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党員用討論欄

さざなみ通信12号雑録批判など

2000/6/4 おっとり刀、40代、会社員

 ご無沙汰しています。編集部の見解に対して必ずしも同意していないと、私見を述べておきながら、時間的都合で反論を留保していましたが、このままでは恐らく夏頃にならないと反論の機会が来ないと思われますので(私的な理由からです)、選挙での結果が出る前にこのたびの雑録を基準に他の方と重複しない範囲において批判を試みたいと思います。なお、再批判などがあった場合などは内容によってはレスが遅くなる事もありますのでご了承ください。

(一) 雑録1について
 編集部の論点の主たる部分は、大衆運動における要求闘争(経済闘争)に展望を失ったため、選挙での躍進(政治闘争)に相対的比重を置くことにより現状打開を図っていると言う事であり、ご丁寧に「日の丸君が代」問題を例に挙げて説明をされています。カッコ内は不破委員長の言葉であり、編集部の論旨から推察するに同様の意味で使用されていると解釈いたします。
 まず、現在における大衆運動はタケル同士の指摘にもあるように複雑で困難な状況にあることは事実ですが、展望を失っているわけではありません。「地道な活動に展望を失った不破指導部」と規定する具体的根拠が明確ではありません。「日の丸君が代」問題が、教育現場(単に現場としての規定しかしておられないのでそれ以外を想定されておられるのかもしれませんがその後の文脈や、さざなみ通信の過去の投稿などからそう判断いたしました)の反対闘争における展望のなさから提起されたのが事実であれば一定の根拠付けになるかもしれませんが、単なる推測に過ぎません。私自身はその様な観点からこの問題を捉えていないのでこの問題が具体的根拠にならないと考えています。
 私自身この不破報告から読み取れる事は、史的唯物論に基づいた闘争方法の多様性です。即ち、上部構造・下部構造の相関関係を具体例をあげて説明しているに過ぎないと考えます。決して、大衆運動を軽視しているようには受け取れません。「日和見主義路線」とレッテルを貼るのは結構ですが、全てその視点からのみ物事の事象や指導部の言動を判断しているような感じを受けます。
 多数者革命は砂上の楼閣であってはならない事はご指摘の通りですが、それを理解しない日本共産党員ばかりだと本当にお考えですか。(雑録4に記述されている99%の党員云々の意見とも重ねてお聞きしたいものです。文責者が同じ方の様ですので)

(二) 雑録2について
 パンフレットに関しては、編集部自身が末尾で書いておられるように「政治の争点を示すもので、全てを網羅できるものではない」(要約)ことは明らかです。にもかかわらずあえて論点を提供されているので、一つずつ考えてみたいと思います。必ずしも編集部の論点と重ならない部分もあるかと思いますが、私見と言う事でご了承願います。
 まず、「漸進主義」に対する批判についてですが、運動論における弁証法的発展形態と、現実政治における政策的発展性と混同してはおられないでしょうか。私の個人的意見としては、「激しい激動」は経験しないで済むなら経験しないに越した事はないと思っています。場合によっては多くの国民を不幸に陥れる可能性を秘めているからです。誰も無条件で社会が発展するとは考えていませんよ。この一歩一歩と言う量的なものが質的なものに転換すると確信しているから、一見改良主義とも見える政策に同意しているのです。コミュニストとしての立場は堅持しているつもりです。
 勿論編集部が指摘しているように、社会矛盾の深化の中で打開の方向を右翼ポピュリストに求める危険性は潜在的に存在すると思っています。だからこそ、打開の方向性があることを多くの国民に知らしめる日本共産党の役割は重要です。然しそれが「大胆な改革」(編集部がどのような意味でこの用語を使用しているかはわかりませんが、民主党のそれではない事は明らかでしょう。国民の意見を二分するような事柄を想定しているとすれば、現段階においては適切な方針だとは思われません)を打ち出す事により、解決できるものだとは考えません。このパンフレットに書いてある事ですら、多くの国民にとっては「大胆な改革」と映っているでしょうから。
 次にアメリカ資本主義美化の問題ですが、本当に編集部の著者が日本共産党員なのか疑ってしまうような内容です。党指導部がアメリカの社会矛盾やヨーロッパの現実に無知だと考えておられるのでしょうか。赤旗や党出版局発行の紙誌、その他多くの資料によって記述されている事柄ではありませんか。ここに記されているのは、資本主義においても人民に有益な事柄が諸外国の例を挙げて指摘されているに過ぎません。勿論こういったことを実現すれば、アメリカやヨーロッパのように悲惨な状況(?)になると言った具体的指摘があれば検討いたします。
 編集部の言われる「民衆の切実な要求からの出発」とは、具体的に何なのでしょうか。私は「資本主義の枠内での改革」は、切実な要求だと思っています。社会主義を今求められているとは思えませんし、自衛隊や天皇制の廃止だとも思えません。安保にしても、残念ながら多数意見だとも考えられません。(このことは、こういった運動を否定する事ではありません。時間をかけるべきだと言う事です。安保に関しては、事件が起きる度にその不当性が指摘されるので、意外と早いかもしれませんが)
 最後に、軍事費削減と新ガイドライン法案・有事立法の問題です。まず軍事費削減の問題ですが、確かに最近のスローガンにはあまり強調されていません。軍事費削減要求は、一つには財政赤字・経済危機の問題とリンクして使用されてきた経緯があります。勿論、自衛隊やアメリカの軍事戦略との絡みでも論じる事は出来るのですが、編集部の論点にありませんでしたので省略します。
 なぜ軍事費削減の問題が表面に出なくなったのか。正確には党中央に聞くしかないと思いますが、私見を述べます。今の経済危機を打開していくには、軍事費の削減は「焼け石に水」的なものにしかならないからでしょう。全廃する事は全く現実的ではありません。とすればもっとも比重が置かれるのは、公共事業費ということになります。「消費税引き下げ」から「消費税引き下げに道を開く」にトーンダウンした事は、現在の国家財政の著しい悪化を原因としています。責任ある打開の方向を示していくためには、単なる机上の空論ではすみません。軍事費削減のスローガンが後景に押しやられた事はこの現実に起因していると考えています。
 まあ、編集部の推測に対し私の推測を述べたところで問題は解決しませんが、こういった疑問を解決できる党見解などはぜひ必要なところでしょう。
 新ガイドライン法案と有事立法については、現段階における選挙争点とはならないと言う判断からでしょう。その是非については、編集部のように明確な推論をぶち上げるほど情報を持ち合わせていませんし、生産的な議論になりそうもないので省略します。

