盗聴法案、住民基本台帳法改定、団体規制法、と国民監視や弾圧のための制度が続々つくられ、いま団体規制法の適用審査が行なわれています。党が提案した、団体規制法案の「対案」はオウム規制を理由として警察に団体規制の権限を与えるものです。この新たな権限を与える事がはたして国民の利益にかなうことでしょうか。“オウムは法規制してもかまわない”という主張はもちろん問題です。ここでは別の側面を考えます。
団体規制法のような法律を作ることは、権力機関の“武器”を増やすことです。警察など権力機関は監視・弾圧の政策を維持しながら、つねに権限拡大を求めています。盗聴法案や団体規制法はそれ自体が違法なものであるのみならず、名目とする範囲をこえて濫用されたり、改悪されるであろうことは容易に想定できます。
「対案」に関する党の説明によれば
犯罪から国民の生命、身体、財産を守り犯罪を予防する責務は、警察にあります。民主団体に不当な弾圧、干渉をする警備公安部門ではなく、国民の生命、財産を守る刑事部門に責任を持たせることが必要です。(オウム規制法案、木島議員に聞く、1999年11月17日「しんぶん赤旗」)
いうまでもないことですが、日本警察は警備公安警察を中心として、全組織を挙げて監視・弾圧の任務をおこなっているのです。警察のこの基本が変わったとでもいうのでしょうか。「刑事部門に責任」を持たせ、「民主団体に不当な弾圧、干渉」さえなければよいという期待は、警察権力に対する見かたが問題であろうと思います。これでは甘すぎる!と言わざるを得ません。あるいは“政権に入れば期待通りに運用できる”とでも言うのでしょうか。
いくつもの投稿で、党が革命を語らなくなったと指摘されています。権力に対する党の見かたが著しく甘い原因として、革命論の後退があるでしょう。革命は権力の問題であり、警察はまさしく権力機関なのですから。