初めてポストさせていただきます。「さざ波通信」は、検索エンジンで偶然見つけ約3カ月ほど前から拝見させていただいております。
最近、このサイトでも話題になっていた、川上徹著「査問」と油井喜夫著「汚名」を読み終えました。
私自身、当時は、民青の高校生班に所属していたことでもあり、(沖縄返還闘争に積極的に参加しておりました。)中央で具体的に何が起きていたのかは知る由もなかった状況でした。ただ、印象にあることは、地区委員より新日和見主義者たちは、「大闘争、大拡大」といいながら拡大を軽視したとか、学習を軽視して自己批判書でまともに漢字が書けなかったとか断片的にしか伝わって来ず、新日和見主義者たちへの断固たる回答は、「掲げた拡大目標を達成して、民青の全国大会を迎えることだ。」と情熱(?)的にアピ-ルされたことくらいです。
しかし、前掲2冊の著作を読み終えて改めて想い起こされることがあります。それは、ひとつは彼らが明確な分派活動を行ったということであり、もうひとつは、自分たちの主導権を維持したいがために民青の若返り(民青同盟員の対象年齢の上限を28歳から25歳に引き下げる)に頑強に反対し続けたという説明を受けたことです。
分派活動については、中央委員会が開かれる前にどこか別のところで会議を行って来て会議に参加するということがしばしばあったと当時の民青地区委員より説明を受けました。ところが川上氏などの著作により、おおいに疑念を持ちました。しかも、私の知る限りでは、党中央がこの件で反論等の正式見解を出していないようですね。当時20万人から民青同盟員はいたわけですし、多くが共産党に入党していることをもってしても「黙殺」は、正しい態度とはいえないと思います。
ただ、全く手放しで「査問」「汚名」を是とできない点もありました。特に、油井氏は著作の中で民青が「共産党の事実上の下部組織」と断じていますが、明らかな誤りであり、著作の趣旨とも明らかに矛盾するものです。確かに「査問」により生活権をも奪われた事実から感情的に行き過ぎることもやむをえないかもしれませんが。こういう単純な事実関係の誤りは、著作全体の事実関係の信頼性を損なうと読み手に思われるでしょう。
それともうひとつは、実感としては、デモや集会の参加者数を過大視した指導が行われたことも事実だということです。不参加者を徹底的に「詰め」(当時内部で使われていた追及とか問い詰めるという意-私は一度も使ったことはありません。非常に不快でした。)たことも事実です。そして、例えばこんあこともありました。デモの最中に指導者が隊列を組替えて、当時あまり行わなかった(「新左翼」は行っていましたが。)ジグザグデモを指示したため、「女性も多く参加しているし、「トロ」(トロツキストの略)ではないのだからジグザグはやめるべきだ。」と私が抗議すると「激しいデモをみて大衆は立ち上がるんだ。」と反論され、私と少なくない仲間が隊列から離れました。もちろん、事実関係を確認したわけではないので、これらの行為がすべて新日和見主義と繋がっていたということは言えませんが、少なくとも当時、新日和見主義批判の論点に納得できたことは事実です。
それでもなお、30年近くも経ってようやくこれらの著作が世にでたことは、現在の共産党のありかた、綱領路線が揺らぎはじめていることと無関係とは思えません。特に、最近の党大会決定や民青の目的と規約(かつては、「よびかけ規約」と言って、よびかけでは、日本青年に向かって社会変革の夢と情熱を訴える感動的な文章でしたが。)から「統一戦線」というキ-ワ-ドが影を潜めてしまったこと。憂慮すべき事態と思います。新日和見主義とは何だったのか党中央として歴史的総括を責任をもってすべきだと思いました。感想は以上です。
今後もこの掲示板には参加させてください。私は、現在の党中央が「統一戦線」という旗を投げ捨ててもそれを拾って高く掲げて、共産主義者として生き抜きたいと思っています。「さざ波通信」の出現も党の正しい前進を願う党員たちの思いがつくり出したものだと思います。「さざ波」がやらなかったとしても必ず起きたものだと思います。掲示板の運営は、大変だと思いますが、必ずや大きな波が起きると思います。