をもったものであります。同じ大衆運動のとりくみの弱さにもかかわらず、労働組合運動の分野でとりわけて立ちおくれているのは、米日反動の攻撃と社会民主主義の策動によるものであることは明らかです。情勢の発展のなかで、米日反動はさらに攻撃をつよめてくるでありましょうし、このままでは労働組合運動の分野のみならず、全分野における大衆闘争にも困難がつくりだされるおそれがあり、統一戦線の発展強化の上で重大な支障となるでしょう。
しかも以上のような党の現状は、主として「計画的に党をふやす」という方針にもとづいてつくりあげられてきたものであります。拡大の「計画」ということはさまざまの内容を含むものです。しかしこの十余年の実践の中ではいつも「計画的拡大」ということで「いつまでにどれほどふやす」ということが中心課題となってきました。そして、いつも計画達成という見地から出発し、情勢の発展を考案して、集中拡大の月間が決められ、全党の一大決起をかちとる大運動を何度となくくりかえしてきたのです。
党員拡大は、「いつまでにどれほどふやす」という方針で何度か集中拡大をやり、急速に増大し十万の党から二十万の党へと成長していきました。そして、一九六五年十一月十七日には樹海同志の経験を「先進的活動の一つの典型」とみなし、樹海同志に学び、樹海同志につづくよう全党の同紙に手紙をおくりました。そして十回大会までに三十万に近い党をつくりあげていったのですが、この時の党員拡大ではかなり極端な活動をやったことを記憶しています。私自身も何十人かを入党させましたが、支部へいって対象者を集めさせ、猛烈にまくしたて、うんというまで説得し、うんといったらただちに署名させ、その晩審議するという活動をやりました。今から思えば樹海同士の先進的活動といわれる内容にも、まだ党に入るにふさわしくないものに決意させるという活動があったわけですが、中央がそれにつづけというのですから、同様な活動でよいと信じこんで活動や指導をすすめていました。しかしこのときの拡大で党の戦列に加わった人々のうちかなり多くがその後党から脱落していきました。このことは全党的にも同様で十回大会党員数ではかなり後退がおこり、十一回大会前夜まで十回大会より党員数が少ないという事態がおこりました。同時に、党員拡大についてP66・67の指導は十回大会後約二年間ほとんどなくなり、一九六八年十月一日の幹部会決定でとつじょとして、「党員拡大の場合は期限をきって無理やりに目標を達成することはできないし、それは適切ではない。」という方針が示されました。
このことは実質的に、党員拡大では「いつまでにどれほどふやす」という計画拡大の方針が破産したことを示すものです。(私は十回大会をめざす党員拡大について中央の指導にあやまりがあったことを、全党の前に明らかにすべきであったのに、これをかくし、突然「期限をきっての党員拡大は誤りだ」という方針だけを全党に示したことは、二重の誤りであったと考えています。) その後十二回大会にいたるまで、それぞれの大会で決められる党員拡大の目標は単なる目標にとどまり、何回か党員拡大の月間を設けたけれども成功していません。結局、党員の「計画拡大」という方針は全党によって実践されないまま今日に至っています。
機関紙拡大については、やはり「いつまでにどれほど増やす」という方針で何度か集中拡大をやってきましたが、しだいにとりくみが地域でのつながりや個人的つながりを通じてふやすという拡大に流れることによって、大量拡大をかちとるようになりました。「計画拡大」ということで、拡大目標から出発するかぎり、指導と活動は、拡大部数の追及に流れ、その結果が、最終的には地域でのつながりや個人的つながりを通じての拡大によって達成するということにならざるをえません。経営支部での労働者への一部の拡大も、市会議員が自民党の市長や市役所の幹部にふやす一部も、拡大部数では同じ一部であります。「いつまでにどれほどふやす」という立場から出発するかぎり、ますます拡大部数の内容は問題にはならなくなり、三百万の読者という反面、どのような党の内情がつくり出されているか、目がむかなくなっていくのです。「そのようなことはない。経営支部の労働者の一部と自民党の市長にふやす一部と同列にあつかうことはない」といわれるでしょうが、現実に全党の拡大部数について、どのような支部がどのようにしてふやしたものかを調査したことがあるでしょうか。このような調査をやらず、もしやったにしてもその結果によってとりくみの指導をしていないならば、党勢拡大計画を「民族民主統一戦線を正しくその依拠する階級の上に建設する計画である」(一九六一・九・四幹部会決定)とする当初の方針にもそむくものであります。
