関西さんの議論は、1,何故、党内で議論を展開せず、「破壊主義的」議論を党外で展開するのか2綱領路線の否定ー政権論の批判というシェーマに無理がある、という二点に整理されると思います。
1について
関西さんは、一方で民主的運営が絶えず気を配りまもられてきたと主張し、一方でかつては猛烈な官僚主義が存在したと主張しています。いったいどっちなの?といいたいところですが、それはさておいて、問題なのは、第一に本当に党の運営は民主的なのかということです。「さざ波」でさんざん議論されているように、日の丸法制化論は、党の上から降ってわいたように現れ、恐らく少なからぬ反対が存在しただろうに、なし崩し的にすすめられ、自民党に利用されて法制化されてしまいました。今や共産党の法制化容認発言が要因の一つとなったということは、共産党以外では常識です。しかもいまだにこれにたいする総括も責任もとられていない。また、あとの2の問題とも関わりますが、政権構想」問題でも、この重大な方針の転換(「発展」でもべつにいいが)が、未だ党大会にもかけられずにすすめられている。しかも最近は党内で議論されるまえに、マスコミで先に不破委員長が新しい方針をしゃべってしまうということが続いています。これのどこが民主的運営なんですか? 第二に、「堂々と政権論議を全国民と行う」いいかえれば「ひらかれた議論を展開する」ならば、何故・・・文字化け・・・。
2について
関西さんは、いまが「せめぎ合いの時期」であるといいます。そしてここをめざして歴史が進んできたと主張します。でも、ちょっとまてよ、我々は政権をとるためにがんばってきたのだろうか? それとも革命を起こすためにがんばってきたのだろうか? もちろん現在の先進国の革命は議会をその主たる闘争の場として位置づけなければプログラムは組むことができないのは明白です。したがって私も政権論一般がいらないといっているのではありません。しかし現在の議論はすべて「暫定」「暫定」です。いったい我々はいつから目指すべき社会の構想をもたずに、目先の政権をとるかどうかだけでカタルシスを得るようになったのでしょうか? 本当に現在の政権論は、目指すべき社会の目標に照らし合わせて語られているのでしょうか? TV討論会などで、民主党の議員が「共産党とは絶対くまない」といっているのに、我が党の議員が聞こえないふりをしているのをみると、我々は一体どこへ連れて行かれるのかと不安でなりません。関西さんは、「政権に入っても、歴史の揺り戻しがあるかもしれない」といいますが、その最大の教訓は日本社会党の運命ではないでしょうか? あのときの・・・文字化け・・・
以上
かなり文字化けになっています。「雑草」さん、この欄をみられましたら、お手数ですが文字化け部分の再送をお願いします。(編集部K・S)