3月10日付前衛氏の反論に対して再反論をさせていただく。前回の私の反論はあまりにも長すぎたので、もう少し簡潔に議論を展開したい(そのついでに「ですます」調もやめる。どうしても文章が無用に長くなるので)。
段階的解消論の意味
まず、自衛隊の段階的解消に関する論点であるが、前衛氏は、「どのようなプランでもある程度『段階』を踏む必要があると理解しているし、解消に至るプロセスでは自衛隊が『存在』していることもやむを得ない政治的現実であると認識している。……さざ波通信では、『できるだけ早急な解消』をのべていたと記憶するが、『段階的解消』を肯定するか否かお聞かせいただければ幸いある」と述べている。ここでは、日常用語で言うところの「段階」と、特殊な政治用語としての「段階」とが意識的に混同され、かつての社会党や現在の共産党の言う「段階的解消論」の特殊な政治的含意が曖昧にされている。どんな「即時廃止」論も、一定の手続き的、実務的段階を経なければならないのは当然であり、そのような日常的意味での必要な段階をも「段階論」の範疇に入れるなら、いっさいの政治的行為は「段階論」であるということになってしまう。共産党指導部自身が、わざとそのような一般的・世間的意味での「段階」とオーバーラップさせつつ、自らの「段階解消論」を語ってもいるので、一般市民は、ともすれば、そのような「段階論」を当然と受け止めがちである。
だが問題は、そのような手続き的・実務的段階ではなく、自衛隊の解消に着手する上で、そのような手続きや実務的期間の設定に還元されない政治的条件を本質的なものとして持ち出しているかどうかである。この点で、第22回党大会における自衛隊の段階解消論が、「国際情勢の安定化」論ないし「平和的情勢成熟論」を導入したことが(しかも、「万万万が一の侵略可能性もない」というほどの「成熟」)、この問題における決定的論点である。このことを認めるのか否か? 前衛氏は、「『常備軍』の廃止にあたっては、国民世論の動向が重要なウエイトを占めることは疑いないし、国際情勢の判断なども当然必要である」とさらりとかわすことによって、この決定的な問題を何でもないことのように受け流す。なかなかの論争術である。
例として、核兵器の緊急廃絶論と比較しよう。共産党は、少なくとも80年代以降、一貫して核兵器の緊急廃絶論の立場である。ところが、核兵器の段階的解消が必要だという口実のもと、ある国ないし政権党が、「他の国から核攻撃される万万万が一の可能性もなくなってから核兵器の廃絶に着手する」と宣言したらどうだろう。これを「核兵器の段階的解消をめざす現実的な方針だ」などと評価しうるだろうか? これは、実質的には、他の国から核攻撃される「万万万が一の可能性」がなくなるまで核兵器を維持しようとするものであり、それまでのあいだは、核兵器を一種の「抑止力」としてその必要悪を認める議論であり、事実上、核兵器の半永久的存続論であると言うことができるのでないか? そして実際、共産党は、口を酸っぱくしてそう言ってきたのではなかったか? この点について前衛氏はどう考えるのか?
