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党員用討論欄

京都市長選に於ける幾つかの誤解について

2000/2/12 おっとり刀、40代、会社員

 多くの選挙を戦ってきた中でも今回の京都市長選挙は、非常に静かな選挙でした。他府県から応援にきていただいた人からも、「本当に選挙をやっているの」とか「お公家さんの選挙だね」とかの発言も耳にしたくらいです。決して各個人が動いていないわけでもないのに、街宣カーやメガホン隊も最終盤しかも選挙前日および前々日を除き殆ど目にすることがありませんでした。この原因がどこにあるのかは、今後の総括にもかかわってくるので詳しく語ることはしませんが、非常に不思議な印象の残る選挙だったことは確かです。
 さて、春野氏から「民主」市政についての疑問と澄空望氏から「市民は議員や無党派との共闘」についてのご意見を頂いていますので、京都に在住する一党員としてこの問題にお返事をさせていただきたいと思います。今後の統一戦線のあり方に役立てることができたらと思い始めて投稿する事といたしました。
 まず、「民主市政」の用語についてですが、京都にきて最初の選挙が、蜷川氏最後の知事選挙でした。そのとき既に京都においては「民主府政の会」の名で選挙が戦われていました。1974年のことです。ですから京都において、「民主」の名で首長選挙がおなわれたのはそれ以前ということになります。決して最近のことではありません。そのときでも京都は「革新自治体」としてカウントされていましたので、問題はないでしょう。「民主」の語源については、あまりよく知りません。必要ならば、古い活動家に聞いておきますが私個人としては決して否定されるべきものでは無いと思っています。
 その理由は、「革新」の定義の問題です。「革新三目標」を持って革新と定義するのか、日本共産党の参加を持って革新と定義するのか、それとも反自民を持ってか。
 市長候補となった井上氏の著書があります。この著書は、赤旗を始め、地方機関紙に広告の掲載を拒否されました。その原因はあまり明確にされておりません。多くの情報を元に推察するに著書の題名にその原因があるようです。「革新的保守市政宣言」という、大胆なタイトルです。この題名が出てきた背景には、京都の特殊な事情もあります。例えば、かつての蜷川知事は「保守は味方、反動は敵」というセリフを残しておられます。また、その出版記念会において加藤周一氏はこの言葉を援用しつつ、「東京には保守すべきものはない。京都には保守すべきものがある。」と、おっしゃられました。この本の本質はこの加藤周一氏の言葉に集約されるものです。もちろん賛否はあるでしょう。しかし今の京都にとって最も大切な事柄は、この「保守」にあるのです。景観、福祉、地場産業を始めとして保守すべきものがなし崩し的に壊されてきました。政治闘争としての「保守」「革新」ではなく、住民生活としての「保守」「革新」が、このタイトルの由来です。内容を読めば一目瞭然なのですが・・・
 少し話題がそれてしまいました。私の言いたいのは、住民生活にとって必要な施策を実行できる自治体であれば、「革新」であろうが「民主」であろうが、極端なところ「保守」であろうが呼称は問題ではないのでは、ということなのです。より多くの人々や団体を結集するためには「住民本位」という用語のみが必要ではないかと考えています。
 次に、澄空望氏の「市民派議員・無党派との共闘を少しも追求しなかった」との断定には、異論を投げかけさせていただきます。大阪府知事選については、ヒゲ戸田氏の問題を始め詳しいことは承知していないので、京都市長選に限り反論いたします。
 京都に市民派議員と呼ばれる方々が幾人おられるのかは知りません。私の認識では、いずれかの政党あるいは政治団体に属しておられます。従って、市民派議員との協力共同は基本的に考えられません。但し、新社会党の方々とは政策協定を結んでいます。兵庫の岡崎ひろみ氏も応援弁士として演台に立って頂きました。しかし、民主党の議員は、現市長のために積極的役割を果たすなど、中央がどうであろうと地方の現状は、このようなものです。
 無党派との共闘については、最大限の努力をしたと考えていますす。作家水上勉氏をはじめとし、その呼びかけに答えていただいた方々、前回は名前の公表を遠慮したいといっていた沢田研二氏も今回は堂々と公表を快諾していただきました。本田勝一氏が演台に立ってくださったのは驚きすらありました。その他、永六輔氏、小田実氏、大橋巨泉氏、近藤正臣氏をはじめとして多くの著名人が協力を申し出てくださいました。哲学者鶴見俊輔氏は、政治的立場を超えて京都のために尽力を頂きました。
 もちろん、京都人も同様です。和菓子の老舗のご主人、現役の自民党員、宗教関係者その他多くの方々が、新しく私たちの考え方に共鳴していただきました。決して無党派の方々との共闘をおろそかにしたことはありません。
 無党派の若者たちも、連携を保ちつつ市長選を戦いました。ユニークな発想でこれまでの選挙のあり方すら変えてしまった部分もあります。それだけに敗北による彼等のショックは大きいものがあります。
 にもかかわらず大敗を喫してしまった。その原因を深く探る必要は充分に理解しています。客観的には善戦だと思っています。2期目の現職の強さをいやというほど知らされました。しかし私たちは、勝ちに行ったつもりです。無党派への働きかけが弱かったといわれればそうかもしれません。戦術的な未熟さを指摘されれば、否定はしません。ヒステリックな反共攻撃に対処しきれなかったのかもしれません。しかし、残念ながらこれが今の私たちの力の限界であったことは事実です。日本共産党一党でも勝てるにはどうすればよいのか引き続き考えていかなければなりません。いみじくも候補者が「今回の選挙は前回の4000票余りをの差を基本に戦ってしまったのではないか。2期目の現職に対する挑戦という大きなハンデを見過ごしてしまったのではないか」と発言していました。その通りだと思っています。
 私たちは、また新たな挑戦者として京都から狼煙を上げたいと思っています。ですから、「無党派との共闘を少しも追求しなかった」などという無責任な断定した発言は撤回していただきたい。少なくとも、力の限界はありながら、現時点における最大の追求をしたつもりです。日本共産党の一党のみで勝てる選挙だとは露ほどにも思っていませんでしたし、これからも多くの方々との共闘を追求していきます。そしてそこでは「革新」にこだわるつもりは、毛頭ありません。
 現時点における情勢は、「保守」「革新」の定義で括れないところにまで生活が脅かされていると考えます。「生活防衛闘争」の観点からの統一戦線の必要性を感じています。ですから、民主党その他の政権構想などについても、皆さんと意見を同じくしていないと思いますが、大いに議論していければ幸いです。
 大変長くなってしまいました。なかなか、時間を確保できないので参加を遠慮していましたが、これからはたまに顔をのぞかせるかもしれませんのでよろしくお願いします。