マサコが妊娠したとかで、馬鹿なブルジョワマスコミは大騒ぎをしています。まったくくだらないことです。ところで、妊娠するまで何年たったでしょうか。いろいろな人がいますから、一概にはいえないとしても、ちょっと長かったですね。一回流産したとかですが。
映画のラストエンペラーでは、溥儀が東京でヒロヒトと遊びほうけている間に妻が妊娠しました。帰ってから、困惑しつつも喜んだようですが、本当の相手は満州人の溥儀の運転手だったとかで、運転手は暗殺され子供は出産直後に殺されており死産とされていました。そして、そのことを隠すこととの交換条件でしょうか、完全なる傀儡にされてしまいました。見事なまでの政治利用でした。本当かどうかわからないにしても、あまり大きく外れた話を映画にはできないでしょう。
今、自民党の新総裁も決まったようですし、都議選、参院選と政治日程は目白押しです。出産にあわせて、馬鹿騒ぎの総選挙も仕組まれるかも知れません。
テンノー一族の顔をよく見たことありますか。見たくもないのは山々ですが、典型的な朝鮮民族系の顔つきと思いませんか。古墳でも、朝鮮によく見られる絵が描かれていたり、朝鮮からの征服王朝が日本を支配したことは、神話などを裏から読めば簡単にわかることではないでしょうか。
今こそ、タブーを破って、テンノー制が国民にとっていかに害悪しかもたらさない税金の無駄遣いであるか、そして、国民の生命・財産の、権利や平和への願いの敵であるかを徹底的に宣伝していくべきときではないでしょうか。いかにも国民に定着しているかのように言われますが、日常、どんなプラスを感じますか。一貫した日米反動支配層と、その下で私腹を肥やす、一連の資本家の広告料や宣伝費にがんじがらめのブルジョワマスコミの連中の一面的な世論誘導に惑わされているだけではないのでしょうか。
私は、左翼の改憲論者です。戦争放棄や国民の諸権利の前に、なぜ第一章としてテンノー制があるのでしょうか。諸外国での君主制は揺らいできています。日本だけ取り残されては歴史の進歩はありません。いつ何時、政治利用で実質的な絶対主義的テンノー制が復活するかわかりません。
今、そのことだけを前面に押し出すことは、短絡的な冒険主義として世論の前衛としての私たちの役割を不利にしかねません。しかし、このままで、いいのでしょうか。