1)民青はその歴史的役割を終えたので、今後は高校生組織として再編し、18歳卒業として以後は日本共産党青年部として一本化することを提案する。72年の新日和見主義事件以後民青の組織は衰退の一途を辿った。当時20万の民青は現在では2万3千である。党中央が提案した25歳卒業は明らかに誤りであった。年齢問題を巡る党中央との確執が新日和見主義事件のキッカケであったが、70年代後半になると民青の後退は明らかになり、25歳卒業制は廃止された。だからといって、決して新日和見主義者が名誉回復することもなければ、日共党中央が自己批判することもなかった。
2)実際私自身80年大学卒業時点で党は転籍したが、民青の方は転籍したかどうかさえ定かでない。決して私が例外でないのは、84年「民青が史上最高に達した」と報告されたことでも明らかである。要するに70年代後半以後の青年学生運動後退の中で、民青に加わる若者が減る一方なのに、卒業が曖昧になり又党機関が民青減少の報告を嫌う為私のように本来卒業すべき者まで実態のないまま「籍あり」とされた「史上最高」だったのである。(ひょっとすると私自身20年以上経た今日でも「民青」の一員にカウントされているのかも知れない。どうでもよいことではあるが。)転籍手続き自体が実に曖昧なのである。私の経験した例でも、たった100kmしか離れていない隣県の班からの転籍に実に4年間も要したのである(無論4年も音信不通では、本人も当然のことながら自身がかつて民青に在籍したことさえ忘れていた。)これが「1人1人の同盟員を大切に」といっていた組織の馬鹿げた実態なのであった。納得!!!
3)以上より私からの提案である。:民青は高校生組織として18歳卒業とし、「われら高校生」を機関紙とする。18歳以後は日本共産党青年部として、党一本に絞る。理由:青年学生運動の後退という実態に鑑み、民青・共産党の2重構造は青年活動家の大衆に接触する時間を減少させるだけである。民青などというまどろこしい中間システムを廃止して党一本にした方がすっきりする。青年労働者、学生に直接党を訴えるべきである。
4)志位委員長就任に際しても問題にされたことではあるが、労働経験の全くないものが民青ー共産党と専従の道を歩むことは非常に危険である。党が民青の指導を直接すべきである。若い有能な活動家は民青専従にせず、労働経験を積ませてから(それもなるべく民主経営でないところで)党専従に迎えるべきである。
5)数字に見る民青の後退。:党5中総では1万8千人迄後退した民青は2万6千人迄回復したと報告されていた。しかるに今回民青大会では2万3千人である。民青大会月間の中で2千人増えたとしても、差引き1万人増えて5千人減少したことになる。無論5千人の内で卒業者はさほど多いとは思われないので、大部分はしつこく勧められて加入したが未結集で除籍されたということなのであろう。2万3千人の内新入者残り5千人、脱退予備軍5千人としてせいぜい経験のある確信的活動家は1万3千人というところか。この率は70年代前半と大差はない。ただその総数が10分の1に圧縮されただけである。