◆党内ルールを蹂躙して作られた現在の「党規約」と「綱領」―――羊頭狗肉政党誕生
日本共産党の「綱領」、「規約」を改定するには科学的社会主義の政党としてのルールがありました。そのルールについて1994年、第20回党大会での党綱領一部改訂案の提案報告を行った際に不破哲三も具体的かつ詳細に述べていました。―――改定すべき事項があるのであればそれを具体的に明示してその「検証」と総括に基づいて行うという当時の「規約」に明記してある当たり前の手続き、また全面改定については、「綱領」課題が達成された場合か、あるいは「綱領」が根本的に間違っていたことが明らかになった場合のいずれかの場合にしか行わないという方針。
ところが、その不破本人は、2000年「規約」全面改定及び2004年「綱領」全面改定の際には自らも述べたその守るべき必要なルールを守りませんでした。彼は、党大会決定を踏みにじってそれらを実行したのです。
また、現在の「規約」は『61年綱領』のもとで全面改定されたものですが、その綱領は革命闘争推進の決定的課題として「強大な大衆的前衛党を建設する」ことを明記してありましたが、改定「規約」はその綱領課題を否定してしまいました。それは「法律」が「憲法」を否定するに等しく、民主主義を破壊する反動行為でした。党綱領を「規約」で否定するという反革命的暴挙でした。
そのように、決して行ってはならない手法の積み重ねを、不破、志位、市田ら党執行部はそれらを周到に準備して断行した。この事実上の党内クーデターの暴挙は“不破新党”への改組だったのです。が、それを許してしまった全党の未熟さゆえの結果でもあります。
“現在の『日本共産党』は羊頭狗肉政党”、科学的社会主義の政党ではありません。
◆不破哲三によって、日本共産党の「生命力」は根底から破壊された
人間の行う行為に誤りはつきもので、従って、大きな基本的な過ちを犯さない方法を実行することは、目的を達成しようとするいかなる組織においても決定的な問題です。企業であればそれが出来なければ倒産の憂き目に会うでしょう。
その問題は、階級闘争において科学的社会主義の党の運動において「理論と実践の統一」という命題で表され、具体的には「実践による検証」の方法を実行することによって保障される。そのため、以前の日本共産党「規約」では「規約前文」と「規約第28条2項」で明示してありました。決定した政策と方針で、全党員と党支持者が運動する、それで良かったかどうかをみんなでしっかり確かめてまた前にすすむ「実践による検証」の問題。
その当然の方法を止めるようにしたのが不破哲三でした。
彼は、1998年の第2回中央委員会総会で、“「これまで」にとらわれない認識、「これまで」にとらわれない活動”という新方針を提起―――「情勢の発展にふさわしい視野」「新しく発展している情勢に照らして活動を考える」という方針――情勢分析は実際ある現実から行うという科学的社会主義の手法ではなく、不破は、主観的推論を取り入れた情勢論とそのための実用・実利主義的方針による活動運営を提起するようになります。
それは、今や「主体的条件の未成熟」を克服する課題が日本政治の根本問題となった、ということを決めた党大会に準ずる1991年「二全協」の決定を破棄する宣言でもありました。
そして2年後の2000年「党規約」全面改定で「党の方針と政策を、全党の実践によってたしかめ・・・」というそれまでの規約記述を変更、「党の方針と政策を、全党に徹底し、実践する。その経験をふまえて・・・」(第21条3)という具合に、「実践する」が『検証』抜きの記述へと「方針と政策」についての態度を変えてしまった。不破は、「実践によってたしかめ」という全党の作業をわざわざ削除したのです。それによって、党運営は、「経験をふまえ」ればいいだけとなり、失敗しても結果に責任を負う必要もなくなり、その失敗の原因究明の「検証」も総括も不要になったのでした。
そのようにして作られた政策や方針は実際の情勢の中で通用するはずもなく運動は停滞し政策と方針に権威はなくなり、その方針と組織運営際に対し正常な市民感覚をもっている党員たちは当然のように党から離れていったのです。
