編集部の「回答」の対する私の見解の提示が遅くなり申し訳ありません。一度文章をまとめてみたのですが、少し思うところもあって投稿を留保していたためです。その事は末尾に触れさせていただきます。川上同士や一般投稿欄での「はらぺこ」氏への返答の意味を含め、改めて書き直しをして投稿する事といたします。
(一) 雑録1の見解について
後援会員を含む演説会において、社会科学の理論を振り回したところで意味は少ないとしか言い様がありません。問題は党員がそれから何を感じて行動に移していくかではないでしょうか。その意味で私は「上部構造・下部構造の相関関係を具体例をあげて説明しているに過ぎない」と捉えたと言う事です。選挙と言うものは一般論として言えば一大政治決戦です。そこにあらゆる力を結集する事はそんなにも「大衆運動軽視」に繋がるのでしょうか。勿論、個別分野において選挙を凌ぐ重要性のある大衆運動が緊急の課題として存在している様な場合は例外もありますが、それは個々に対処すべき問題であって、選挙に向けた総決起集会という場で議題にすべき性質のものではありません。
編集部からすれば、「指導部の日和見主義路線」と言う前提が存在するが故にその様な読み取り方をするのでしょうが、改めて全文を読み直しても私の見解としてはその様に読み取れなかったと言う事です。改良主義に毒された見方だと言うことであれば、これ以上の議論はしても仕方がありません。私の限界だと言う事でしょう。編集部のような高い到達点には未だ立てません。
(二) 雑録2の問題に関して
漸進主義の問題についてですが、一般向けのパンフレットの中に量質転換の問題が書かれていないことがそんなに重要な事でしょうか。螺旋階段が普通の階段になったところで、一般向けに説明するのにそんなに支障があるのでしょうか。勿論社会科学を論ずる場ではこのような省略化は認められない事は事実です。論者の水準を物語る事に繋がりますから。編集部の言うようにパンフレットという限られた範囲の中で、全てを語る事は出来ません。
個々の運動の分野からは不満や批判があることでしょう。しかし、いずれにしても編集部の言う事柄を余すことなくしかも簡潔に表現する事は私には不可能のような気がします。
少し横道にそれてしまいましたが、一般向けパンフレットではなく、科学的社会主義に関する党の文書や論文のなかで「一歩一歩主義は社会進歩の最初から最後まで支配する法則とみなされている」根拠をお知らせください。それであれば、編集部ではなく党指導部が「運動論における弁証法的発展形態と、現実政治における政策的発展性の混同」をしている事の立証になるでしょう。私も一考する用意があります。パンフレットに基づくものでは私の編集部に対しての疑問に応えて頂けているとは考えられません。
次にアメリカ資本主義美化の問題ですが、パンフレットにおける「欧米ではあたりまえの」の用語が「解雇規制法」にかかっているのか、「解雇規制法、サービス残業禁止、労働時間短縮など」を修飾語とする「必要なルール」にかかっているのかで意味合いが変ってきます。国語の基本的な問題でしょう。ここでは、雇用確保の最低限のルール作りが主眼であると考えますから、仮にアメリカにおいて「解雇規制法」が無いのだとしても(不明な事にその存在の有無すら知りません)このことがアメリカ資本主義美化に直結すると言う編集部の見解には同意できません。
欧米の例を挙げて説明する事は、慎重を要する事ではありますが「新自由主義」を掲げる各党会派は必ずと言っていいほど自らに都合のいい西欧諸国を引き合いに出してきます。国民に対する議論のかみ合わせとして最小限必要なことと思います。しかしそれがアメリカの美化に結びつくと言うものでもないでしょう。編集部がこのパンフレットにおいて「アメリカ美化」を指摘する部分は「社会保障」のグラフと「雇用問題」の前段、しいて言えばその下の食料自給率のグラフ程度だと思われます。1/2ページも満たしていません。全体の1/32以下でしかありませんし、しかも比較の対象として用いているだけです。ためにする批判と見られても仕方のないことではないでしょうか。そしてその事はアメリカの深刻な状況を視野の外において論じていると言う事にはなりません。
続いて「民衆の切実な要求からの出発」の問題です。ここでは編集のほかに川上同志よりも批判を頂いています。また、「はらぺこ」氏より温かい言葉も頂いています。
まず、「要求」の捉え方ですが、切実な要求と本質的要求は異なります。切実な要求とは資本主義あるいはその延長線上にある基本的人権を含む生存権に関する事柄であろうと認識しています。勿論場合によって直接的なものと間接的なものとに、そして全体的なものと個別的なもの、更には緊急性の有無や現実可能性などにより区分され運動の方向性が異なる場合もあるでしょう。一方本質的要求とは最終的に解放に結びつきます。そしてそれは多分に階級性を有していると考えます。
切実な要求は基本的には本質的要求に内包されるものと考えますが、場合によってはその枠外にある場合があります。ニーズ論との違いはそこにあると思っています。
次に、本質的要求に内包されている切実な要求を日本共産党の政策との関係で捉えてみます。これは日本人民のおかれている現状分析と現状判断により方向性が異なってくる事となるでしょう。(日本人民と規定したのは日本共産党であるからです。実際には日本に在住する人々と言ったほうが正確です。このことについて今議論するつもりはありませんので、同意できない場合は読み替えてください)
