タケルさん、しばらくでした。この間、JCPウォッチに書き込まれていたようですね。「こんびーふ」さんとの議論を興味深く読ませていただきました。私は「こんびーふ」さんの考えに近いです。私はまだなお共産党内でがんばろうと思っているという点が違いますが……。タケルさんとの議論は、だいたい行き着くところまできたかなと思いますが、簡単に返事しておきます。
はじめに、私の投稿をみた友人より指摘がありましたので一部訂正しておきます。前回の投稿で、日本共産党の統一戦線の原型を「反ファシズム統一戦線」だと書きましたが、正しくは「人民戦線」というべきでした。「人民戦線」戦術の誤りは、反ファシズムなどの名目のもとに、帝国主義的ブルジョア政党との連合政権を選択するところにあります。不破政権論も突き詰めればこの「人民戦線」戦術であると言えるのではないでしょうか。
入閣と閣外協力の違いって何でしょうか。共闘と暫定連合政権の違いって何でしょうか。その辺りが良く解りません。私は、与党になるのは価値あることだと思っています。
共闘と連合政権の違いは「さざ波」の論文にも説明がありますし、私もすでに述べました。わからないと言われても答えようがありません。逆に、私の質問には十分答えていただいていないように思いますが、それはともかく、タケルさんの意見は、政権に入ることは価値があることだということにつきるようです。
タケルさんの政権についての考えは、どういいつくろってみても単純な議会主義であると思います。要求実現の運動があって、国会に請願する、相手は誰でもよい、その中で、どこが自分たちの味方でどこが敵なのか学んでいくのだ……こういう考え方をすれば、確かに政権に入れば、ややこしい要求実現運動もラクになるし報われるというものです。しかし、この考え方のどこにも代議制民主主義を超えるものはありません。革命の運動は、ただの要求実現運動ではなく、市民社会のありようを変える運動だと思うのですが……。
「ブルジョア勢力」をどこまで広げるつもりですか。民主党の支持層はプチブルないし都市労働者でしょう。こうした人々と手を組まずに日本革命は有りえません。確かに民主党の本質は新保守と言っても差し支えないと思いますが、変わりえるのです。例えば、産別に対抗して産まれた総評が日本の労働運動を支えてきた歴史を思いだして下さい。
前の投稿で言いましたように、だからこそ、民主党に対する厳しい批判と大衆運動による包囲が必要なのです。
我々の闘争に何のブレーキもかける必要はありません。民主党なりとの連合政権のために、各方面の闘争が抑制される必要もありません。世界史的に階級闘争が抑制されたのは、目の前に侵略戦争とファシズムという強大な敵がいたからです。今の私たちの目の前にいるのは、アメリカ帝国主義と日本独占資本です。日本の経済と財政の危機はまさに彼らが作りだしたものです。
しかしながら、現在の力関係をみれば明らかなように、それを打開するのはわれわれではなく彼らです。彼らなりの打開に共産党が手を貸すことがあってはならないと思います。
国政の重要な問題で、我が党が言うべきことを差し控えているとは思えません。ただ国会の勢力からくる批判のあり方として、野党に対する批判でなく与党に対する批判が重要視されるだけのことでしょう。自民党はアメリカ帝国主義と日本独占資本という私たちの支配者の代弁者であり続けましたが、その他の政党がどういう態度をとるかは、その時々の局面で変わりうるものです。私たちの当面する敵は、あくまでも「アメリカ帝国主義」「日本独占資本」であって、新保守主義や民主党や自由党ではありません。
自民党=「アメリカ帝国主義」「日本独占資本」の代弁者で、その他の政党は時々の局面で変わる? 確かに戦後長く続いた自民党政治の枠組みはそのようなものでした。現在はそれの変革過程にあるのではないでしょうか? それが帝国主義化と新自由主義という二つの主要な側面を持っていると私は考えています。そのときどきの支配層の政策を的確に把握しなければ、体制変革の事業はなりたちません。
また「安保留保」が共産党だけでなくて相手も縛るというのは幻想です。現実の政治をしっかりみてみましょう。政権は国政をコントロールするんですから、基本政策で一致していなければ安定的な政権とはなりえません。もめたら解散と簡単に言いますが、それをあえて留保して暫定政権をつくる意義、暫定政権を作ってでも実現しなければならない問題とは何でしょうか? あるんなら、共産党中央はただちにそれを主張すべきです。でも主張していない、できないんでしょう? なぜなら、現指導部は政権参加を優先的に考えているからです。日本独占資本とアメリカ帝国主義とのたたかいのために与党批判が優先されているという解釈はあまりにも善意すぎると思います。