観念的情勢論に基づく実利主義的方針、そして結果に責任を負わない無責任の党運営が全党を支配し常態化するようになってしまった。
最近では、「赤旗」日刊紙発行危機、党員9万人の除籍など―――党組織の存続に関わる問題、弱点が露わとなった。が、驚くことに、それらは中央委員会総会の議題からはずされ「処理」された。党中央委員会の機能が喪失した一種の「解党」状態の出現である。―――そもそも党員と読者の問題は、歴史を動かす一人ひとりの人間の問題であり、党に一番近い所にいる読者、革命を肯定し活動に参加した一人ひとりの党員の問題です。それが全国的に「危機」状態に後退したということは、「科学」どころか非科学の証明であり、党本部指導部がそもそも“世間知らず”の集団であることを証明です。階級闘争において敗北状況をつくったということです。なぜそのような事態に陥ったのか、まともであれば真正面「検証」すべき大問題です。
東電福島第一原発爆発事故、党の原発政策と運動もこれでよかったのかどこかに弱点があったのか???消費税廃止どころでなく連続増税、なぜ???『戦争法』と「改憲」、なぜそのような事態になるまで「革新・民主」陣営の運動が押し込まれてきたのか???なぜこのような日本の政治を許してきたのか。―――不破哲三・志位和夫共産党は、「その経験をふまえ」るだけで、自らの政策・方針、実践の結果についてその「検証」をすることは行わない『共産党』をつくってしまった。
こんな政党が「革命」運動を組織することなど絶対ありえません。
不破や志位は、党の「生命力」を喪失させてしまったのです。
◆日本共産党発展の「生命力」とは何か ―――「自己分析性」
党史「日本共産党の六十五年」(1988年3月発行)の「はじめに」の一説に、「党発展の生命力」についての記述があります。
そこでは、歴史を重ねた当時の日本共産党が日本政治に一定の影響力を与える政党となり、世界の共産主義運動でも一定の貢献ができるようになったとして、その党発展の「生命力」について先駆性、献身性、不屈性の発揮を挙げて、最後に「自己分析性」について次のように記述している。
「党はまた、みずからの弱点、誤りをみずから分析し、これをただして前進する自己分析性を発揮した。これは党発展の生命力であった。」(党中央発行「日本共産党六十五年」の「はじめに」より)
この「自己分析性」が発揮される保証は、なによりもまず党中央委員会の正常な運営と『実践による検証』の作業の実行が決定的となります。が、党の上に自己を置いた慢心の人物・不破哲三がそれを奪ってしまった。
◆小ブルジョア思想に犯された修正主義・日和見主義者―――不破哲三・志位和夫
以前は人材豊富で都内では東大出身の地区委員長もいましたが、同じ東大出でも不破や志位はそうした生産点・生活点に接した現場での活動を踏んではいない。不破も志位も労働者ではなくインテリゲンチャであり、特に中央政界で仕事をする彼らは、そのことを絶えずわきまえて精進しなければ世間知らずの頭でっかちの政治屋・党官僚となる可能性が大であった。中央政界は重要な政治の決戦場ではあるが、しかしそこは、個々の人民が支配され搾取・収奪され苦しめられている現場そのものではなく、歴史の主人公である圧倒的人民のいるたたかいの本体の場所ではない。そのことを忘れて精進しないと筆坂某のような顛末騒動までも起こってくる。
不破哲三は、躍進する共産党の政策マンとして代々木のプリンスなどとかつてメディアにチヤホヤされもし、党内でも首都圏の演説会場などでは彼が登壇すると演壇前からいっせいに黄色い声が飛び交うさながらアイドルの如く、待遇は黒塗り高級車でミカン畑を通り抜けた党伊豆学習会館で政策づくりと兄弟仲良く卓球で汗を流し避暑地よろしくリフレッシュなどなど特権もついてきて、、、精進しなければ「労働者」階級の資質を身に着けるには簡単ではない彼の環境だった。
