「2000/6/13付けタケルさんの投稿を読みました。私はタケルさんとはあまり意見が一致しそうではありませんが、タケルさんがよく研究されてご自分の見解を表明していらっしゃることを評価していました。今回の投稿はいつものタケルさんらしくないと思いましたので、私が気になったところを私の感想として投稿します。
タケルさんの「8日付けトピックス欄の記事」に関する編集部批判は、
① 選挙戦の最中に
② 一般の新聞の記事を元にして
③ インターネットという公的な場
④ 中央委員会を日和見主義と決め付け糾弾する
⑤ 自党の機関誌での説明もまたず
⑥ 中央委員会に問いあわせもせず
であるから、(編集部は)
⑦ 反党活動であり、
⑧ 反共攻撃の一種と見做す。
というものでした。
そして、最後に「ともかく本日(6月13日付け)の赤旗を熟読して下さい」とありますから、何よりも、「朝日新聞の記事をもとにした不破氏の発言についての編集部の理解が間違っている」ということが、前提になっていると思います。ですから、まずこの点について述べたいと思います。
私は、編集部の「8日付けトピックス欄の記事」よりも長い文章を、いくつかの留保をつけながら、投稿しました。タケルさんがご指摘の「6月13日付けの記事」は「質問にお答えします。有事に『自衛隊対応』という不破発言の意味は?」だと思います。私もこの記事を読みました。タケルさんももちろん熟読されたと思いますが、本当にあの記事で納得されたのかな、と疑問に思います。少なくとも、「有事の自衛隊対応」と憲法との関係においては、「しんぶん赤旗」の記事を読んでも私にはさっぱり納得できませんでした。
もっとも、不破発言を朝日新聞の記事が正しく伝えているとして、それを当然であるとして、これに疑問を持っておられなければ話は別ですが。
タケルさんには、同じ日の一般投稿欄に掲載された大塩兵七郎さんの「不破自衛隊論再論ー12回大会決定に学ぶ 」をよくお読みになることをおすすめします。当時の私たちの理解も大塩さんが指摘しておられるように、「『自衛隊以外の』あらゆる手段」というのが常識的なものであり、素直にあの決定を読めばそうなります。民族固有の自衛権と憲法上の制約を考慮した上で、保守勢力からの「万が一の侵略にどのように対応するかについて共産党は無策である」という攻撃に反論をしていたのです。あの決定の力点は、むしろ「憲法違反の自衛隊を使わない」というところにあったのだと私たちは理解していました。大塩さんが党員であるかないかは存じませんが、おそらく世代的には私と同世代でしょうから、基本認識において私と大塩さんとの間には共通したものがあります。これは当時の党の公式な見解だったとする私の理解に大きな間違いはないと思いますし、何より、大塩さんが文献的にも明らかにしておられるとおりでしょう。したがって、「一九七三年・一二回党大会以来の見解」(6月13日の記事の中見出し)などという主張は事実に反します。この点で、不破発言は綱領路線や従来の政策的立場とは異質な見解であったといわねばなりません。
タケルさんが、不破発言は綱領路線や従来の政策的立場を敷衍したものであり、当然のことだと考えられるなら、トピックス欄の編集部のコメントを批判なさるのも当然でしょう。
不破氏自身が「国家行政の実権を握る軍事的=官僚的機構にかんしては、どんなに民主主義を拡大しても、革命的変革による以外にこれを人民の道具にかえることはできないのである。」と強調していますから、自衛隊という存在はブルジョアジーの支配の道具であることは、タケルさんも否定されないと思いますが、この引用には、自衛隊に対する階級的な始点が基本的には保持されています。この自衛隊に関するそのような認識が根底にあることも、12回大会当時の党の見解が出てくる根拠であると思います。
かつて、自衛隊の学校で「共産党が参加する政府であっても、合法的に成立した政府であれば、憲法上、自衛隊はその指揮の下に従うのが当然である」(要旨)と講義をした教官が罷免された事件がありました。かなり以前の話ですが、有名な事件でしたから年輩の方ならご存知の方もいらっしゃると思います。また、自衛隊が、日常的に「暴鎮」(暴動鎮圧)と称して人民弾圧の訓練を正課として行っていることもご存知だと思いますが、少数の暴力集団の行為であれば、現在の警察力で難なく対処することが可能であるにもかかわらず、自衛隊がこのような訓練をしているのは、警察力では抑止できないほどの広範な民衆の運動が起きたときに、国家として対応できる用意をしておくということ以外にはないでしょう。過去に、民衆の運動に対して真剣に自衛隊の出動が検討された時期が1回あります。それは60年安保のときでした。幸いにもこれは実現しませんでしたが、国家権力の側は不断にこういう用意をしているということに警告を発し、人々が、自衛隊に対する本質的な評価ができるように努力をすることが日本共産党の果たすべき役割だと私は思います。このことが、革命の平和的な発展に寄与するのではないでしょうか。本質的には、自衛隊は災害のときに出動する部隊ではないのですから。
