非常に長い論文なので政権論についてだけ具体的に反論します。しかし、他の部分も非常に論調は似ていて、その原因も同様だと思いますので、「さざ波通信」編集部の誤りの原因についても言及させて下さい。
政権論については、私と澄空望さんの議論をご覧になっていないと思われますが、昨年「さざ波通信」が3中総を批判していた論調と何ら変わらない議論が展開されています。
【民主党は野党色を出す必要にせまられて政策を表面的に糊塗しているに過ぎず、そもそも新自由主義・帝国主義を目指すブルジョア政党だから連合政権を組むべきではない。その民主党に連合政権を呼びかけることは、そのことが労働者や市民や党員の政治意識を混乱させる愚行だ。その原因は不破執行部も与党病にある。】
論文は長く、言葉はもっと過激ですが、要約すればそういうことでしょう。
3つの点において批判したいと思います。
第一に、編集部が労働者と市民の運動が要求から始まるものであること忘れていることです。この点で労働者と市民の運動を軽視しているのは共産党中央ではなく編集部であることを指摘しなければなりません。
多くの運動はその要求を実現させるために、行政や議会に対して行動を起こします。もちろんそのための力が必要ですから市民に対して呼びかけて組織を強化するでしょう。そこで行なわれる署名や請願などは、要請する相手である政党や行政府の主義主張に関わらず行なわれるものです。こうした運動においては、要求が実現するかどうかが重要なことであり、民主党(ないしは行政府や他党)の「本質」が新自由主義かどうかなんぞ関係ありません。
通常はそうした「新自由主義」なりなんなりの保守政党が、なぜその要求が聞き入れられないかを考えることで、政治的な意識が芽生え発展するんです。もし、それが表面的な糊塗だったとしても、要求を聞き入れて国会で行動してくれた政党に対して、その「本質」が「新自由主義」だから共同しちゃならんなんてことはありません。考え方が逆立ちしています。
2つ目に、連合する政党の「本質」こそが問題だという綱領の統一戦線の立場を理解しない狭い態度の問題です。宮本議長が「日本革命の展望」の中で述べているように、革命を一歩ずつ進めるための原動力は統一戦線であり、様々な段階でそうした統一戦線の闘いを進めるにあたっては「小異を捨てて大同に付く」のではなく「大異を保留して大同に付く」ことが大事なのです。現在日本の津々浦々で、民主医療機関と医師会、民商と商工団体連合会、農民連と農協、などの話しあいが進んでいます。階級的にはプチブルですよ。まさに編集部の言う「民主党の依拠する都市中上層市民」ではないですか。こうした層と共同の政権の議論せずに、日本革命はありえません。
3番目が、「不破執行部の右傾化」という類の批判です。これは原因ははっきりしていて、ブルジョア新聞の「共産党のソフト化路線」という論調に毒されているに過ぎません。私が示したように、76年にも89年にも、もっと踏み込んだ形で共産党は「連合政権構想」を打ちだしています。いずれも安保に対しての態度は保留が前提です。ことこの問題に関しては、党が大きな変化を見せたわけではないのです。
その他の問題にしても編集部の認識に共通する誤りは、ブルジョア議会主義を警戒するあまりに陥る議会制民主主義を軽視する論調だと思います。そしてもう一つは当面する真の敵がアメリカ帝国主義と日本独占資本であることを忘れ、民主党なり新自由主義なりと闘おうとする小児病です。
あまり複雑ではない反論をお待ちします。