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党員用討論欄

タケルさんの議論にはがっかり

2000/4/5 澄空望、30代、会社員

 タケルさんの投稿読みました。編集部に対する反論ですが、編集部からのレスがまだないようですので、お先にレスさせてもらいます。
 タケルさんの今回の投稿では、「さざ波」の党員専用投稿欄で議論する意味とか綱領に照らしての議論という冒頭の部分にはうなずけましたが、肝心の今回の反論は、正直言って期待はずれでした。しかし同時に、これが現在の一般的な党員の思考を表現しているのかな、という気もしました。簡単に指摘しておきます。

綱領に照らして、それからが問題

 これは、綱領が規定している日本を支配する2つの敵、アメリカ帝国主義と日本独占資本の戦略が「新自由主義」と「新帝国主義」という新しい「基本路線」を選択したという、「さざ波通信」編集部独自の考えです。しかしこのような考えは綱領のどこにも出てきません。「新自由主義」「新帝国主義」の文言も大会決定やその他の党の文章でも見たことがない気がします。もし事例があれば教えて下さい。

 まず現代日本政治において「2つの敵との闘い」とはどのようなものであるべきなのか、タケルさんはどのように分析されるのでしょうか? まさか日米支配層の分析もなしに、ただ綱領だけ依拠すればよいとは思っていませんよね? 綱領はあくまで指針・路線であり、そこからの具体的分析から実際の政策を検討する必要があります。
 「新自由主義」や「新帝国主義」などの用語については、逆にタケルさんに質問しておきます。この投稿欄に掲載されている「北島まや」さんも読んでいると書いている「渡辺治」の著作を読まれたことがありますか?
 渡辺治氏とは、日本共産党の国会議員団の学習会に講師として呼ばれるほどの論客です。彼の著作には、「さざ波通信」で論じられている日米支配層の政策の特徴づけと同じ分析がみられます。もし渡辺治氏が党の幹部でもなんでもないではないか、と言われるなら、「野呂栄太郎賞」を受賞した工藤晃氏の著作では、「大企業の多国籍企業化戦略」とか「多国籍企業の利益のためのグローバリゼーション」とか「『新古典派』とよばれる経済政策」などの用語があります。また、たまたま手元にあるので書きますが、去年の『経済』11月号の「座談会」(上田耕一郎・二宮厚美・渡辺治)では、渡辺治氏が日米支配層の政策を「新自由主義的な改革」・「軍事大国化のための『改革』」と特徴づけ、それを受けた上田耕一郎氏は、「日本の経済と軍事のアメリカ的グローバリゼーション化」・「日米安保のNATO化」と言っています。用語はそれぞれ微妙に違いますが、それらで表現されいていることはほぼ同一のものであることは文脈をみれば明瞭だと思います。
 このように「さざ波通信」の分析は、なにも独自の新しいものでもなんでもなく、共産党関係の研究者や幹部が行なっている現代の日米支配層の研究・分析と一致しているのです(これらは、われわれ党員の間の共通認識とすべきことだと私は思います)。現在の党指導部と言っていることが違うのは、国政における闘いのやり方であり、実践的結論についてです。民主党と連合政権を組むことが、これらの政策の歯止めとなるのかどうか、それが問題になっているのではないんでしょうか。この点についてタケルさんはどうお考えなのでしょうか?

広範な統一戦線が成立するために必要なものは?

 綱領で指摘されている「国民の分裂」は、一人にぎりの大企業、反動政治家、上層官僚と、その支配の元に矛盾を深める、労働者、農漁民、勤労市民、知識人、女性、青年、学生、中小企業家などがあるだけです。(ちなみに後者をさして「人民」と呼び分けることがあります。)そしてこうした階層の人々を結集して、広範な民族民主統一戦線を作るのです。もちろん綱領には民族民主統一戦線について、【反動党派とたたかいながら民主党派、民主的な人々との共同と団結をかため……】という記述がありますが、この反動、民主の両党派というのもまさに2つの敵に対する態度を問題にするのであって、最初からその党の「階級的本質」を問題にして区別するような考えが科学的社会主義のものでないことは明らかです。

 広範な民族民主統一戦線を作ることに努力することは党として当然のことです。この場合の広範な統一戦線とは、政党の組合せのことでないことはタケルさんも理解できますよね? あくまで「2つの敵に対する態度」で党と一致した「民主党派」との統一戦線です。「さざ波通信」のどこにも、それを否定している議論はみあたらないように思います。ここはタケルさんの思い込みかもしれません。
 また、階級的分析のない「科学的社会主義」って何でしょう? 私の理解とは違うようなのですが。

 大多数の国民は被支配層ですから、ほとんどの党の支持層も同じです。その意味でいえばどの党も支持層の本質的な要求に従えば変わりうる可能性を持っています。しかし自民党は長年アメリカ帝国主義と日本独占資本による日本支配を政治の上で司ってきたわけですから変わることは極めて困難であり、自民党を支持する人々は日本支配と矛盾を投票行動に現せない人々です。他の党は全て様々な角度でこの政治支配構造との矛盾を抱え、それを変えようというエネルギーが内在しているのです。

 ここもさっきの部分と同じなのですが、政党とその支持層との混同がみられます。
 どの党も本質的な支持層の要求に従えば・・・などといいますが、それらの支持層が自らの本質的な要求に芽生えさせるにはどうすればよいでしょう? 共産党が民主党と組めばいいのですか? 違いますよね。何度もいいますが、それらの政党が、自らの本質的な要求と合致しないということをわかるように、左翼の側が批判し宣伝し、運動を作っていかなければならないのです。そして、それらの政党が、本当に変わったのなら(私は変わるとは思いませんが)、そこではじめて連立ということが問題になるのであって、連立が先にありき、ではありません。連立が先にありきでは、それこそ「逆立ち」でしょう。

 問題別討論欄に「かまくら」さんという方が大阪の教育現場での共闘について書かれています。私は彼の主張に賛同しますし、ここで報告されている共闘・統一戦線こそが今もっとも求められているものだと考えています。