共産党、社民党支持者は家長裁判で、どの様な立場をとっていたのだろうか? 国の検閲に対して、どの様な意見を持っていたのか、忘れたのだろうか? 表現のの自由を闘ったのが家長裁判だったのではないのか?
国の検閲によって、創る会(扶桑社)の教科書を、不合格にしろという。右翼には、表現の自由はない、という事か? これは、自分の首を自分で絞めていることがどうして判らないのか? 制限付きの表現の自由は、その制限の対象が、自分たちにかかることもあり得るという事である。
あの教科書に納得がいかないと言うなら、「採用」しないように働きかければよい。新日本出版社も歴史教科書を作成すればよい。実際、この本を使用するのは、一部の「右翼的」思想が強い私立学校位のものであろう。思想信条で右翼の学校に入った人は、思想信条の自由として、この本を使う権利があるのは当然であろう。
教科書を、思想信条によって、作らせないということは、理不尽ではないのか? 今回の、文部科学省の「思想信条によって不合格には出来ない」というのを、解釈の「前進」と受け取ればよい。まともな教科書を、それこそ、新日本出版社が作成して検定を受ければよい。
そもそも、白表紙とは、一切の、思想信条の背景を排除して、どこの出版社が出した本かという事を知らせずに、「客観的に」「教材としての適切さを評価する」為に行なっているのであり、その段階で「不正に」入手した情報で、「世論を煽る」事は、不適切である。
逆に、まともな教科書を「アカ」の書いた教科書だから、同様の方法にて検定不合格にしろという状況が来るかも知れない。白表紙の段階でリークされて世論を煽られたら、まず、その違法性を指摘されて当然であろう。この危険性に関して、もう少し慎重になるべきである。
大体、各社の編集者、執筆者の氏素性をいちいち調べているのだろうか? 何故扶桑社のみ調べ上げる必要があるのか? もし、他社の編集者、執筆者に、共産党、社民党関係者、前衛、経済等に頻繁に執筆している人がいたなら、その人を入れることは偏っていると、暴露されて、糾弾されても良いという事なのだろうか?
好きか嫌いか、良い本か、不適切な本か、と言ったら、まだ、私は、「判断」していない。理由は、現物を見ていないから。まぁ、興味本位以外で、読む気にはなれないであろうという「予測」はつくが。だからといって、排除しろ、とまで言う気にはなれない。