「殺人未遂事件の事実を党の歴史から隠蔽し抹殺」しようとする目論見がなされたことは明白です。党の安泰のためには「党員の一人くらい犠牲にしても構わない」という組織の冷酷非情な論理が働いたものと考えられます。その根拠となるものを、もう一度下記に集約しました。この事実こそ党に「かい離矛盾」があることに党が気が付かない筈がありません。
★ 1996年4月12日 訴状に対する中央委員会の見解
報告 訴願委員会
「H」など3人が来訪
◎ 三つの総括
※ 全体として「○○の申立ては事実であることを確認した」。
★ 1997年12月12日 訴状に対する最後通告
訴願委員会「H」 県委員会「N」来訪
「N」県委員長=「事件は反社会的なものであった。」「党が組織的に事件を隠蔽したことは犯罪である。組織犯罪であった。」「我々はこの事実を真摯に受け止めている」「私は事件のことを良く知る立場にあった。我々は新しい世代の執行部であるが、県党としての責任を回避するようなことはしない」と明確な総括をしました。「裏組織」については「N」氏自身が県党最高幹部から「所属の大企業の重役(経営陣)に入れ」と指示された事実があったこと。党の命令で裏組織に潜入した党員に年金がつかず、今になって頭を抱えていることなど「裏組織」が存在していた事実を訴願委員会の「H」氏の前で証言しました。「H」訴願委員会責任者=中央委員会の総括として「事件は『A』の事業上のトラブルと思われる。」「元指導者は老齢で記憶が定かでない」とし「これ以上の調査はできない」。「県党はずっと正しい路線を踏んでいて、中央は高く評価している」。訴状については「これ以上、やりようがない」と強弁し、調査打ち切りの宣言を行いました。
党中央が「事件は党と関係がなかった」としたことで、私が長年党に要求し続けていた ①『A』の処分をやり直すこと ②元指導者の自己批判と私への謝罪 ③私の名誉回復の措置をはかる ことが全て反故(ほご)にされました。
● 中央委員会と県委員会の見解が二転三転するという最低の結末となりました。県党は中央に忠実従ったものと思われます。
● 党が首尾一貫していることは「党組織の秩序と団結を維持するためには『スケ-プゴ-ト』に仕立てた人間を、今度は党組織から一刻も早く排除することにより組織の安泰を図った」ことだけです。
● 「殺人未遂事件は共産党と関係がなかったと強弁するなら、組織犯罪の責任者と彼らの指示に従い手段を選ばないイジメをした人物に対して、人権を著しく侵害され精神的な傷害を受けたので『損害賠償請求』したいが、あなた方の見解を求める」という書簡を中央委員会と県委員会に送りました。
● 後日、県党の代理人とおぼしき人物から電話がありました。「お前が何を言ってきても、一切無視する。黙殺する。という合意が中央委員会と県委員会の間でできた。だからお前が何を言っても無駄である」と。
● 日本共産党には、地方の党が犯した組織犯罪の諸々の事実を直視し、組織の責任者にその非を認めさせて、被害者に謝罪しなければならないと指導する道義的な責任があります。しかし、日本共産党は今までの見解を覆えし道義的責任を放棄し、以後、私の最小限の要求すら無視する手段に出たことは、日本共産党のモラル崩壊の兆しと受け止めました。日本共産党が全知全能とは始めから考えていませんが、この事件の対応で示した豹変ぶりは何を物語っているのでしょうか?
※ 殺人未遂事件の経緯 ① ~ ⑧を辛抱強く読んで下さった全国の党員の皆様に感謝いたします。次号で終結します。
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