綱領と第22回党大会決定
前衛氏は、以上の議論に続いて、日本共産党綱領との関連を次のように問うている。
共産党の綱領は、自衛隊については、「解消」を述べるのみであり(その真意は侵略的な軍隊であるということであろう)、私は、これまでの「中立・自衛」政策も今回の「段階的解消政策」も別段綱領に「抵触」するとはみていない。しかし、さざ波通信は、現在の共産党の政策を事実上の自衛隊「必要」論(自衛隊容認論まで後一歩)と批判しているので、現在の共産党の政策は綱領「違反」という認識になる「ハズ」である。まず、現在の共産党の政策が「適切」かどうかを議論する前に、綱領との関係を整理しておく必要があると思う。S・Tさんは、綱領違反と理解をするのでしょうか。あわせて、これまでの「中立・自衛」の政策については、どうお考えでしょうか。
言うまでもなく、第22回党大会決定は綱領違反である。だが、党指導部による綱領違反はこれだけではない。天皇制の事実上の存続を認めたことも、明白に綱領違反である。また天皇制と密接に結びついている「日の丸・君が代」の法制化策動に手を貸したことも、広い意味では綱領違反である。前衛規定削除も綱領と矛盾する。その他もろもろ。
また、かつての「中立自衛」政策について言うなら、それは、憲法9条の先駆的意義の認識を前提とした現在の左派の共通認識の水準からすれば、もちろんのこと不十分なものである。憲法9条を単なる政治的利用主義(ブルジョア国家のあいだは、支配階級の手を縛るに有効、という理屈)の見地から見ていた古くからのマルクス主義左翼は、この点で、護憲運動や護憲学者たちから大いに学ばなければならなかった。われわれもまたそうである。しかしながら、かつての「中立自衛」政策時代の共産党は、少なくとも、自衛隊の活用という見地には絶対に立っていなかった。反動的軍隊をできるだけすみやかに解散するという立場は一貫していた。しかし現在の共産党の公式の立場は、憲法9条に対するリップサービスをたっぷり行ないながら、実際には、自衛隊の解消を半永久的未来に棚上げするとともに、反動的軍隊たる自衛隊の活用を「政治の当然の責務」として肯定している。すなわち、現在の共産党の立場は、憲法9条擁護でもなければ、人民的軍隊論でもない。第20回大会は、憲法9条擁護に向けた「一歩前進」であった。第21回党大会は、憲法9条の射程を事実上、常備軍禁止にのみ限定した点で、すでに「半歩後退」であった。そして、自衛隊の解消を半永久的未来に先送りし、さらには自衛隊の活用をうたっている第22回党大会決定は、明確な「二歩後退」、いや、ブルジョア的祖国防衛主義への逸脱である。
民主連合政府と自衛隊解消論
前衛氏は、第22回党大会での修正部分を引用して、次のように持論を展開している。
ここで、明らかにされたことは、民主連合政府に参加する際に、今までの「革新3目標」などとともに、自衛隊を「憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざす」ことを「条件」或いは「前提」にすることが表明されていることである。逆にいえば、自衛隊の解消をめざさない「民主連合政府」には参加「しない」ということである。
いったいどう読めばこのような解釈になるのか? 第12回党大会で採択された民主連合政府綱領の段階ですでに、自衛隊の解消は民主連合政府の政策に入っている。あたかも、今回の第22回党大会ではじめて民主連合政府の政策の中に自衛隊解消が入ったかのように言うのは、的外れもはなはだしい。さらに、「自衛隊の解消をめざさない『民主連合政府』には参加『しない』ということである」などという解釈は、まったくもって事実に反するし、日本語の論理としてもおかしい(「政権に入ったらAをします」という言説は、「Aをしない政権には絶対に入らない」という言説と等価ではない)。実際、志位氏は、第22回党大会の議案報告の中で次のように述べている
。かりに、この方針をとらないならばどうなるでしょうか。そうすると、自衛隊の即時解消を方針とする政権でなければ、たとえ安保廃棄の政権であっても、わが党はいかなる連立政権にも参加してはならないということになります。かりに、そうした硬直的な態度をとるなら、国民の国政革新の要望にそむくことになるばかりか、憲法九条の完全実施を逆に遠ざけることになることは明瞭ではないでしょうか。