現場知らずで党建設の実績経験がない彼は、また党幹部会委員長就任後に党勢拡大で一度も実績を上げることが出来ずコンプレックスを抱えていた。人々を組織できない、人々を団結させる能力のない指導者ということになるからだ。多数者革命において党建設が不得意な共産党の指導者では失格である。一般社会でも、生産物の販売業績を伸ばせず低下させる経営者であれば失格であるのと同様のことです。つまり、世の動静の実際や人々の現実について疎いという裏返しです。が、その原因の分析もできないのでは党勢後退する一方となる。
だが、1996年日本社会党解散の余波でその後の選挙票が「筋を曲げない革新政党」としての共産党に回ってくるようになると、左翼陣営全体の落ち込みや革新統一戦線勢力と党の隊列が後退状況にあるにもかかわらず、彼はかかえていた面倒な悩みから一気に解放され有頂天になってしまった。それで彼は政治の世界も口先で勝利できると自分に言い聞かせるようになった。彼は弁論で世界を変えることができるは変えることが出来ると自分に言い聞かせ、彼の不得意な統一戦線運動構築と党建設課題の呪縛から逃れたのである。綱領課題からの逃避だったのです。
そして、彼は目の前に現れた「政権」という誘惑に惹かれて『政権病』に罹ってしまった。その『政権病』の症状は1998年『暫定政府構想』の発表に現れ保守政党にもラブコールするようにまでなってしまった。免疫力が低下していた組織はその病原ウイルスに抗うことが出来ずに、やがて末期的な症状に至るのであるが、―――不破哲三というインテリゲンチャが「日和見主義者」の典型になってしまったが、彼が党首だったので組織本体が変質させられた。
◆修正主義は、共産主義の名のもとに共産主義の革命的本質を骨抜きにしようとする
「日和見主義――支配階級との対立をさけ大衆のおくれた意識に迎合し、労働者階級の階級的利益を資本家階級の階級的利益に従属させる労働運動内部の反労働者的潮流・・・右翼日和見主義は、・・・この種の日和見主義は、改良主義・経済主義・組合主義、あるいは革命党内に発生する修正主義など多様なかたちをとる。」(「社会科学総合辞典」より)
「日和見主義は、労働者階級のたたかいの中で、たえず生まれてきます。というのは、日和見主義の根源である小ブルジョアジーの思想が、たえず労働者階級の中に入ってくるからです。」(1968年2月党中央委員会教育部「共産党員の基礎知識」改定第1版P45より)
「日和見主義の根は小ブルジョア思想ですが、・・・修正主義は、マルクス・レーニン主義の名のもとにマルクス・レーニン主義の革命的本質を骨抜きにしようとする潮流で、日和見主義の一種です。現代修正主義は、アメリカ帝国主義を美化し、アメリカ帝国主義の侵略・戦争政策にたいする警戒心を失わせ、また、ブルジョア議会主義や『平和移行唯一論』を主張して、革命勢力を改良主義で骨抜きにし、さらに、マルクス・レーニン主義政党と社会民主主義政党との根本的相違を抹殺して、共産党の指導的役割を低め、統一戦線での労働者階級と共産党の指導性を軽視し、また共産党の組織原則である民主主義的中央集権制をねじまげて、党を討論クラブにかえてしまう体系的な日和見主義の『理論』をもちだしました。」(前出・同P46より)
以上引用文の後段は、60年代前半に党中央内部で発生したソ連共産党に迎合した事大主義の日和見主義分派を「現代修正主義」として評したものですが、その内容は、不破哲三と志位和夫が誘導した現在の『日本共産党』の姿と瓜二つのようではありませんか。
「アメリカ帝国主義を美化」し、アメリカ大使館に招待状を出して党大会を開く現代日本共産党の不破哲三。
財界人の講演会で「大企業と共存できる」と独占資本主義を美化し「革命勢力を改良主義で骨抜きにし」た現代日本共産党の志位和夫。
統一戦線運動をそっちぬけにして、民主党政権誕生を「日本政治の『新しい時期』」「過渡的な情勢」の出現だとバカ丸出しの情勢論を党大会決定で打ち出した、それは「ブルジョア議会主義」に染まった間抜け現代日本共産党の姿であった。
党員大量除籍、党中央機関紙「赤旗」発行危機の状態にあっても、それを中央委員会総会の議題から外しその経過も原因究明も不問にしてはばからない「党を討論クラブにかえてしまう体系的な日和見主義」の腐った現代日本共産党の党本部。
稲に似て稲に非ず稲を倒す稗、断固排除せん。