冒頭に書いた①から⑥はタケルさんの編集部批判の根拠で、⑦と⑧はその結論になっていると思います。私はタケルさんの批判にはちょっと同意しかねますが、いかなる個人でも組織でも、批判から学ばなければならないと思います。
私の投稿に対する批判ではありませんので、私が横レスを入れることは控えたいのですが、一部についてだけ、私が考えるところを述べます。
まず、「④中央委員会を日和見主義と決め付け糾弾する」は正確ではありません。タケルさんも引用しているように、トピックスは「中央委員会」ではなく、「不破指導部」です。これは言葉尻をとらえて言うのではなく、不破発言が従来の政策からも大きく逸脱したものだという認識が(少なくとも私には)あります。そして、極めて重要な政策的な変更がそこに存在し、それが記者からの取材に対する不破氏の個人的見解として表明されているということです。おそらく編集部にも同様な認識があったと思います。党の指導者のリーダーシップを否定はしませんが、宮本氏の晩年から顕著になっていましたが、党の最高指導者がマスコミ発表で見解を公表して、党機関が追認するというパターンは決して望ましいものとは思えません。ですから、批判されるべきは、まずは「不破指導部」という指摘を編集部がしたのではないかと思います。
今回の不破発言は、いわば綱領の根幹にかかわる問題についての政策変更であり、これは党大会で、あるいは全党討論が組織されてしかるべき問題だろうと私は思います。これを党の最高幹部だからといって、独断で決定することが許されることでしょうか。これに異議を唱えることを反党活動だと決めつけてしまうことは、私には納得できません。ましてや、「反共攻撃」というのはいくら何でも言い過ぎではありませんか。反共攻撃というのは、いわば「共産主義の大義」に対する攻撃ともいうべきものですから、自民党のアカ攻撃や右翼などの反共諸団体の誹謗中傷と同列におくことはどうかと思います。
私は、中央幹部をネット上すなわち党外の場で批判することを、快く思わない多くの党員がいることを知っています。そして、これらの多くの党員同志が紛れもなく真面目で誠実な人たちであることも確信しています。しかし、批判が党外にもれないということが決して団結の証ではないし、生き生きとした批判、反批判こそが党の末端から真の活力を生み出す唯一の道であると思います。ロシア革命においても、公然とレーニンさえ批判され、さらに、その反批判が行われた時代こそ生き生きとした民主主義と民衆の活力が遺憾なく発揮された時代でした。「嵐のような長い拍手」、「満場一致」のスターリン時代こそ革命の成果を食いつぶし、「ソ連社会主義」の崩壊を準備した時代でした。歴史の教訓です。
現在の日本共産党の足下を見れば、議員数と得票数以外の党勢力はますます衰退の一途をたどっています。どれほど多くの党員が「活動をしていないか」を考えてみてください。かつての中央幹部には「現実は指導の反映である」という素晴らしい作風を持つ人がいました。活動が困難になり、「未結集」(活動しない党員)が増えると、みずからの指導について「下からの批判」をみずから求めたものでした。そして、謙虚に自己批判をして、指導を改善していく中で、壊滅状態に近い党組織が再生していった例は少なくありません。そういう感動を覚える幹部が実際にいました。狭い意味での党活動だけのことではありません。基本方針に関する問題についても、政策上のことも同じことです。
政策についていえば、いったいどこで政策を作っているのでしょうか。赤絨毯が敷き詰められた議会の中で、予算書や統計をながめて政策を作っていて、どうして人々と血の通った政策ができるのでしょうか。「消費税3%に戻すことを先送りする」政策などは、党幹部が支部に直接行って意見を聞いて、まわりの人々の意見を集約してみれば、あんな形になるはずはありません。莫大な財政赤字は「先送り」の理由にはなりません。「われわれが作った状態ではない」という言葉はこういうときに使うものです。批判は誰にとっても心地よいものではありません。しかし、下からの批判は明日への活力をもたらすものであり、こういうものを「苦い薬」というべきでしょう。