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党員用討論欄

日本共産党は「普通の政党」か

2000/1/26 地方議員、40代、地方議員

 五中総に「普通の政党」なる言葉が出てきます。世評を紹介する形ではありますが、そのことを否定もせず、また、否定する論調でもありません。このことについてみなさんはいかがお感じでしょうか。いまだに五中総関連の投稿はないようですが、私はこの「普通の政党」なる言葉に我慢が出来ません。
 果たして日本共産党は「普通の政党」なんでしょうか。「普通の政党」であってよいものでしょうか。「普通の政党」なることぱが何を意味するか定義されていませんので、詳細にわたって論ずることが不可能ですし、勘ぐれば議論できない形でしか触れないと言う戦術なのかも知れませんが、他の政党と一緒ですよ、という意味にしか解釈できないはずです。ということは革命は目指しません、社会の根源的な変革なんて知りません、こういうことになりはしないでしょうか。
 私は危惧します。もし、本当に日本共産党が革命を目指さないのであれば、改良主義に陥っているとすれば、さらに、こうしたたたずまいから逃れられないのだとすれば、要するに科学的社会主義を放棄するのであれば、私は自らの立場を根本的に考え直すべき岐路に立たされているのではないでしょうか。私は「普通の政党」ではないからこそ、あの日あの時入党申込書に自分の名前を刻み込んだのだし、不利益を承知で自らの人生を重ね合わせてきたのです。「普通の政党」ではない、明確に他党とは「差異」を持つ、他ならぬ日本共産党だからこそ胸を張って生きてきたのです。近年のいわゆる「右傾化」と指摘される傾向にも、科学的社会主義の自浄能力に信を置いて本当は違うんだ、いつかは本来の姿に立ち戻るはずだ、個々の党員にはこんなに立派な志があるじやないか、こんな風に思ってやってきたのです。それがあっさりと何の説明もなく「普通の政党」とはあまりに情けないではありませんか。
 日本共産党は「普通の政党」であってはなりません。変革への熱い思いを胸に秘めた青年たちを魅惑するはずの、光り輝く党でなければいけないのです。わたしは残念でなりません。悔しい想いが胸を締め付け、あふれる涙を止めることすら出来ません。
 どうなんでしょう、みなさん。この私の思いが間違っているのでしょうか。とんでもない誤解をしているのでしょうか。今もなおかつ党は光り輝いていて、その輝きが私には見えなくなっているのでしょうか。どなたか教えて下さい。今も日本共産党を「我が党」と呼んだとき私の感じるかすかな羞恥の心は根拠のないものであって、かつての岩田義道や小林多喜二に連なる名誉を持って誇りとしていたように、胸を張って生きていけるのでしょうか。どなたか、教えて下さい。