青年党員の自覚のなさ、これは日々実感しています。そもそも共産党員たる者は、革命のプロであり、共産党は革命に最高価値をおいているはずなのに、あまりの理論水準の低さ、熱意のなさ、自覚のなさ、もうこれは痛すぎです。
党の全体像を示さずに、気軽に(?)入党させている指導部の責任は重大です。
少し前の「赤旗」に、京都の選挙に関する総括の文章が載っていました。なんと、五中総に照らせば明らかに誤りであることをやっておきながら、指導部の誰もが気付かなかったようです(もっとも、誰かが気付いていたのに、その意見が通らなかったというのであれば、それも問題ですが)。
はっきり言って、京都は大敗北だったんじゃないですか? それも指導部のミスによって。民主主義の最高形態たる民主集中制(これは断じて、「民主」と「集中」という別個のモノを「統一」したモノなどではない)を採る革命政党であれば、こういったミスを犯したとき(ミスは誰でも犯すものである)、責任をとってそのポストを退くのが当然です。人に指摘される前に、すすんで退くのが民主集中制の原則です。しかし、誰か、今回の京都の選挙で、その最高責任者である人物(京都府委員長かな?)がそのポストを降りた、というようなことを聞きましたか? 「やめることだけが責任のとり方ではない」などど言うつもりでしょうか? それならば私は言いたい。「あなたの論理は、保利氏のそれと同じですよ」と。議会を通じての「革命」をめざしているのであれば、今回の選挙がかなり大きな意義をもっていただけに、その分責任も重大であったはずです。
理論水準の低さ、これはもう教育する方のレベルが低いのだから、教育される方は、いくら熱心に学んでも、骨折り損のくたびれもうけ、あるいは学べば学ぶだけ馬鹿になる、といった状況です。ある意味では「洗脳」(私風に言えば、イデオロギー教育)は絶対に必要ですが、やり方が拙すぎます。
断言できますが、創価学会の方が理論水準は上です。「赤旗」で学会の反動性などを暴露するのもいいが、もっと創価学会から組織論のイロハでも学べ、と言いたいです。
アタマの弱い反動思想家の攻撃など、「一蹴」できて当然の革命政党でありながら、不破論文ごときで、「未踏の領域に踏み込む」などとは、怒りを通り越して、開いた口がふさがらない状態です。
因みに、不破哲三なんか私の足元にも及ばない、と言っているわけではありませんよ。地上から見ても、一階建ての平屋と五十階建てのビルとを比べれば、どちらが高いかは分かります、というくらいの意味です。