しかもこのようにして地域や個人のつながりにより拡大部数がふえればふえるほど、すでに明らかにしたように全党の活動と指導はますます一面的なものとなっていきました。そして労働組合運動をはじめ大衆運動への全党の活動と指導はますます弱められる一方、選挙での票よみの増大、そのなかでの機関紙拡大、拡大をきそにP68・69得票と票よみの拡大……ということを交互にかさね、今日の五百万の得票、三百万の読者という成果と労働組合運動における重大な立ちおくれという二つの局面をつくり出したわけです。
したがって、この事態はいずれも「いつまでにどれほどふやす」という「計画拡大」の方針からうまれたものであることは明らかです。 かつてレーニンは「階級と党との関係は歴史的条件その他の条件にしたがい、国によってさまざまである」(「ヴェ・ザスーリッチはどのようにして解党主義をほうむるか」)といい、党の大きさにはその国々の歴史的条件、客観的条件によってきまることを主張しました。党勢力は階級と階級の前衛の消長によってきまるものであり、したがって階級闘争の諸条件と結びついたものであります。「計画的に党をふやす」ことが「いつまでにどれだけふやすか」ということを意味するかぎり、階級闘争を計画的にすすめることを意味することになり、その延長上に計画的に革命を実現するという日和見主義的実践にさえつながる危険をもつものであります。党勢拡大が四つの旗の総路線にもとづく拡大、つまり、職場・地域での大衆闘争と結合した真の二本足ですすめられているならば、「いつまでにどれほどふやす」という方針はたえずいつも実行不可能となり、結局破産せざるをえなかったでしょう。逆に、「いつまでにどれほどふやす」に固執するかぎり、党の二本足の活動を破壊し、労働組合運動における党の重大な立ちおくれをつくり出さざるをえませんでした。このことは、党の消長と階級闘争の消長とは一つに結びついており、階級闘争を計画的にすすめることが不可能であるかぎり、党勢拡大もまた計画的にすすめることが不可能であることを実践的に証明したものであります。
ここで申し上げておかなければならないことは、私は党勢拡大はきわめて重大な任務であって、革命を準備する過程での前衛党のなすべき最重要の課題の一つであると考えていることです。しかもまた、党勢拡大はそれを重視してたえず意識的な努力を集中しなければならず自然成長であってはならないということも全く正しいと考えています。したがって必要なときには、当然集中拡大もありましょう。ただ意識的な努力を集中したり、必要なときに集中拡大もやるということと、「計画的にふやす」ということはおのずから別のことであります。
「計画的にふやす」ことに賛成しないことは、すなわち党建設を自然成長にまかす日和見主義的見解であるという議論がありますが、これはまさしく論旨のすりかえであります。国際共産主義運動のなかで、数年以上にわたって計画的な党勢拡大を追求した党は、インドネシアと日本の党だけであると思います。レーニン以来の諸党は、「計P70・71画的にふやす」ことをやっていませんが、これは党建設における日和見主義だったのでしょうか。
問題は「計画的にふやす」ということであり、その中身は「いつまでにこれだけふやす」という活動を長期間くりかえすということです。私は各級党機関が何年かの長期的展望のもとに、どの経営に党をつくるとか、どの農村に党をつくるといった計画をたててとりくむことは正しいし、むしろ力をつくしてやりぬいていくべきことでありましよう。「計画的にふやす」ということによって今進行していることは、何よりも数をふやすということであり、次々と期限をきって数を追求していますが、これこそが階級闘争を計画的にすすめるというあやまりにつながるものであります。
