完成された私的所有、とは完成された物象化のシステムであり、完成された<疎外された労働>のシステムである、と。諸個人の社会的能動性がたんに、法的人格の抽象的な私的所有行為となり、社会的生産が悪無限的な価値増殖運動の手段となり、自由な人間的労働が自己の意志する労働からも、自己の生産手段からも、自己の生産物からも、自己の生産関係からも一切疎遠な、「たんなる賃労働」になっており、再生産を続けられている。ここにきて人類史における従属労働は、究極の形態で誰の目にも赤裸々に具現化しており、その真相が<疎外された労働>、つまり人間労働自身の自己矛盾としての実現化!であり、しかもわれわれの主観的反省ではなく、資本のシステムの過渡的歴史自体が不断に、われわれに語りかけている。
人格のシステムの自己批判、として把握したものが直接的には「個人的・個体的所有の再建」とすれば、労働のシステムとの分裂を超克したそれの表現が「人格的労働の再建」である。(未完)