「普通の政党」なることぱが何を意味するか定義されていませんので、詳細にわたって論ずることが不可能ですし、勘ぐれば議論できない形でしか触れないと言う戦術なのかも知れませんが、他の政党と一緒ですよ、という意味にしか解釈できないはずです。ということは革命は目指しません、社会の根源的な変革なんて知りません、こういうことになりはしないでしょうか。
そういうことになりはしないでしょう。
もう一度五中総の文章を見ると
【わが党にたいして、偏見なく「普通の政党」として評価するととともに、みずからの生活と未来のよりどころとなる政党-「頼れる政党」としての期待を寄せる流れが広がっています。】
カッコ付きですから、共産党自身の評価ではなく期待を寄せている国民の目から見たときの評価ということでしょう。そして「偏見なく」と形容されているのですから、それは今まであった偏見がなくたってきて普通に受入られるようになったという表現と考えていいのではないでしょうか。
つまり、共産党は暴力革命や全体主義を押しつける恐ろしい考えを持った組織だと思っていたが、議会制民主主義の枠内で改革をしている党だと国民が評価するようになった。くらいに読んでいいのではないですか。日本共産党の革命は議会制民主主義の枠内で段階的にやるんでしょう。