お久しぶりです。仕事が立て込んでしまいまして。
待子さんへ
革命に対する考え方は、残念ながら今は、党内でも一様ではないようです。前衛の概念をなくそうとしてみたり、革命を改革と言い換えようと必死になっているお方もいるようです。しかし、いずれにしても、革命とは、被支配者が支配者階級を打ち倒すという基本的な考えは一致すると思うのですが。生産力が増大するから、もっと労働者や、農民や、支配されている人たちが、自分たちの世の中を作ろうとしているのですから、自体が作るというあなたがマルクスから引用しているのは、同様の考えと思います。人民大学は私も参加しましたし、以前より、入党前から、前衛などは読んでいましたから、哲学的には、いろいろと勉強させていただきました。心の問題は難しいですね。自分で解決しろとでもいうようなニュアンスで、困ったことも何回もあります。自分のこともそうですし、他人の相談に乗っていても、科学的社会主義はこの面で弱点を持っていると思います。生き方の問題といわれることもありますが、人間の精神構造はそんなに簡単ではないことは、承知しています。
革命を自分たちの力で成し遂げて発展している国は、もうキューバとベトナム、そして、迷いながらも中国も入れておきましょうか。ユーゴスラビアは、結局パルチザンの星チトー亡き後、残念でした。期待していただけに。ソ連は、スターリンが、崩壊の序曲を奏でてしまったので、必ず崩壊すると見ていた人も多いようです。だからといって、日本共産党は、自主独立の路線を確立し、先進国での革命を、選挙戦で闘う中で、革命を実現しようとしています。夢のような話かもしれませんが、前例がないから、できないなんてことはないと確信しています。
IT、本来使うべき人が、忙しすぎる状況が作られてしまっているのだろうとしか考えられません。
ちょっと的外れだとは思いますが、いずれまた、議論したいと思います。
山本芳雄さんへ
小泉首相が森派会長としてというのは、職場の特に若い人たちを中心にして知らない人が多かったので、ちょっと触れておいたのです。田中外相を実現したから、田中派のなれの果てという人もいれば、ちょっとご年配の人は、中曽根元首相を思い浮かべたようです。そういうことであって、いずれにしても森前首相を支えていた事実に目をつぶってはならないことも事実だと思ったのです。
又、就任後の記者会見でも、自民党ができなかったことをするといっていたこともあり、タカ派的な色彩も強いので、とてつもない痛みだけが押し付けられるのはいやだなということです。
郵政事業の民営化で、いったいどうするのでしょうか。全国津々浦々まで、郵便局はあるし、身近な金融機関として、又郵便配達を通してのふれあいというか、そういうものもあると週間ダイアモンドか何かにも書いてありました。そして、住民票や、税金の証明なども取れるようにしたらいいというのも、もっともな意見ですし、付加価値をつければ、何も無理に民営化する必要もない、組織だと思います。国鉄が分割民営化され、今も賛否両論があるわけですが、JRになって、人減らし合理化の嵐の中で、駅員がいないために、新大久保駅の悲惨な教訓も生まれました。中央線も一時は、ダイアどおりに走った日がないといったこともありました。分割民営化の最大の理由が、赤字でしたが、赤字も、新幹線開業後に始まったものであり、かつては野球の球団も運営できたということは、企業経営としても、見習うべきものはなかったのかと思います。
郵便事業の民営化で、一番困るのは、国民でしょう。郵便が届いた届かないは、今は、会社などは、インターネットで文書のやり取りもありますから、事故にあうケースも減ってきています。しかし公務員をしている友人は、頭が痛い問題だと言っていました。郵便による住所や本人確認が、公共の郵便であるからできるのに、民営化されたら、守秘義務を初めとして事故対策に終われるだろうといっていました。
小泉首相は、改革への国民の腐敗しきった自民党に対する不満を取り込んだ形での、政治姿勢で高い支持率を維持しています。意欲は認めますが、前回も今回も書いたように、国民犠牲の改革では、何も解決しないということです。
ハンセン病など、連立与党の内部でも抱えている矛盾については、絵に描いたようなというのも、私の考えたとおりの結末になったからです。外国人参政権は先送りになりました。そこに、公明党との取り引きはなかったと断言できるでしょうか。人をハイエナ呼ばわりして、自分たちは何なのでしょうか。
都議選、参院選と大事な選挙が目白押しです。連立の矛盾をどう乗り越えていくか、又、わけのわからないビラを夜陰にまぎれて撒くのか、民主・自由・社民の3野党の無原則的な馴れ合いとの偽りの対決になるのか、それをマスコミがどう報道するか、見据えていく大事な時期です。日本共産党の躍進で、小泉政権の後ろに隠れている痛みを分かち合うものの正体を明らかにし、国民本位の政治の実現を目指していくことが、大切ではないでしょうか。