(三) 雑論3 新社会党との共闘について
 選挙協力については特に異論はありません。然し、それが「民主党との連合路線」とリンクして論じられる事には抵抗があります。次の部分でも述べますが、さざなみ通信編集部は、「政権論」を自ら独自に解釈し、その解釈によって全ての事柄に帰結させようとしているかのように思われます。一度自らの思考方法を形成してしまうと、なかなかその枠から抜け出せないものですが、ぜひ冷静にかつ客観的に再度検討される事を希望します。まあ、自戒を込めてもいるのですが。

(四) 雑論4について
 基本的には、タケル同志の見解を支持します。まあ、私は現実的可能性が低いためあまり期待はしていませんでしたが。重複しないように論じたいのですが、まず民主党の評価についてです。基本的には「新自由主義」に基づく政策を堅持している事は事実ですが、早晩この政策は破綻すると見ています。介護保険では既にほころびは見えていますし、民間委託や地方委任についても限界が見えています。同時に自民党との対立関係(政治的な意味で使っています)により、政策的相違点を際立たせる必要があります。現に公共事業費の削減(これも新自由主義の一つの現象と見る事も出来ますが、政策転換の意味では重要です)を、政策的に打ち出していますし、先日の演説では30人学級も主張していました。固定的に捉える事は大局的判断を誤らせる事になると考えます。
 次に政権論自身の問題についてですが、政権参加の可能性が現実的課題に上ってきたことは極めて喜ばしい事だと考えます。それだけ社会矛盾が激化している事の現われでもあるでしょう。このような段階においてどのような態度で臨むかということは非常に重要である事は、編集部にも異論はないと思います。
 私は、そういう段階にあっての政権参加に対する基本姿勢を明確にしたものであると言う解釈です。確かに、国会内においては民主党との共闘が現実的課題として一定見当の余地があったのかもしれませんが、国民共闘と言う観点からは地方政治の実態を含めまだ未成熟な部分が多すぎる事は紛れもない事実です。また、消費税を巡っては自由党との共闘問題もありましたが、あれにしても政権を云々するような段階ではありませんでした。然しこのような中で、わが党が政権に参加するにあたりどのような姿勢で臨むかを、現実問題として明らかにしておく必要性が生じたものと理解しています。
 と同時に、わが党が政権に参加する・しないに関わらず(閣外協力を含め)多少なりともの政策の変化(政策の転換まで行かなくとも)が生じるならば、この意味は極めて大きなものがあると考えます。それは単に日本共産党にとってということではありません。大きなうねりを呼び起こす可能性を秘めた変化になるだろうと言う事です。勿論歴史は単純ではありませんから、大きな反動の嵐が吹き荒れることだってあります。然し平和裏にしかも民主的に改革が進行することはは国民のみならず、私たちにとっても多くの事柄を学ばせてくれるものと信じています。
 何が何でも民主党との連合は否定する(かのように読み取れてしまいます。中央憎しのあまりでしょうか)編集部の考えに同意する事は残念ながら出来ません。
 一方で、既存の政権構想の延長線(と僕は考えていますし、周りの党員もそう感じているものが多数です)と言えども、手続き的な部分に関してはいささか疑問を持っているのも確かです。他の場所でも若干レスをつけていますが、日本共産党の政策や方針について保留している部分も現実にあります。然しあくまで冷静にかつ論理的に対応していくつもりです。場合によってはこの場所を利用させていただく事があるかもしれません。この問題(政権論)に関してはもう少し時間を取って述べたいと思っていたのですが、とりあえず今回はこの辺にさせて頂きます。

 最後に編集部に対して注文をさせて頂きます。それは、愚党員思想とでもいうべき論理展開と、幹部に対するあしざまな人格批判です。今回の雑録4の中でも、「党員の99%以上は無関心であるかあくまで中央に忠実であった」との記述は、自らの見解に同意しないものに対する科学的根拠を欠いた中傷であろうと考えます。これ以外にも、このような同志に対する配慮を欠いた記述が散見されます。
 また、幹部に対する記述については、さざなみ通信2号にあるように不破氏は「世論から孤立しても信念を貫く勇気がない」とか「党内での民主主義的議論を経て党の方針を形作る常識をまったくもちあわせていない。勿論一般党員もその様な常識を持ち合わせていない。」など、個人的恨みでもあるんかいなと言った論調があります。編集部自身が無謬論に立ってはいませんか?一段高いところから党員を見ているのではないでしょうか。この姿勢では賛同者を形成する事は困難ですよ。(別に分派を作ろうと言うのではないのでいいのか。老婆心でした。)