仕事や党活動が忙しく、しばらくこのHPを見ない間に何人かの方からマルクスが「前衛」という言葉を使った例を指摘していただきました。ありがとうございました。早速、手近にある文献をあさってみました。『資本論』や『共産党宣言』,『フランスにおける内乱』などで該当箇所を見つけました。
確かにマルクスやエンゲルスも「前衛」という言葉を使っていました。討論のなかでもご指摘があったよにドイツ語の訳語といったことからくる問題や「前衛党」と言いきっている箇所がないなどの点はありますが、不破氏が「いっさい使っていない」と言い切った「前衛」の語句を目にしました。
私も「前衛」という自己規定をすべきかどうかについてはいろいろ考えるところもあります。しかし、その理論的裏づけに委員長(現在議長)ともある人が、うそ(ないしは間違い、ないしは不正確)の報告をし、それを『さざ波』などで指摘されても謙虚に訂正もしないで平気な顔で笑っている。こんなことでよいのでしょうか。たいした部数ではないとはいえ、日々赤旗の配達や集金を地道におこなっている一党員としては、実にやるせない思いにかられます。
最近、愛すべき我が党の指導部は、「わかりやすさ」の名の下にわかりにくいことばかりをやっているようなきがします。多くの方がすでになんべんも指摘していることですが、違憲の自衛隊の有事活用を認めたり、「前衛」のなかみを先見性と不屈性に分解し、これまで主張してきた指導的役割や責任を「誤解」の一言で片付けたり、「大企業は敵ではない」などといって階級闘争の敵をあいまいにして改良主義(改良がすべて悪いとは思いませんが)に乗り出したり、教条主義はよくないですが「空想から科学へ」が明らかにした階級闘争の理論の先駆性から目をそらし「国民」の名の下に、空想的社会主義?に逆戻りしたり(私にはそう見える)、しかもそれを社会民主主義への路線の転換だとはいわずに科学的社会主義を名乗りながらおこなうという芸当には驚きを禁じ得ません。
そういえば元旦の「朝まで生テレビ」で筆坂氏がコメンテーターから、いまの共産党の路線は社会民主主義とどう違うのかという趣旨のことを聞かれ、答弁に窮していました。「民主主義革命」の段階では、確かに共通性もあるでしょうが、かりにも共産党の政策責任者がこの問いにたいして「社会民主主義はいざというときに妥協する政党」(確かに歴史的にもそれはそのとおりですが)などの答えしかできないというのはおそまつでした。国民の合意で社会を変革するのは当然ですが、あなた方の信条は、たとえ今すぐ実現できなくても、共産主義なのか、と指導部のみなさんに聞いてみたくもなります。
私は暴力革命は、好みませんが、議会を通じて民主的に革命を成し遂げることは好みます。革命である以上、階級敵は存在します。
あまりにも他の階級や階層に配慮しすぎるのはナンセンスだと思います。一致点での協力、共同や多数派の結集は大事ですが、入党はもっと慎重にすべきだと思います。確かにいまの党の高齢化状況からすれば多くの党員を迎え入れたい気持ちはわかります。私もそのような衝動にかられます。しかし、最近の党員拡大の基準(事実上地区委員会などが推奨している対象)の安易さには不安も感じます。入党後の教育が大事ですが、放置されることもしばしばですし、そもそも最近の右傾化路線の学習では・・・。脈絡がない文章になってしまいました。書いているうちに様々な思いがめぐってきた結果です。お許しください。