池田の事件は、容疑者の供述から、精神障害を装った犯行とも考えられますが、そうしたことをすること自体に、やはり精神障害なのかなと考えます。ただ、情報量が少ないなど判断できかねることも多いかなと思います。
さて、精神障害者も厳罰にせよとのご意見ですが賛成しかねます。あなたの周囲に、精神病・精神障害者・精神科のある人など、いませんか。あなたは、一連の日本共産党の見解に対し、ご不満なようですが、では、中央委員会として精神障害者への態度をいっぺんさせたら、ご満足でしょうか。見解が、そんなに皮相ですか。人間という複雑な生き物の精神病理学は、少しずつ学会でも理解されるように理論付けも行なわれているでしょう。だから、以前は、それこそ座敷牢のような部屋に押し込められていた精神障害者が、服薬とカウンセリングで徐々に開放処遇的なものに変化してきているのではないでしょうか。
それですべてがうまくいくというわけではないのが、一連の事件なわけですが、私も患者の手記が出版されていますから、以前に読みました。すべてがうまくいくわけではないのは、本人たちが一番よく知っているでしょうが、彼らは生きる望みを失っていません。
日本共産党が、深いジレンマに陥っているのは、精神障害者が、どんなきっかけで何をしてしまうか予想できない医学的な問題もあるし、かといって被害者の皆さんには、深い同情心を持ちつつ、両論併記的なために、あなたの目には、そう見えるのではないでしょうか。
教育が悪いというのは、自民党の教育行政の誤りの産物で、障害者も被害者もみな等しく被害者です。その面で、見ていますか、あなたは。科学的な根拠が、薄い場合に断定的に結論付けて迷惑をこうむるのは、社会復帰してまじめに暮らしている精神障害者が一番でしょう。事実、根も葉もないことに対して、患者団体などに脅迫や嫌がらせが続いているとの報道でも明らかであり、開放処遇の中で、がんばっている精神障害者にとって百害あって一理なしです。
あなたは、こうしたことを意見として中央委員会に提出するなり、声を出していますか。
もちろん、法の下の平等の下で、一定の罰則が必要な場合もあります。全否定をするつもりはありませんが、何か事件を起こしたときに、本人の民法上の意思能力を精神鑑定という形で、行なうことにまで疑問ですか。
社会システムの変化の中で、IT なども必ずみんなが使えるわけではありませんし、ドロップアウトで、ノイローゼになる人も出るかもしれません。そういう時、不安定な心理状態で、一般的でない言動があった場合、その人にどう接すればいいのでしょうか。
社会が病んでいるから、人間も病む、というわけではないですが、社会が病んでいると人の心も病む場合が多いことも、お考えいただかないと、被害者もそうですが、容疑者の家族、親族もいたたまりないでしょう。