はじめまして。
今日、たまたまみた新婦人しんぶんの11月30日号一面をみてビックリしました。
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井上議員の厚生省質問で児童手当にあらたな見解
あきらめなかったのはこの「会」があったから
新婦人・松原支部
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記事の内容は、「夫が失業中の児童手当の緊急給付」が井上美代議員の国会質問でによって道が開けて、具体的運用をはじめてかちとったというものでした。
その事実の重要さを否定する気持ちはありません。でも、この記事ではまるで「井上美代後援会ニュース」です。それでいて、井上議員の所属会派はどこにもかいてないんです。まるで井上美代議員は無所属の女性議員であるかのようです。
「新日本婦人の会」とは、共産党系「大衆団体」でしょう? そこの会長が会長職現職で国会議員になるのもおかしな話だけど、議員になってからも、井上美代議員は「新日本婦人の会」専属議員だといわんばかりの「赤旗」報道にも疑問を感じてきました。(だって東京都選出の議員で、男性の有権者もたくさん投票したはずでしょう?)
大衆団体に「もめごと」がおきると上級機関の方は「大衆運動の問題は大衆運動自身で解決するのが筋」とよく言われます。その一方で、いわゆる「共産党系大衆団体」になると、大衆運動を共産党の組織政策がひきまわしているようで、「ホンネと建前」の違いを感じてます。
今、自民党政治に変わる「受け皿」がないことが政治に対する国民のあきらめを生んでいるし、そういう情勢だからこそ、共産党が参加した連立政権が誕生することで、自民党政治よりは「よりましな政府」ができ国民の政治への関心が高まるというストーリーもありえるかも知れません。そこから、やがて国民の度重なる審判によって、国民自身の選択で自主独立→社会主義→共産主義への道をたどる、だから、「民主主義を徹底して一歩一歩新しい社会の発展段階をあがっていく」という風に上級機関の方から聞かされてきました。
しかし、「連立政権」にひょっとしたら参加できるかもしれない、という政治情勢が生まれているときに、みようによっては一般社会の人たちから「あざとい票集め」と思われるようなやり方が共産党系大衆団体に「集団ヒステリー」的に広がっていくのは好感がもてません。
この欄でも「消費税をなくす会の方針が共産党の方針通りにかわった」とご指摘の意見がありましたが、いわゆる共産党系大衆団体がいつも共産党中央委員会の顔色をうかがっているのでは大衆運動の意味がないのではないと思います。それなら最初から、「新日本婦人の会」といわず共産党女性部に組織がえしてしまったほうが、むしろ国民に誠実でわかりやすいと思います。
それとも女性はそれほど論理的ではないが、現在の日本では著しい差別的状態におかれているのだから、「情念」を組織し「票」にさえなればいいということなのでしょうか?
「国民の党」と自称するのなら、よほど社会的道議に反しない限り、もっと「自由な大衆運動」ができる保障が大衆団体にあるべきだと思います。逆に「労働者階級の党」であることが普遍であるのなら、もっと大衆団体の中で個別に理論的政策的イニシアティブを発揮できるようそれなりの援助をすべきです。
援助する体制がまだ未熟だというなら、全知全能であるかのような「言葉使い」はやめたほうがいいと思います。実力通りの姿をもっと正直に内外にさらせばいいのではないでしょうか? そうすれば、内外の知恵がもっと集まるのではないでしょうか?
自由でのびやかな大衆運動と、政治活動との区別は、きっちりつけておかないと、今の時代のセンスにはあわないですよ~。