私も氏の意見に大いに賛成の部分があります。
数年前の地区党会議で、地区委員長を名指しで批判をしたことがありましたが、このときにわが党の中間機関がどうしょうもなく官僚化していることと、その幹部たちが大衆と直に接して活動している現場の党員とその意識が大きくかけ離れた存在であることをまざまさと実感させられました。
私の意見に対して、委員長は後で調査をして答えると結語の中で発言していたのですが、それはまるで訳の分らないもので、回答にあたって、ペンネームでの発言にうろたえて実名で回答するなどまるで混乱したものでした。その後、実際に起きたことは、常任委員数名とまるで無関係と思われる古参党員数名が、いろいろ話を聞きたいと私を取り巻いて調査(査問)するというのです。この中に当時常任委員をしていた私の女房もいたのです。しかも肝心の委員長は別室にいて、結局はこの調査に表れることはありませんでした。
そして、話し合いの中で、私の指摘に事実の前後関係に誤認があることが客観的な資料によってわかったことがあったので、その点に関して私は素直にその事実は認めました。ところがそのことをもって私の発言全体が間違いだろうと強引に迫ってくるのです。私は前後関係の違いによって批判の論点が大きく変わることはないと主張したことで、議論は平行線をたどることとなりました。参加していた古参党員の一人が、基本的には地区委員長と批判者との間で詰めた話し合いをしたらどうかということで、この場の調査は打切りに、ということになりました。
だが、この後に起きたことが、まさに驚きでした。常任委員多数が(女房も含め)各支部を訪問し、私が地区委員長を公の場(地区党会議)で批判したことは地区党の団結を危うくする行為であったという説明をして回ったのです。地区機関の幹部がこのように自己保身のため公開の議論を拒む、歪んだ方針を民主集中制の名を借りて強引に押しつける、その結果についての民主的総括はさぼる、このことから党の健全な発展を望むことは百年河清を待つようなものであることは自明のことです。
しかし、こんなことで新しい社会の到来を断念するほどわが党の党員は悲観主義者ではないことは、その後地区党内に地区委員長に対する批判が彷彿と沸き上がり、この地区委員長はいっせい地方選挙前の地区党会議で突然辞任(敵前逃亡)しました。だが、問題はこれで解決したのではありませんでした。後任の地区委員長と常任委員会は次期の党会議で、これらのことには「言葉では尽くせないいろんなことがある」と通り過ぎてしまったのです…。ああ、道は遠く、また、けわしいのか?
追伸
なお、こうしたことで女房との関係は完全におかしくなっていて、いまだ修復されていません。妻は去年の一斉選挙で町議当選し、常任委員は辞任しています。この修復もけっこう時間がかかりそうですが、30年近くもかけて築いてきた夫婦の関係をこんなことで壊されたくないですからネ。