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党員用討論欄

マルクスやエンゲルスは「前衛」という言葉を使っている

2001/1/14 川上 慎一

 「マルクスが「前衛」について直接言及した文献を教えて」(01/1/7付)という苦悩さんの投稿がありました。すでに、火花さんから投稿があり、前衛さんからも関連する投稿がありました。苦悩さんの投稿に対しては、私の投稿が発端になっていますので、本来ならば私がすぐにご返事をすべきでしたが、時間がなくてできませんでした。レスをしてくださった方に感謝しつつ、私も関連する投稿をします。
 まず、不破氏がどのように言っているかを引用します。

 いろいろ文献を読んでいて面白いことに気づいたのですが、大先輩であるマルクス、エンゲルスは「前衛」という言葉はいっさい使いませんでしたが、最初の綱領的な文書である『共産党宣言』のなかで、共産党の役割を規定して、なかなか昧のある言葉を残し残していました。実践的には、「もっとも断固たる、たえず推進していく部分」であるという特徴づけ、理論的には、「プロレタリア運動の諸条件、その進路、その一般的結果を洞察している点で、残りのプロレタリアー卜大衆に先んじている」という特徴づけです。これは、不屈性と先見性を独特の言葉で表したものだと読めます。(7中総「党規約改定案についての不破委員長の報告」「しんぶん赤旗」号外・より)

 火花さんが引用しておられたように、これに関連する討論がかつてJCPWで行なわれたことがあります。そこで未来学者さんが「(不破氏は)『前衛党』といいたかったのであろうが、…」(要旨)と書いてみえました。私も同感です。しかし、不破氏は上に引用したとおり、「前衛という言葉をいっさい使いませんでした」と言っています。言葉尻をとらえるつもりはありませんが、この不破氏の表現には度し難い思い上がりを感じられてなりませんので、あえてマルクスやエンゲルスが「前衛」という言葉を使っている例を引用します。
 不破氏があげている『共産党宣言』の序文の中でエンゲルスが次のように述べています。出典は『共産党宣言』(岩波文庫・大内兵衛・向坂逸郎訳)です。全集でいえば第22巻53、55ページが該当します。

 ツァーはヨーロッパ反動の元首であると布告された。今日では、ツァーは革命の捕虜としてガッチナにあり、ロシアはヨーロッパの革命行動[運動]の前衛となっている。(15ページ)
 この『宣言』には独自の経歴がある。それが出版された瞬間には、そのころまだ多数でなかった科学的社会主義の前衛から、熱狂的な歓迎を受けた……(16ページ)

 私は、前衛党、前衛政党という言葉を規約から削除することの是非を論じているのではないし、現代における労働者政党あるいは革命政党のあり方を論じようとしたのでもありません。マルクスやエンゲルスが「前衛」という言葉を使っているにもかかわらず、日本共産党の議長(前委員長)が「いっさい使いませんでした」などと言ってよいのか、ということを問題としているのです。
 不破氏のこの表現は、どんなに好意的に解釈しても、正確さを欠くものでありますから、訂正をしなければなりません。党大会でもう一度正式な報告をするのですから、そのときにでも訂正をしておくべきでした。不破氏は、党大会ではさすがに、「前衛という言葉をいっさい使いませんでした」とは言いませんでしたが、以下のように述べるのみでこれを訂正しようとしませんでした。

 第三に、この規約改定案は、マルクス、エンゲルス以来の共産党論あるいは労働者党論をふまえ、それを現代日本的に展開したものであり、科学的社会主義の大道にたったものであります。改定案は、「前衛政党」という規定をとりのぞいたことが一つの特徴として注目されましたが、「前衛政党」の規定も、この事業の歴史のなかでみれば、一時期にあらわれた規定であって、科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものではありませんでした。そのことは、七中総の報告でも指摘したところであります。

 いっぱんに、誰かがある語句を使ったという証明は比較的容易ですが、使っていないという証明は大変なことです。特に、マルクスやエンゲルスなどのように膨大な著作を残している場合にはなおさらのことです。不破氏はよほどマルクスやエンゲルスについて自信があったのでしょう。過剰なほどの…。日本共産党には社会科学研究所もあり、たくさんのスタッフもいます。マルクスやエンゲルスが前衛という言葉を使ったことを、誰一人知らなかったとは考えられません。それなのに不破氏に忠告しようとした人はいなかったようです。不破氏が「裸の王様」状態に近づきつつあるような気がしてなりません。