1月13日(?)の「しんぶん赤旗」(インタビューの五回目)の見出し「レーニンはどこで道を踏み誤ったのか」を見て驚きました。
内容を詳しく批判する時間はないので、第四回目のインタビュー記事から引用します。
「(山口富男文化・教育局長) はじめに不破さんの気持ちがにじみ出ているといいましたが、たとえば、『レーニン自身が新しい理論的・政治的境地へ飛び移った』とか、これは『苦し紛れ』の解釈ではないかなどの指摘とか、自分の違和感を”強引な論理で押しつぶす”といった特徴づけは、これまでにはなかったものですね(笑い)。
(不破哲三委員長) いままではレーニンの誤りも「勇み足」程度でしたからね。『国家と革命』になると、問題がはるかに重大でしたから。「勇み足」も本格的でね(笑い)」。
この人たちは何がおかしくて笑っているのだろうか。レーニンは笑いの対象になる人だろうか。それとも、不破氏はレーニンを笑い飛ばしてコケにできるほどの境地に達したのか。
不破氏は私のような末端の党員からどのように見られているか知らないらしいので、党員としてのギリギリの節度を守って、私の不破哲三観を書いておきます。
レーニンは何をしたか。レーニンはロシア革命を成功させた。生涯をロシアの貧しい労働者と農民に捧げた。15年(?)の長きにわたって亡命生活を余儀なくされ、命をねらわれ続け、革命後はテロリストに銃撃され、54歳にして他界した。その生涯は文字通り革命家の生涯であった。不破氏がしきりと一線を引きたがっているマルクスの生涯も同じようなものであった。ドイツを追われ、ロンドンで長い亡命生活をし、こどものミルク代にもこと欠き、こどもが学校へ履いていく靴代さえない、そういう赤貧の中で資本論を書き上げた。文字通り生涯を世界の労働者階級に捧げた。
不破氏は何をしたか。東京大学を出て、わずかな期間鉄鋼労連で書記をして、党中央勤務、すぐに中央役員、書記局長、国会議員となった。この社会においても日の当たるエリートとしての人生を歩んできた彼に、いつ、どこで社会の下層の人々とふれあう機会があったのか。どこで支配階級というものを肌で感じる機会があったのか。共産党員というだけで、就職の機会も奪われ、理不尽な賃金差別を受け、解雇された無数の党員存在を彼は知っているのか。党員であるなしにかかわらず、労働者階級の立場で闘い、平和や民主主義のために闘った無数の日本人民の存在を知っているのだろうか。このような彼の経歴と生活は、その右転落の軌跡とは無縁ではない。
党の最高幹部として彼は何をしたか。民青同盟員は最盛期の10分の1、党機関紙はどれほど減ったことか、20代、30代の党員は何パーセントになったか、実際活動している党員はどれほど減ったか、万を越える人が参加する大衆集会が開けなくなってからどれほどの歳月がたつか。議員と得票が増えているだけである。思い上がってはいけない。彼が成果として示しうるのは議員と得票だけである。それも社会党の崩壊という情勢と深く関連した中で増えているのである。長年にわたる日本人民の大衆運動の成果と拡大した党勢を、いうなれば過去の遺産を食いつぶしているに過ぎない。日本共産党以外の政党であれば、責任をとって辞任というのが常識的なところではないか。
彼は30年勤続の議員表彰を受けている。国費で100万円をかけて画家に描いてもらった肖像画を国会内に掛けてもらい、月額30万円の特別交通費を支給されるという特典付きだ。こんな表彰をなぜ断らなかったのか。自民党の小泉純一郎議員は返上している。
彼の右転落は、もはや彼のよって立つ基盤が日本人民の中にはなく、赤い絨毯が敷きつめられた議会の中にしかないことを示している。
このインタビューを読んでも、いったい彼が何を言いたいのか、本当にわかりにくいのですが、四回目、五回目では多少わかります。要するに、「できあいの国家機構は使えない」という命題を、マルクス、エンゲルスは「改造」する、レーニンは「粉砕」といっているとして、両者の違いを強調しています。そして、レーニンは「粉砕」ということから「(暴力)強力革命必然論」にいたったからいけない、ということです。これを、恣意的な引用を続け、まことしやかに長々と書きまくっています。「粉砕」でも「改造」でも言葉の問題でありどちらの言葉を使っても大した違いはないのであって、結局は「できあいの国家機構はそのままでは使えない」ということでいいのです。
レーニンの思想は決して「暴力革命必然論」でもないし、同時に、マルクス、エンゲルスの思想も「平和革命必然論」でもありません。なぜ、両者の間に太い一線を引かなければならないか、ということが問題です。彼は四回目のインタビューの中ではしなくもその回答も与えてしまっています。
「つまり、いま私たちが党の綱領でとっている『敵の出方論』―議会の多数をえて革命を進めるが、相手が多数に従わないで、反乱を起こしたりした場合には、これをうち破って、合法的な秩序をまもるたたかいをする―(第4回目インタビュー)」。
「敵の出方論」とは何かについて「第7回党大会における綱領問題についての中央委員会報告」(『日本革命の展望』新日本新書版上巻、236頁)には次のように書いてあります。
「2 革命が非流血的な方法で遂行されることはのぞましいことである。―中略―
われわれは日本人民の多数の意志にさからって、無益な流血的な弾圧の道にでないように、人民の力を強めるべきであるが、同時に最終的には反革命勢力の出方によって決定されるべき問題であるということもつねに忘れるべきではない。
レーニンは、『綱領は、一般に政治権力の獲得のことをのべて、その獲得方法を規定しないのである。というのは、この選択は、われわれが正確に規定することのできない未来にかかっているからである』」(同下巻、150頁)。
不破氏の発言の次の2カ所、「議会の多数をえて」…「反乱を起こしたり」をつなぐと、彼による「敵の出方論」は、「議会で多数をえて成立した政府に対して反乱を起こしたり」ということになります。そんなことは『日本革命の展望』には書いてありません。
マルクス、エンゲルス、レーニンの思想には共通したものがあり、『日本革命の展望』を著した宮本氏もレーニンを引用しています。違うのは不破氏だけです。
このインタビューにおける「敵の出方論」は不破氏の発明です。不破氏の理論は事実上「平和革命必然論」に限りなく近いと言わなければなりません。
不破氏がなぜこのような新発明を発表するのでしょうか。不破氏は民主党と組んでよほど政権につきたいようですが、民主党は「党名とあの綱領があるかぎり政権をともにできない」ことを繰り返し明らかにしています。5中総では「綱領は変えない」と言明しています。朝日新聞(2000/1/15)では、「綱領変更に踏み切れば『党員が精神的支柱を失い、党がもたない』(幹部)」と報じています。こういうことを平気で新聞記者に放言する党幹部がいることそのものが大問題ですが、不破氏が綱領を変えないというのは、党内にそれをさせないという隠然たる雰囲気があるということで、これは結構なことですが、不破氏の態度は許し難いマヌーバーといわなければなりません。新聞記事では放言をしたのは「党幹部」となっていますが、5中総における不破氏の言明と、インタビューとを関連づければ、この放言があってもなくても私の受け止め方は変わりません。
党名も綱領も変えられないので、不破氏は「レーニンと手を切った」という「念書」を民主党に提出したというところでしょう。レーニンが道を踏み誤ったのではなく、「不破氏がいま道を踏み誤ろうとしている」と言うべきでしょう。私は不破氏が革命家といえるか人物かどうかを検討することにします。