貴方の5月15日付投稿に対し、私見を述べます。先ず問題点を整理すれば、
1)教科書検定制度自体の是非
2)現行採択制度の問題点
以上かと存じます。1)については、貴方も御指摘の通り、憲法に保障された「言論出版の自由」という立場から、私も検定制度自体廃止すべきであると考えます。しかし、問題は2)です。そもそも藤岡信勝氏等は、義務教育でなく、従って教科書選択が学校教員の裁量に任されている高校用の日本史教科書を作製したが、不評惨憺で全く売れず失敗した経緯があります。そこで姑息にも、義務教育で教科書選択が教育委員会の裁量範囲の中学歴史教科書を出版し、教育委員会に働きかけて採用してもらい、採算ベースに載せようとしているのです。全く売れる中身も作れない、歴史学者の風上にもおけない似非学者であります。
私たちの闘いは、教科書検定制度の廃止と、教科書採択権を学校、教員に取戻す2点を統一した闘いであります。藤岡氏らは「教科書選択は住民に選ばれた地方首長、議会の任命する教育委員会に任せるべき。教員に任せれば、日教組に都合のよい教科書が選択される」などとほざいていますが、教員が自分の授業で使用する教科書を自分で選べないことこそが一番可笑しいのではないでしょうか。大体私の学校時代の経験からいっても、無能な教員ほど教科書をそのまま教えました。有能な教員は、教科書を絶対とするのではなく、一つの教材として、自己の学問的成果に基づき授業を展開したものであります。そういう意味から言えば、教科書問題は教員に対しても(父母生徒の共感を得ようと思えば)一層の研鑽を迫っているともいえます。
最後に、教科書は検定によってではなく、教員、生徒、父母の批判によって整理淘汰されるべきであります。扶桑社に歴史教科書が全く売れず、絶版を決意させるような闘いを展開しましょう。