この間の投稿、全部読み切れないので、東ティモール問題や政権論に関わるもののみを読んで、具体的な論点での批判や評価ではなく、私なりに思ったことを漠然と述べさせていただきます。
いくつかの重要な論点は、おそらく資本主義の構造変化をどう認識するか、分かりやすく言えば、今日における敵は誰か、に関する認識に関わるのではないかと思います。大競争時代・情報化社会・グローバリゼーション・構造改革といったスローガンは、例えば多国籍企業段階といわれるような、資本主義の歴史段階の大規模な転換に起因することは確かだと思います。これは人によって解釈の違いはあれ、例えば近代と現代といった言い方で私たちがこれまで区別してきた資本主義の歴史的転換に匹敵する大規模な変化のようにも思えます。生意気な言い方で恐縮ですが、というか私だけかもしれませんが、革新側はこの間のこうした「敵の変質」を軽視してきたのではないでしょうか。あるいはこれに十分対応できないため、理想を喪失し、理想よりも所与の条件に是々非々で対応するということしかできなくなっているのではないでしょうか。このような事態は、まともに考え悩む青年層の中の貴重な「少数派」を、ますます政治から遠ざけているようにも思えます。
例えば自民党政治という言葉があります。一体これは何でしょうか。過去の「自民党政治」の中には、今日にも継承されているかに見えるものがいくつかあるでしょう。しかし財界や小沢グループ・マスコミはその「自民党政治」を打破しようとしました。例えば、農村への「ばらまき」や職のない地域への公共事業という「ムダ」を支える保守層は「守旧派」とされ、保守政治の主流ではなくなっています。最近の国会中継を見ていても、民主党は橋本政権の構造改革路線を援用し、小渕政権をかつての「自民党政治」が蒸し返してきたかのように位置づけて攻撃しています(民主党が財政再建よりも行財政構造改革が必要だという場合、それが小沢グループ以来の規制緩和や弱者切り捨て路線と何ら変わりないことは明らか)。しかし小渕政権がかつての「自民党政治」と同じというのは明らかに民主党の選挙向けレトリックであって、実際は自自公政権は民主党と同様に「構造改革」を進めて行くでしょう。私たちが敵とすべきは、右からも批判されることのある曖昧な「自民党政治」という観念ではなく、新しい資本主義の段階に呼応した諸改革とそれを遂行しようとする勢力ではないでしょうか。
このことは「敵」に対するイメージの大きな転換を必要とするように思えます。誰が見ても問題のある官僚の腐敗(しかし腐敗などというものは民間の組織にもありますが)などを真の「敵」だと考えていると今の世界に起こっているダイナミズムに十分対応できないと思います。今まさに、先進国のみならず南の国々も含めて問題になっているのは、多国籍企業と一部のエリート労働者だけが「勝ち組」として君臨するけれども、表面上は開かれた社会であるかのような、新しい競争体制ではないでしょうか(これは私の勝手なイメージかもしれませんが)。このことは、いわゆる「覇権主義」の問題にも感じます。日本では、天皇制の思い出と結びついています、ナショナリズムの臭いのする軍国主義は、たしかに現在でも警戒が必要ですが、新しいグローバル資本主義の秩序を維持するのはナショナリズムでしょうか。国際機関であろうと、オーストラリアであろうと、要するにグローバル資本主義の秩序維持を担うものこそが、我々の「敵」ではないでしょうか。一切の「秩序維持」機能を否定すべきかどうかという超歴史的議論を展開する能力は私にはありませんが、これまでの列強帝国主義や冷戦体制とは異なる、多国籍企業経済のための多国籍な強制権力が主役になりつつあるという、90年代の歴史的転換の意味をこれまでのように軽視し続けていいのかどうかが問われていると思います。
ごちゃごちゃいって自分でもまだ整理できてないのですが、新しいグローバル資本主義は、自由や選択の名で美化される「競争体制」とか、その体制を維持するための「国際貢献」など、全体としてスマートな外見を持つ支配体制ではないでしょうか。このようなスマートな真の「敵」に我々が対抗できるかどうか、この点が私は不安なのです。不勉強で恐縮ですが、あえて未整理のまま思いを述べさせていただきました。みなさんのフォローを期待します。
最後に政権構想について一言だけ。
個々の論点については置いておくとして、私が率直にいって「政権構想」に希望を抱く人に聞きたいのは、政権に入らないと我々の存在価値はないのかということです(暗にそう聞こえるのです)。共産党はもとより、社会党ですら、政権に入ったのは戦後の歴史の中でごくわずかの時期を除いてありません。しかし例えば自民党が憲法改正を諦め、自衛隊を今まで外に出せなかったのはなぜでしょうか。社会党は確かに一時期大きくなりました。しかし社会の中からわき上がる平和と民主主義を求める「力」が、社会党の政権入りとは全く別の次元で自民党にストップをかけてきたのではないですか。社会党が政権入りしたときに、これ以上のことができたでしょうか。もちろん私は政治を否定はしません。新しいグローバル資本主義に対抗するためには、それへの対抗戦略を持った政権が必要だと考えます(そのような政権は一国では無理かもしれません)。しかしいま私たちがもっとも必要とするのは、新しい支配に対抗できるような大衆的な「力」、例えば未組織の不安定就労層がいかにして競争体制を克服するために団結できるか、これまで先進国の革新勢力に軽視されてきた南の国々の大衆運動とどう連帯していくかといったような、そういうダイナミックな社会変革構想ではないでしょうか。このような社会変革構想の上にないような政権構想がいったいいつどこで成功したといえるのでしょうか。例えば最近のものでイギリスのニューレイバーはどうでしょう。彼らはグローバル資本主義の中で生き残り競争をしていくことしか展望をもっていません。それは彼らが我々と違ってしょせん「社民」だからでしょうか。問題は彼らに社会変革をする力と理想がないことだと思います。
最後に、こうした場を借りて、我々同志の中でときには対立的になってまでも誠実に議論しあい、グローバル資本主義という真の敵へ向けた対抗戦略を共に模索していくことができることを信じています。