この文章は多少言葉のごまかしをしているが、その趣旨を素直に理解するなら、「安保廃棄の政権」でありさえすれば、共産党はその政権に入る用意がある、ということであろう。ここではっきり言われているように、共産党指導部は、「自衛隊解消」を民主連合政府に参加するかどうかの「条件」や「前提」になどしておらず、それどころか、そのような「条件」を設けることに反対している。もちろん、このように書けば、前衛氏は、ここで言われている「連立政権」は「民主連合政府」ではない、などと反論してくるだろう。だが、「安保廃棄の政権」は、右翼的安保廃棄政権(自立帝国主義政権)でもないかぎり、「民主連合政府」とどう違うのか? それとも、暫定野党連合政権と民主連合政権以外に、さらに別の連合政権構想があるとでも言うのか? 共産党の大会方針は、党の想定する「理想的な」民主連合政府ができた場合には、自衛隊の解消に取り組む、ということでしかない。いかなる意味でも、「自衛隊の解消」は、「連立政権」(野党連合政権だろうが、民主連合政権だろうが)に参加する条件ではない。
社会党の政策と共産党の政策
前衛氏は、上の引用文に続けて、こう書いている。
社会党が社公合意によって、安保・自衛隊問題を政権参加の際に「棚上げ」にしつつ、「党」の独自路線としては「段階的解消」や安保否定論などを述べていたことと対比して、その違いは明確であると思うのであるが、S・Tさんはこの点、どう判断するのでしょうか。
残念ながら、私の頭では、何がどう「違いは明確」なのか、この文章を読んでもさっぱりわからない。たしかに、80年代社会党の政策と、今日の共産党の政策とのあいだには、大小さまざまな違いがある。安保条約をどの時点で廃棄するのか、というのは、そうした違いの中で最も重要なものである(80年代社会党は第3段階で廃棄すると主張し、現在の共産党は第2段階で廃棄すると述べている)。そのような違いがあるのは当然のことだ。だが、問題は、「自衛隊の段階解消論」それ自体についてはどうなのか、という点である。社会党が80年代に提唱した「自衛隊の段階解消論」と、現在、共産党指導部が触れ回っている「自衛隊の段階解消論」とのあいだに、いったいどのような本質的な違いがあるのか、はっきりと指摘していただきたい。また、われわれが指摘した、本質的共通性について、具体的に反駁していただきたい。
自衛隊「活用」の時期
この問題については、前衛氏は、これまで述べてきたことをただ繰り返しているだけであり、私の問いに何ら答えていない。したがって、私もまた、同じことを繰り返すしかない。
大会決定の文章は、民主連合政府が成立し、安保が廃棄され、自衛隊の解消に取り組むという一連の過程の中で、急迫不正の主権侵害があったらどうするのか、という問題設定をしているだけであって、どこにも、「自衛隊活用」の条件は、安保廃棄であるとか、自衛隊の改革であるなどと書かれていない。もし本当にそうだったら、そのような「左翼的」条件は、党内の9条擁護派を説得する上で大いに役立ったことだろう。このような条件つきなら「自衛隊の活用」もやむなし、という党員もいたかもしれない。なぜ、党指導部は大会ではっきりそのように説明しなかったのか? なぜ報告でも結語でも、その後の赤旗解説でも、そのような説明をしないのか? 昨年6月の『しんぶん赤旗』の解説をなぜ訂正しないのか?
その理由は明らかである。安保廃棄前、自衛隊改革前でも、自衛隊を活用するのは当然であると堂々と開き直ることができず(『しんぶん赤旗』の解説記事はあまりにも評判が悪かった!)、かといって、はっきりと安保廃棄や自衛隊改革を「自衛隊活用」の条件にすることもできなかった。なぜなら、そんなことをすれば、またしても、テレビでの党首討論でしどろもどろになって赤っ恥をかくことになりかねないからである。そこで、大会では、安保廃棄前にはどうするのかについて何も言及することなく、民主連合政府成立後ないし安保廃棄後の「自衛隊活用」についてのみ述べることにしたのである。おそらくは、前衛氏のような「お人好し」が好意的な解釈をしてくれるのを期待して!
