フェイス氏がご指摘のとおり、「日本共産党」(不破哲三委員長)は、「大衆迎合」という「大衆蔑視」の路線転換でこの選挙、主権者から見切りをつけられたのだろうと思う。私も見切りをつけた。一昨年の参院選の比例区に「新社会党」と書いたときは、手がふるえたものだったが、今回はためらいなく別の党名を書けてしまっていた。
社民党の下っ端の運動員は、珍しく燃えていた。「護憲」という、この選挙の本当の争点に迫るスローガンを社民党は掲げていたからね。私は社民党の「自社さ」政権参加への総括がまったくされていないことに、今回の「護憲」も本物であるかという疑念を大変強く持っているが、それなりのインパクトと、争点づくりの奮闘は評価できるものであると思っている。それ故に「政党としての存亡を賭けた選挙」で、躍進したのだろう。
この間の「日本共産党」(不破哲三委員長)は、党を挙げて天皇家に「常に清明にして、仁慈に富まれ国民にひとしく尊崇敬慕申し上げ」(参議院)ることにしたにふさわしい、選挙戦だったのではないか。投票用紙に「日本共産党」などと書きたくなくなる主権者が120万人しか出なかったことが、不思議なくらいでもあります。
不破哲三氏を委員長とする「日本共産党」が、この党名を名乗り続けるのは詐欺であるとするのか、「日本共産党綱領」に照らして総括するのか、どうしよう?
「査問などあり得ない」という、「反共攻撃」へのウソの反論ビラでしか選挙を闘えなかったことも、1970年代を知っている「同志」はどう見ているんだろう?