私は祖父の代からのキリスト者の家庭に生まれました。戦争中、日本の旧植民地で親が特別高等警察の厳重な監視(天皇が神か。キリストが神かという宗教弾圧)の下に置かれても、決して自分の信仰を決して曲げなかった、その強い後ろ姿を見て育ちました。
1962年、無権利状態の職場に労働組合を結成し、初代組合委員長に推薦され雇用確立と職場の改善のため働きました。その闘いの中から平和と正義、民主主義の共産党に入党しました。
入党にあたり親にその旨を伝えますと「あなたの生涯からして、共産党に入ることは当然と思う」と理解してくれました。
先輩の党員が「肉親は血で繋がっているが、党員は生命で繋がっている」と小林多喜二と中国革命文学書『紅岩』の話をしてくれました。この言葉は今も私の心の中に生き続けています。
平和と正義、民主主義の党である筈の共産党幹部によって撲殺されようとした上に、党組織によるイジメが加わったこと。中央の調査に対して、当時の党指導者は「○○の怪我がそんなに酷かったとは知らなかった」「事件のことは知らなかった」「当時、責任ある地位についていなかった」「当時のことは覚えていない」「忘れた」と口を揃えてボケを装ったり、嘘、偽り、責任逃れに懸命であった事実。彼らは共産主義者、共産党員として、党の指導者として、人間として最高の裏切りであり背信です。
県党主催のアカハタ祭りに、加害者「A」夫妻が現れ、党幹部と談笑しているところを目撃されています。
永い間党活動を理解し支えてくれた家族の心境を考えると、言葉を失い暗澹たるものがあります。
それでも私は党を捨てることをしないでしょう。こんな頑固な党員を、皆様はどんな思いで見ておられますか?
人が日本共産党に、どんな思いを抱いて入党してくるのか? 日本共産党がこの厳粛な事実をどのように受け止めているのか?とことん聞きたいものです。
某県某市には、全国から沢山の修学旅行生が訪れて平和と生命の尊さを学びます。記念日には世界に向けて市民の手による平和のメッセ-ジが発信されます。
県党の歩んできた道は真の平和への道であったか? 身内の反社会的事件、人権侵害のイジメの事実を認めながらも、自己批判も謝罪もできない尊大な政党が、市民に向かいどうして平和と正義を真心から語ることができるでしょうか?
「人権尊重!人権擁護!」と声高に唱える日本共産党が、結果的に「某県党はずっと正しい路線を歩んできた。中央は県党を高く評価している」と擁護したことは「かい離矛盾」以外のなにものでもありません。
県党は中央の指示どおり「これ以上発言すると、処分を考える」と通告してきました。
反社会的な暴力事件をも隠蔽できるシステムが存在し機能している限り、「党で起こってはならない」事件が発生しても巧みに隠蔽、抹殺されることが明らかにされました。
組織の理不尽な扱いを受けて苦悩している党員がいても、決して不思議ではありません。
現状では組織内で声をあげることは至難なことです。しかし、事実ほど強いものはありません。事実は事実として声をあげるべきです。泣き寝入りは相手を増長させ、ますます慢心させることになり、決して党の改革に貢献することはありません。むしろマイナスに働くと思います。
日本共産党と言えども、事実を隠蔽し、党史を捏造したり歪曲することはできません。現在を誤魔化したとしても、後年の歴史家が明らかにすることでしょう。
この確信があったからこそ、日本共産党が殺人未遂事件を隠蔽した事実を公開できました。
「さざ波通信」の存在がなければ、私の事件は闇に葬られ、歴史から抹殺されていたと思います。
● 党員の皆様の意見を是非寄せて下さい。
私の健康状態について「あいつはどこも悪いところはないではないか」と共産党員が嘲弄します。しかし頭髪で隠されていますが左頭側部が陥没し、
頭蓋骨が変形しています。
誰が身体の弱点を好んで喋るものでしょうか? 必要に迫られて話すと「それは酷い目にあったな」「それがどうした」「一体何を言いたいのか」という冷淡な反応しか返ってこなかったのです。人の痛みが共感できない党員が多すぎました。
暴力によって健康が破壊され、自動車の運転は危険だと医師に禁じられました。自動車社会では就職の条件に免許の有無が重要でした。
三十余年にわたる辛酸の人生を、日本共産党は全く関知しないと言い続けるのでしょうか?
診 断 書
(氏名) ○ ○ ○ 生年月日 才
(病名) 外傷後ストレス障害の可能性が大きい
現在の症状は、以下に記すとおりであり、頻度はいずれも年2回から数回程度である。
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ (略)
上記の症状が過酷な外傷体験の結果であれば、それはDSM-Ⅳ(米国精神医学会が作成した診断基準)による『外傷後ストレス障害』の基準を十分に満たすことになる。
さらに、○○労災病院が1966年7月18日に発行した診断書を見る限り、当人が重度の頭部外傷を負っていたことは確実であり、この時の外傷体験が精神的な外傷(心的トラウマ)となって、現在に影響を及ぼしている可能性は極めて高い。
○ ○ 病 院
診断書作成者(精神科医師、精神保健指定医)
○ ○ ○ ○ 印
発行日 2000年11月9日
● (宣言) 殺人未遂事件は時効という隠れ蓑で一切の請求が無視されました。しかし、人権問題には時効はないことを宣言します。
● 2001年に選出された新県党執行部と、それ以前の執行部とは、一応区別しています。
この項終わり