自衛隊「必要」論をめぐる論点
長くしないと宣言しながら、すでに十分長くなっているので、簡潔さをさらに追求したい。
この問題でも、前衛氏は、前回の私の反論が出した決定的論点に結局は答えていない。根本は、今回の大会決定において、自衛隊解消の本質的条件として「平和的情勢の成熟論」が提示されたことである。この点こそ、80年代社会党の政策転換との本質的同一性である。前衛氏は、しきりに、「平和外交の展開」を言うが、80年代社会党もやはり「平和外交の推進」をうたっていた。もちろん、すでに述べたように、安保条約をどの時点で廃棄するのか、という点で当時の社会党と現在の共産党とのあいだには大きな違いがある。しかし、80年代の共産党は、その点だけで社会党を批判していたのではなく、自衛隊解消策そのものについても、国際情勢の安定化を条件に入れたことを力を込めて批判していたのである。この点については、引用を含めて、前回の私の反論で詳しく展開しているので、ぜひとも、その議論に即して反論していただきたい。
その他もろもろの前衛氏の反論は、以上の論点に答えないかぎり無効である。ただ一つだけ、国際情勢に対する認識が、第21回党大会と第22回党大会で根本的に変わったことを私が指摘したことに対する、前衛氏の「反論」を取り上げておきたい。氏は次のように書いている。
形式論理としては、21世紀中に常備軍をなくすことが可能という説明は、「では、それまでは常備軍はあるのだな」ということであるが、これは、文意を理解していないのである。
元々、この大会決定では、この文章の後に、「自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつ」と述べられており、段階的解消論と取る以上、その期間において「存続」しているのは、いわばあたりまえであり、周りくどい論議をしなくても、共産党自体が直截的にのべているのである。
だから、S・Tさんが引用した文章は、「自衛隊解消までは自衛隊が存在する」というような無内容なことを述べているのではない。注意してみて欲しいのは、自衛隊ではなく「常備軍」と言っている点である。もう、おわかりでしょうか。これは、これまでの共産党の政策であった、武装中立政策を放棄することを述べているのである。今後、憲法を改正して自衛権の行使を軍事力(……)によって行わないということを『宣言』しているのである。
いったいいつ私が「『自衛隊解消までは自衛隊が存在する』というような無内容なこと」を述べたのか? 私が問題にしたのは、第21回党大会での国際情勢認識と第22回党大会での国際情勢認識との「差」であって、「共通性」ではない。この決定的な論点に、この反論はいっさい答えていない。前衛氏は「注意してみて欲しいのは、自衛隊ではなく『常備軍』と言っている点である。もう、おわかりでしょうか。これは、これまでの共産党の政策であった、武装中立政策を放棄することを述べているのである」と言うが、武装中立政策の放棄そのものは、第20回党大会でとっくに述べられており、第21回党大会では、現在の国際情勢はすでに「恒常的戦力」なしに安全保障が可能になっていると述べている。つまり、私が「差」を問題にしているというのに、前衛氏は、第21、20回大会との共通点を持ち出して、とくとくと第22回党大会の文章を解説しているのである。
問題は、今現在、「恒常的戦力」すなわち「常備軍」なしでも国の安全保障が可能だとみなしているのか、それとも、今は不可能(つまり、国の安全保障のためには「恒常的戦力」ないし「常備軍」は必要)とみなしているのか、である。第21回党大会決定は、今すでに可能であるという立場であり、したがって、急迫不正の主権侵害に対しても、「恒常的戦力」や「常備軍」で対処するのではなく、憲法9条の範囲内で対処するという立場だった。それに対し、第22回党大会決定は、21世紀には可能になる、つまり今は不可能であり、したがって、急迫不正の主権侵害に対しては、いまある「恒常的戦力」「常備軍」たる自衛隊を活用して撃退しなければならない、という立場である。これこそまさに、自衛隊を必要悪とみなす議論に他ならない。いったい、こうした議論のどこに「ビックリ」すべき内容があるというのか? こちらこそ、あなたの詭弁ぶりに「ビックリ」する。
以上見たように、前衛氏の一連の解釈は、まったく根拠のない希望的観測にもとづくご都合主義的なものでしかない。自分を納得させるためなのか、それとも、党内の反対派を煙に巻いて、党指導部を結局は擁護したいのか、それはわからない。いずれにしても、前衛氏の議論は、確実に、党指導部に対する批判の矛先を鈍らせ、党指導部のいっそうの右傾化を促すものでしかない。私は改めてこのことを指摘しておきたい。