したがって、私の提案は、「計画的に党をふやす」という方針を党の総路線からはずすことであります。党勢拡大は党中央が必要なとき集中的に取り組むことを決定するほか、日常不断に全党が努力することを義務づけますが、たえず拡大を数と期限で指導し追及することをやめることです。もちろん、これまでの十数年間の党勢拡大について、全党のすぐれた実践や献身があるわけですし、五百万の得票と三百万の読者そのものは、輝かしい成果であり、全党の努力の結晶であるので、一方ではこれまでの全実践を正しく総括するとともに、この成果を清算主義的になげすてることがないように、この成果を勝ちとった意義を正しく明確にしなければなりません。そのためには、十数年の実践の総括は全党討議ですすめられる必要がありましょう。
このように申し上げると、「これまでの党勢拡大の到達点は『計画的にふやす』という方針があったからできたのであって、極端な清算主義的見解である。『計画的にふやす』という方針を取り除いたら、党は大混乱し、革命における重大な後退をつくりだすであろう」といわれるでしょう。しかしこのことについて私は断じて否と申しあげたい。この三年間、百万部以上をふやしたといいますが、党員一人について三部です。いつも党中央がいっているように、全党がその気になれば、何か月も何か月もくりかえしくりかえし月間をやらなければふえないという部数ではないのです。一年に党員一人について一部をふやすのに、機関は労働組合運動の具体的指導をほとんどやらず、支部も大衆運動のとりくみがやれないほど、「緊急だ」、「重大だ」と討論ばかりくりかえし、何か月もかかっていることの方が異常でありましょう。全党が方針をあらため、三十万の党員の力をあわせて、労働組合をはじめとする大衆運動のとりくみに全力をあげ、選挙戦は、これらの闘いと結びつけて、読者や支持者の力に依拠することに力をそそぐならば、職場や地域に大きな変化をつくりだすことができることは、目の前にうかぶようであります。全党員は生き生きと党活動をやり、そのなかで一年たったP72・73一部だけ拡大する、このことができないわけがありましょうか。しかも、この拡大は職場や経営を中心にすすめられるでありましょう。もし、「計画的にふやす」という方針がなかったとしても、党勢拡大の任務を正しく全党に位置づける指導をおこなうならば、今日の情勢の発展のなかで、必ずや大きな成果をおさめうることは明らかであります。革命は幾百万大衆の事業であります。党機関が支部や党員を立ち上がらせることだけにエネルギーをつぎこむことをやめて、広汎な大衆のなかで支部や党員が生き生きとした活動がすすめられるような指導と援助を行うならば、日本の労働運動や人民大衆のたたかいは大きく前進し、その中で党もより大きくきずきあげることができるでしょう。
私の申上げることについて、おそらく「新日和見主義」であり、最悪の見解である等々の批判をうけ、しりぞけられるであろうことは、夙に予想するものであります。しかし、一番大切なことはどのような見解であるかということよりも、どのような事態が存在しているかという事実についてであります。私の見解をしりぞけられることはともかくとして、くりかえし申上げますが、なんとしても提案し、党中央でやっていただきたいことは、現在の地区機関常任がどのような活動をやっているかについての事実、支部がどのような指導をうけているかの実態についての調査であります。それもあれこれの例ではなく、党全体としてどういう傾向がどれはどの%にのぼっているかについての事実把握であります。標本調査でも結構でありますから、どうしてもやっていただきたい。そして事実把握ができたなら、なぜこのような傾向になっているかの原因究明を行うとともに、この事態の抜本的解消をはかる方針を全党にしめしていただきたい。これが私の心からの願いであります。この願いをさいごに強調して私の意見書を終えるものです。
一九七三年