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党員用討論欄

市川正一氏の除名問題についての党中央の対応は納得できない

2001/1/1 川上慎一、50代

 統一戦線さんの投稿に基本的に賛成です。名誉幹部会員であった市川氏が除名になったことを公表してはならない理由は何ひとつありません。氏は常任幹部会委員、書記局次長であった人であり、参議院議員もつとめた人です。そういう人が名誉役員に選ばれなかったとか、除名になったとかすれば、早晩一般紙などマスコミが報道をしないわけがないのですから、除名した時点でこれを公表しなかったことがそもそもの間違いです。
 公表しなかった理由として、書記局は「関係者のプライバシーを考慮して発表を差し控えてきた。」と述べています。この党の幹部はいったい何を考えているのか私にはわかりません。「関係者のプライバシー」が優先されるなら、たとえマスコミがら質問があったにしても、除名の事実を公表することよりも、プライバシーを保護することの方が大切だという判断があったのですから、「関係者のプライバシー保護のために回答できない。」と答えればいいでしょう。ただし、その場合には、党中央がその対応に対する一切の責任を持つことは当然のことですが。
 「プライバシーを考えて公表しなかったが、マスコミから質問があったので公表した」ということは何を意味しているのでしょうか。「世間に知られなかったらそっとしておこう」ということにほかなりません。俗な言い方をすると「ばれなかったらそれでよし」ということです。何という姑息なやり方でしょうか。当時の不破委員長、志位書記局長がこのことを知らないはずがありません。何という恥知らずなことを平然とすることができるのでしょうか。
 市川氏の除名理由はわかりませんが、「この規律違反行為は、党の規律はもちろん、社会的道義に根本からそむいたもの」だそうですし、新聞記事などでは不倫とか、女性問題とか伝えられています。日本共産党は、正妻がありながら認知した婚外子までいることなど、かつての首相や自民党幹部の女性問題を国会でとりあげ厳しく攻撃してきました。これらの女性や子どものプライバシーはどうなるのでしょうか。もちろん、実名をあげてはいませんでしたから、そういう形で公表することは可能だということです。他党の場合には攻撃するが、共産党の場合には公表しないとなどというやり方が世間一般に通用することではありません。
 市川氏が何をしたかはわかりませんし、伝えられている内容がはたして真実であり、また、それだけが除名の理由であったか、ということについては疑問がありますが、とりあえずこのことはさておいて、市川氏除名を公表せず、マスコミにつつかれてから公表するという党中央の対応は、何としても言い訳ができない見苦しいものではありませんか。党中央の対応は、森首相とその取り巻き連中とどれほど違うというのでしょうか。「正直であること、誠実であること」は政党、革命家としての不可欠の品性です。「マルクスは前衛とは言っていない」などと真っ赤なウソを平気で言う不破氏といい、市川氏除名問題における不誠実きわまりない対応といい、この党の中央はもはや堕落としかいいようがないところまできているような感じがしてなりませ ん。
 12月27日付けの投稿「市川氏の除名の真相究明を(しんさん)」には、いまひとつわかりにくいところがありますが、要するに何らかの政治的な見解の相違、行動がからんでいる可能性がないか?ということであれば、私もそうかもしれないと思います。しかしこれは真相がわからなければ何とも言えません。遅かれ早かれ真相は明らかになるものです。私は市川氏から直接指導をうけたことはないし、テレビや新聞で見る以外にはもちろん面識もありませんが、彼は「(国会議員になる前のことですが)、現役の幹部であった時代には、非常に謙虚で下部組織や下部党員の実態をよく調べてすぐれた指導をした人であった。」という噂を聞いたことがあります。書記局のいうように、もし市川氏に社会的道義にもとる行いがあったとすれば、彼はなぜそ うなってしまったのかを少しは考えなければならないと思います。袴田氏にも女性問題があったことが、除名後に中央は暴露しています。副委員長であった人がその種の問題を起こし、もし、今回伝えられるところが事実であったとすれば、党の最高幹部である副委員長や書記局次長であった人たちが、2人ながらにしてこの種の事件を起こしたことになります。ともあれ、市川氏の問題そのものに関しては、真相の解明を待たなければなりません。
 先にあげた「不破氏の真っ赤なウソ」や「市川氏除名問題の公表の仕方」には、「恥知らず」としか言いようのないものがあります。自分の所属する党の最高幹部をこのように形容しなければならないことはまことに悲しいことではありますがやむを得ません。
 全党の中で最もすぐれた政治的品性を要求されるはずの最高幹部の堕落はどこからくるのでしょうか。別な言い方をすれば、どうすればこれを防ぐことができるのでしょうか。共産主義者(もう現在の中央幹部は自らをこのようには位置づけていないかもしれませんが)といえども、普通の人間ですから人間的な弱さも当然持っています。一皮むけば単なる俗物に過ぎませんから、誰でも間違いを犯す可能性を持っています。これを防ぐためには、個々の幹部が自省するだけではなく、周囲からの批判が不可欠です。
 たとえば、不破氏の真っ赤なウソについていえば、マルクスが前衛という言葉を使っていることを不破氏が知らないはずがありません。それにもかかわらず平然と党大会でウソをつく。もし、党大会で不破氏「文献名をあげてマルクスは前衛といっているではないか。」と追及されるとすれば、不破氏はこんなウソはつかなかったでしょう。また、市川氏除名問題にしても「ばれなかったらそれでよし」とする党中央の対応が、全党から批判をうける状況があったとしたら、このようなふざけた対応にはならなかったでしょう。下からの批判は党中央の腐敗、堕落を防ぐ最大の保証であります。
 私は、革命運動の情勢によっては、行動の統一を固く守らなければばならないときがありうると思いますから、民主集中制を一般的に廃棄すべきであるとは考えていません。組織原則というものは、政治状況や闘いの状況にかかわりなく、不変のものであるはずがありません。現在、日本共産党中央のいう「民主集中制」はレーニン時代のものとは似て非なるものであり、スターリン的歪曲を受けたものです。党内におけるまともな討論システムをつくりもしないで、「党の方針に反する意見を勝手に発表しない」となどということは、民主集中制の組織原則から避けがたく出てくるものではありません。市川氏除名問題も、下からの旺盛な批判や全党の生き生きした討論こそが、現在、日本共産党に求められていることであることを物語ってはいないでしょうか。