私の文章は、単純に、非常識な手段による「妨害」は止めよと言っているのであり、「教科書検定制度自体の是非」を、問わないで現在行なっている一連の反対運動を指して批判しているのです。共産党、社民党は、制度として認めた上で、制度によって不合格にせよと言っているのです。しかも、政党の特権で入手した情報、あるいは、単なる情報漏洩、公務員の倫理規定違反の情報を元に、本来知ってはいけない白表紙の改訂の中身を論じているのです。私が批判しているのは、共産党の扶桑社の本に対するアプローチが間違っている、と方法を批判しているのです。
貴方が批判されている、「採択するように教育委員会に働きかける」ことは、当然の権利です。「高校の教科書で売れなかったから中学の教科書を作成する」、これも自由です。更に、彼の発言として取り上げている「教科書選択は住民に選ばれた地方首長、議会の任命する教育委員会に任せるべき。教員に任せれば、日教組に都合のよい教科書が選択される」という発言は、問題があるのでしょうか?
住民が選んだ首長、議会が選んだ教育委員が、藤原氏の書いた教科書を採用できないような世論を作り上げていくのが正しいのではないのでしょうか? 生徒の父母など、有権者に不信感を持たれるような、落選させられてしまうような決定をする首長、議員はいません。
我々の行為が、極秘情報を元にした不当な行為で、彼らの行なっている行為が合法的であるなら、歴史教育を重視していない人は、藤原氏に賛同します。実際、小林よしのり氏などは、そういう観点から我々の行動を批判しています。
貴方の言うとおり、公立の学校は、教科書採択権は学校、教育委員会に取り戻すべきであるという意見です。ということは、逆に、私立の学校に関しては、採択する自由があるのではないでしょうか? 親が学費を払ってまで入れたい、子供に教育を受けさせたいという学校の総意であるなら、扶桑社の教科書は採択するべきです。
しかし、我々は、この教科書を一部の私立でしか通用しない教科書にしていくために、正攻法で批判していく事が大切です。
この間の藤原氏の一連の行動は、歴史学者として間違った認識ではありながらも、教科書検定制度、教科書制作という意味では、間違いではありません。正当な手続きを経て教科書を採択するのであれば、その教科書は認めざるを得ません。我々も、正攻法で不採択を目指していきましょう。
最後に、私は、父母の反対で不採択に持ち込むように努力することの重要性に関しては、意見が一致しているので、これ以上の内容は省略します。また、藤原氏の持論に関する批判も、今回の本題ではないので省略します。