はじめに、前回の投稿で「市民派議員・無党派との共闘を少しも追求しなかった」と述べたのは明らかな誤りであり、取り消したいと思います。私は大阪知事選のことはある程度わかりますが、京都市長選のことは情報源がないのでわかりません。ただ選挙期間に入る前!!であったにもかかわらず、井上候補の勝利に必要な票をすでに読み切ったという怪情報が党員の間の口コミで私の耳に入ってきました。私はその時点で、京都市長選は勝てないと思いました。その意味では、
「いみじくも候補者が「今回の選挙は前回の4000票余りをの差を基本に戦ってし まったのではないか。2期目の現職に対する挑戦という大きなハンデを見過ごしてし まったのではないか」と発言していました。その通りだと思っています。
という「おっとり刀」さんの感想はうなずけます。
大阪の民主勢力は、部落解放同盟との熾烈なたたかい、全国にさきがけてオール与党対共産党でたたかってきた経験があるため、京都に比べれば、よい意味では戦闘的、悪い意味ではセクト主義的です。今回の選挙の敗因は、いろいろあるでしょうが、根本のところは、ヒゲ-戸田さんの投稿から推測できるように、これまでの組織選挙の枠を抜けきれていないところにあると思います。
では、どのようにして現状から脱皮していくのか……これは若い力でしか変えることはできないと思っています。しかし、運動の世代交代に必要な若い世代の活動家は少なく、非常に厳しい状況だと思います。このような人的に厳しい状況のなかで無党派との共同の努力がもっとも必要なときに、党は中央段階では、新自由主義推進勢力である民主党との共闘ばかりに目が向いているように思われ、それが「ねじれ」ではないか、というのが私の問題意識でした。住民の立場にたつ統一戦線の構築に必要なものは、それに背く勢力に対する厳しい批判(この場合は、民主党に対する批判)と
、草の根からの共同(財界人や有名人などではなく)の努力ではないでしょうか。
次にタケルさんの投稿について
かなり?相違点が浮き彫りになってきたように思います。最新の「さざ波通信」でも再び不破政権論が取り上げられており、まだよく読んではいませんが、私としては概ね賛同できるもののように思いました。
やはり必要なのは具体的提起では??
最初に整理しておきます。タケルさんは、過去の暫定内閣の提唱の例をあげて、安保問題の留保ということは今回が初めてではないと言われています。これはその通りです。今回は、不破委員長が「政権論」と述べていることから明らかなように、今回の「不破政権構想」は、連合政権に関するわが党の基本方針(=「政権論」)とみなすことができます。つまり、「不破政権構想」とは一般的な「政権論」であり、これまでの暫定内閣の提唱は(順番としては逆ですが)その具体化であったということです。そして頭においておきたいのは、今回は過去の提唱のような具体化をしていないということです。
このように整理してみると、確かに「破綻した」という言い方はおかしいかもしれませんね。だからこそ、私は「無責任」だと言ったわけです。現実に政治を動かそうとする政党が、政権についての一般論を提出して事足りるという姿勢は無責任に思います。もちろん、わが党は「日本改革論」と言われているものを主張してはいますが、「しんぶん赤旗」を使って、自自公政権が「統治能力もない」だとか言う以上は、それに替わる政権の緊急課題を掲げること、また現在の日本政治に一番求められている課題を解決する政権をつくろうじゃないか、と呼びかける――そういうものが必要だったと思います。与党に統治能力がなくても、野党がそれ以下であれば与党の方がマシということになります。国民にソフトだと思わせればよい、というものでなく、この党に任せられるのかどうかが問われているわけです。
90年代の闘争経験を踏まえたものになっているか??
具体的な構想ではないといくら説明したところで、現実の政治闘争をたたかっている現場党員からみれば具体的に考えざるをえないですし、我々は90年代に社会党の崩壊を目の当たりにしているわけです。政権をどのように考えるかは、過去の党の提唱との一貫性よりもむしろ、これら最近の闘争の経過・経験を踏まえた上でのものでなければなりません。しかしながら、党指導部の方針から、それについてどのように考えているのか見えてきません。そこから、無原則ではないかという不安・批判が出てくるのでしょうし、「さざ波」の言う「破綻」説にもなるのでしょう。私はこのように理解しています。
具体的な政権構想を出さなかった、それは言い換えれば、暫定政権を成立するためには思い切った譲歩する用意があるということを共産党として明らかにしたわけです。それも連立する場合の相手としては、新自由主義勢力である民主党くらいしかないわけですから、心ある党員の間で無原則な譲歩や社会党の二の舞を危惧する声が出ても当然だと思います。
また、そのような「暫定政権」で予想される政権の基本的性格が、部分的に打破するものであったとしても、なお「自民党政治」の枠内にとどまらざるをえないと思います。支配層の基本政策は安保の維持・強化、それに対するわれわれの基本政策は廃棄であるはずです。その場合に留保=維持だとすれば、やはり基本政策としては「自民党政治」の枠内であり、そのような内閣へ共産党が入閣することは、かつての社会党の道とどう違うというのでしょうか?
安保問題で留保という条件が、たとえば民主党を本当に縛るとでもいうのでしょうか? タケルさんのように縛ると考えれば、それなりに方針としては正当性があると思いますが(私は基本的には労働者階級に依拠しない政党との連立政権はいかなるものであれ反対です)。もし縛ることができるとすれば、それは安保問題での大衆闘争が高揚し、それが支配層にも民主党にも圧力となって現れる場合だけではないでしょうか?