全国的に注目された、衆議院の東京21区の補選は、川田さんが当選しました。長野知事選に続く快挙だと私は考えます。とともに、この間の経過や周囲の同志、支持者との対話の中でいろいろ考えさせられました。ただ東京21区で我が党が、簡単な政策協定すら結ばずに候補者を下ろしたのは、この点に限れば、戦略的後退という意味以上に積極的な意味があると思います。むしろ、長野でも、あるいは衆議院の小選挙区の一部の選挙区(三重5区、茨城7区など)でどうしてせきなかったのかという意見を何人かから聞きました。今後の選挙戦術での1つの選択肢と考えれられる事でしょう。今回は、候補者が我が党に近い位置にありましたが、これからは巨悪を落とすための手段として、巨悪に対抗する候補者を支持するのではなくても、我が党の候補者をある場面では考えていく必要があります。
次に、周囲からこんなことを言われました。我が党が全面推薦になっていたなら、21区の我が党の基礎票3万は確保できても、川田さんの当選はおぼつかなかっただろうという指摘です。これは、正直なところ、反論できませんでした。痛いところをついているからです。現在の政治不信は、自公保のみならず民・自由・社も、そして我が党も無縁ではないからです。中央は、公式には党名変更論はあくまでも否定していますが、さまざまな場面で、「日本共産党」の輝かしき伝統が、現実路線にとって桎梏となりつつあります。党名もまた、一方ではその重圧になっていることを、今回の選挙では明らかになりました。とはいっても、それを意識的に自覚しているかどうかは別の次元になりますが。
もう一点。あらためて、世論は我が党には厳しく厳格に観察されていますが、他党たとえば社民党などには寛大な見方が一般的だなあということを痛感しました。今回でも、土井さんの発想や保坂氏との関係からなら、社民党も候補者の擁立を見送るべきでした。しかしそれができないところに、社民党が国鉄闘争と同じく、政党としての体をなしていないことを明らかにしました。
その社民党に対して、政策的にも組織的にもはるかに優位性がある我が党が、最近の政党支持率では逆転されつつあるのは、現在の不破執行部の一連の方針と無関係ではないと思うのですが。
いじょうだらだらと書きましたが、雑感です。