【党がかかえる問題】
今回の選挙戦での党の活動について私が知りうるところと私の見解を書きます。日常的に党活動に参加する党員の数は非常に少なくなっており、10人を越えるような支部でも2~3人というところが多いようでした。このことと、党員の高齢化が進行していることが相乗的に作用して、今回の選挙戦では党の活動力がかつてなかったほど、おそらく全党的に、減退していたことが推測されます。このことは、選挙における後退が単に謀略ビラのせいではないことと同じように、この謀略ビラとの闘いは単にこれに反撃をするために「足腰を鍛える」というような水準の問題ではありません。「謀略ビラが後退の原因である」という発想では「立ち枯れ状態」に近い党の現状を根本的に変革していくことはできないということを理解しなければなりません。
一つは今回の選挙戦ではかつてなかったほど活動に参加した党員が少なかったこと、もう一つは従来から指摘されながら、改善の傾向が見られない党員の高齢化問題があります。
党員の年齢別構成でもっとも厚い層をなす私たちの世代もすでに50代です。若い人たちを党に迎え入れる問題は大変困難な問題ですが、どのようにして党が成長してきたかを振り返ってみることの中に何らかのヒントがあるかもしれません。
私たちの時代とは社会が大きく変わってきていますから、私たちの時代の経験をそのままあてはめるつもりはありませんが、それでも、あの時代──安保闘争から日本全国に展開された大学闘争まで──の教訓は有効だろうと思います。どうしてあの時代にあれほどたくさんの人たちが革命を志し、日本共産党の隊列に加わることがありえたかといえば、答えはそれほど難しいものではありません。それは決して計画的な党勢拡大のおかげではありません。計画的な党勢拡大のおかげであったとしたら、今からでもそれをやればいいのです。近年では、計画的な党勢拡大は何度やってもまっ
たく成功した試しがありません。それどころか、非常に長期、おそらく十年以上にわたって、党員数も機関誌読者もずっと減退傾向が続いています。
「計画的な党勢拡大」についてはこの投稿の目的ではありませんからあまりふれませんが、私たちの時代には、職場、地域、学園で、自らの要求に基づいてたくさんの人々と結びついた闘いが組織され展開され、これらの闘いと全国的な課題、政治的な課題と結びつける努力が常に行われました。ストライキ、集会、デモ行進、団交だけではなく、繰り返し学習会を開き、激論を闘わし、みずからも周りの人々も政治的な自覚を高めていきました。こうして今日のもっとも厚い層──50歳前後の党員層が形成されるに至ったのです。これ以外に、日本の民衆の中にどっしりと根を下ろした党を建設する道はあり得ません。不破、志位両氏の演説やテレビ討論を非難するつもりでいうわけではありませんが、党幹部の演説や講演を聞いて人々の意識が変わるわけではないし、カラー印刷の「しんぶん赤旗」を読むだけで人々の意識が変わるわけではありません。いくらかはそういう人もいるかもしれませんし、それはそれで積極的な意味があることを否定はしませんが、謀略ビラはそういう意識の変わり方をした人には「効き目」があるかもしれません。しかし、少なくとも職場や地域や学園で厳しい闘いを経験した人たちは、敵と味方を見分ける能力を持っており、支配層が時として法律も慣行も無視して、あらゆる手段を使って卑劣きわまりない攻撃をしてくるものであることを闘いの中で体得しています。これらの人たちには水準の低い謀略ビラ
は効き目はないでしょう。このような大衆闘争と結びつけて議会も選挙もとらえなければならないと思います。
「しんぶん赤旗」にも、職場における労働者の闘いや地域における闘いが報じられています。しかし、労働組合もなく、闘う術もない労働者のおかれている現実からすれば圧倒的にその闘いは不十分であるといわなければなりません。日本共産党の存在の基盤はこういうところでの闘いにあります。日本共産党のもっとも厚い層をなす50代前後の党員層はこのようにして形成されてきたのです。党建設と党勢拡大はイコールではありません。「足腰を鍛える」という問題ではなく、党の政治方針、活動方針と深く結びついている問題です。このことを理解しないでは、党勢拡大そのものも絶
対に進みません。「計画的な党勢拡大」が可能であった時期にはそういう条件があったということであり、職場、地域、学園における大衆的な運動がないところで「足腰を鍛える」ことはできません。
私には自由になる時間がわずかしかありませんから、何日もかけてこの投稿を書いていますが、ここまで書いたところで、2000年7月5日付けの常任幹部会決定「党勢拡大とりわけ党員拡大…」を(数日たってから)読みました。この決定には私がここまで書いてきたような観点はまったくみあたりません。常任幹部会決定の根底には「総選挙での後退は謀略ビラにある」という総括があることは明らかでしょう。誤った総括が誤った方針を導き出す典型的な例がここにあります。総選挙での後退の原因は謀略ビラであるというように単純化してしまうと、足腰を鍛えるために「党員拡大を」という短絡的な結論になってしまいます。このような方針を続ければ党がかかえる悲劇的なまでの現状はまったく明らかになりません。私は今回の総選挙で党が躍進していたとしても、昨今の党がかかえる問題が解決した結果であるとは思いませんが、どんな組織でも個人でも「勝利」よりも「敗北」からたくさんのことを学ぶことができるでしょう。敗北は人や組織を謙虚にしてくれます。躍進しているときには、正しい批判であってもなかなか謙虚に受け止めることができません。特に下からの批判というものは、する方もなかなかできるものではないし、される方も簡単には傾聴できるものではないでしょう。日本の民衆が党に与えた厳しい審判を糧として、政策も政治方針も、組織路線も検討する機会とすべきだろうと思います。
今日では、党所属の議員、専従活動家、関係の深い組織の活動家が相当な数になりますから、基礎組織の党員のかなりの部分が動かなくても日常的な党活動はそれなりに進んでいくでしょう。しかし、選挙戦のような総力を挙げた闘いになると、どれほどの党員が闘いに参加するかは決定的なものになってきます。党の活動力を真に再生させるためには、何よりも基礎組織、党員一人ひとりの本音を語り合うことから始めなければなりません。どういう形でもいいから、まずは全党討論を組織することが決定的だろうと思います。このことなくしては、決して「足腰を鍛えることはできない」ということを中央幹部は肝に銘ずべきです。
おそらく党機関も「さざ波」をのぞいているでしょう。それを期待してもう一言付け加えます。
党員の中には不破氏や志位氏を尊敬し、中央を信頼している人たちがたくさんいることを知っています。私はこれらの人々の感情を尊重したいので、過去の投稿でもできるだけ無用な攻撃的表現をしないように努めてきました。今回の投稿でもその姿勢は貫きたいと思いますが、最近の党指導部の水準には率直にいって表現しがたい不安を感じます。
たとえば、消費税を3%に戻すことを先送りすることを明言したのは不破委員長ですが、この1日か2日後には、「食料品非課税」とか「消費税増税反対」を打ち出すなど、木に竹を接いだような政策的な動揺がありました。最近では、重要な局面で登場する、あるいは党の指導的な位置にいると思われる中央幹部は両氏の他には筆坂氏と穀田氏ぐらいです。この消費税問題における動揺などはこれらの幹部の政治的力量に疑問を抱かせますが、同時に党中央に本当に集団指導体制が確立されているのかという疑問をも抱かせることとなります。本当に集団指導体制が確立されているなら
ば、あのような無様な政策的な動揺が起こることは考えられません。どうか「裸の王様」状態にならないよう、中央で自己批判、相互批判が行われることを期待しています。