ここで「はらぺこ」氏にご登場願うことになるのですが、結論から言うと氏の汲んでくれた意の通りなのです。今最も矛盾が激化し集中しているところは何処なのかに尽きるのです。そしてその矛盾の解決は、多くの諸課題を解決していく方向性を提示することが出来ると言う事なのです(全て解決するなどとは思ってもいませんので悪しからず)。決してパンフレットに記載していないからと言って要求が切実でないなどと思っていません。党の方針において掲げていないのならば、あるいは軽視されているというのなら編集部の見解を理解する事も出来ますが、選挙と言うのは日常的にあるものではなく、その為その時点での緊急諸課題を解決するための政策を要求されます。そこにしかもパンフレットに記載が無いからと言って全てを否定するような方法は決して賢明な方法と言えないのではないのでしょうか。
私の現状認識を述べます。今の状態は「生存権」(社会的生存権の意味ではありません。まさに生きる事そのものの意味です。)が、かつて無く脅かされていると考えています。
この根本は経済にあります。「あらゆる問題を経済危機の打開に収斂させる誤った還元主義」との指摘を頂いていますが、少なくとも今現在においては「あらゆる問題を経済危機の打開に収斂させ」ても構わないくらいの非常事態だと思っています。勿論、現実にはそういうわけにはいきませんが、そのくらいの認識でいます。恐らくここに編集部との見解の相違がで出来ているものと思っています。勿論党指導部がどのような認識でいるかは定かではありません。しかし私は、自らの観点と今まで学んできた理解に基づいてそう大きな違いは無いであろうと考えています。一度そういう視点で考えてみてはいかがでしょうか。
新ガイドライン法の問題については、「ささいな誤り」の指摘をどうも有り難うございます。「法案」が体に染み付いていたのでしょう。ここで改めて訂正をいたします。
さて、私がこの問題を軽視しているとお考えのようですが、パンフレットに載っていない理由を勝手に推測しただけに過ぎません。この推測に驚きを感じておられるようですが、推測イコール私の意見とは異なると言う事を、婉曲に「生産的な議論とならない」と書いたつもりです。「政治的規準も階級的原則も無い」から意識的にパンフレットに載せなかったなどという編集部の推論に同意は出来ません。かといって、情報を持ち合わせていない以上確信を持って発言する事はできません。
私個人としては経済危機の進行が、日本の経済破綻ないしは著しい収奪体制の強化に向かう危険性を痛切に感じています。そしてその事は、社会不安を呼び起こす危険性に通じます。即ち、極右、極左の台頭に道を開く事となるでしょう。このような認識も含め、今最も重要なものとして経済問題を捉えています。かつて消費税導入の段階において宮本議長が「安保並みの戦い」を強調したとき、各現場の活動家は最終段階を除き他の諸課題と並列的な取り扱いしか出来ませんでした。確かに各現場とも強烈な攻勢がかけられ対応を余儀なくされていましたが、あの段階で日本の方向は決定付けられました。重要な課題の一つと捉えた結果が現在に至っています。民医連の元会長の発言を引き合いに出されて政策論を展開されていますが、医療制度についてもこの段階で一定の方向付けが出来ていたのです。歳出の問題か歳入の問題かの違いに過ぎません。歳出構造の転換と歳入構造の転換の問題は密接不可分の問題だからです。更に言えば、支配体制維持の根本的改革がなされました。そしてそれは「新自由主義」と結びつきます。
なぜこの事を改めて書いているかと言うと、今の経済問題は部分的にでも方向修正を行わないと将来に取り返しのつかない結果を残しかねない時点に立っているという判断があるからです。そしてこの経済問題と雇用問題はリンクして捉える必要を感じているからです。新ガイドライン法も確かに重要であるし、パンフレットに載せる性質のものだと思います。しかし、経済問題と同列視すべきでないと考えます。恐らく様々なレッテルによる批判を受けようかと思いますが、甘受致します。
(三)新社会党との協力問題に関して
政党間の議論がどのようになっているのか詳細がわかれば教えていただけたらと思います。高知の例もありますし、頭からの否定は無かったと思います。今となっては遅いですが、その地方の事情もあることですし、今後に期待すると言う事にします。投稿字数の限界が近づいてきたので、以下は省略します。すみません。
(四)民主党評価と政権論について
この部分については後日改めて投稿する事としますが、「政権参加の現実的可能性」について一言だけ述べておきます。私は決して単純化して捉えているつもりはありません。私の能力的限界もあるかと思いますが、可能な限りの乏しい頭を使って前回の結論を導き出しているつもりです。私的事情があるため8月中旬までまとまったものが書けないと思いますので、それまで楽しみにしていてください。
(五)最後に
お気づきかどうか判りませんが、可能な限り指導部批判を避けて投稿しています。しかしその事が、現指導部と全く同じ見解を持つ事を意味するわけではありません。
はじめの投稿文を書き直したのは、その事に原因があります。少なくとも現時点において(選挙時という意味です)批判的なものを記載する事が適切かどうかの判断に迷いがあったからです。編集部は、この選挙で日本共産党が伸びる事を期待していますか? それとも敗退を期待していますか? この問題は党派性を確認する上で非常に重要だと考えます。考え方によっては、敗退する事が日本共産党の改革に繋がるので喜ばしいのだと言う事も出来ます。しかし、人民にとってはどうなのか、私はその事を熟考した後、書き直しを決めました。
有事問題の批判が出るとの事ですので、ぜひ慎重な検討を期待します。言いっぱなしで暫くこの場から離れる事となりますが、ご了承ください。必ず戻ってきますので。