「さざ波通信」(01.12.3) トピックス欄によれば、「皇太子妃の出産を受けて、衆参両院本会議で「賀詞奉呈」の議決に日本共産党が賛成することを決めたとのことです。皇太后死亡時の対応から、ある程度は予想されてはいましたが、これを読んで怒髪天をつく思いです。
昭和天皇が死んだときも、皇太后が死んだときも、どのチャンネルにまわしても、同じ映像ばかりであることにうんざりしていました。皇太子妃出産のときも、NHK教育テレビとBS2以外はすべて同じ映像の時がありました。仕方なくテレビを切ってしまいました。
こんな思いをしたのは、どうも私だけではないようでした。アサヒ・コム(01.12.4)によれば、以下のような報道があります。
ご出産特番、視聴率低迷 通常番組のテレ東がトップ(12月4日アサヒ・コム)
皇太子妃雅子さまが女の子を出産した1日の夜に民放各局が放送した特別番組の視聴率が伸び悩み、テレビ東京の通常番組が同時間帯でトップの視聴率を上げたことが3日、ビデオリサーチの調べで分かった。
各局とも午後に30分から2時間程度の特番を組んだほか、夜のゴールデンタイムにはそれぞれ2時間から2時間半規模の特番を組んだ。
NHK7時のニュースは16.3%(関東地区)で普段通りの視聴率だったが、民放の特番は日本テレビの9.9%(同)が最高と、いずれもふるわなかった。
一方、テレビ東京は当初の予定通り、7時から約2時間「土曜スペシャル」を放送。全国の旬のなべ料理を紹介するグルメ情報番組で17.5%(同)をあげ、NHKを含めた同時間帯で最も高い視聴率となった。(注)原文のまま。
市田書記局長談話の中で驚くべきは、「…我が党は今の憲法を守る限り、天皇制を認める立場で、賛成は自然なことだ」(さざ波通信トピックスより)というくだりです。「天皇制を認める???」。何ということをこの人は言うのでしょうか。
現行綱領には以下のように書いてあります。
現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、主権在民の立場にたった民主的平和的な条項をもつと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。
「天皇制は反動的なもの」であり、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」であると、現行綱領には書いてあるのです。ただちに、この人を書記局長はもとより、党のすべての役職から罷免して、初級教育を受けさせなければなりません。彼は、宮本顕治、不破哲三両氏に次ぐ史上最悪、最低の党幹部です。
もとより、個人だけの問題ではなく、改良主義、議会主義の行き着くところでしょうが、それにしてもこの幹部はひどい。ここまで堕落しては、非共産党系左翼からの批判、非難に抗弁のしようがありません。また、「皇太子妃出産」がマスコミで報じられているほど、また、国会内で持ち上げられるほど、国民の中に幅広い共感や祝賀の気持ちが存在してるわけでもないことは、先に引用した視聴率が物語っているでしょう。
ほとんど、国会議員や「なんでも賛成」の党幹部(彼らのことを佐高氏はかつて党畜と呼んだ。)に囲まれている不破、志位、市田の諸氏には社会の一般的な雰囲気さえ読みとれないのかもしれません。
天皇制が、民主主義の原理とは相容れないものであることは、まじめに民主主義を考える人ならば、誰も否定しません。そして、そういう人こそが伝統的な共産党支持者であったはずであるし、そういう人たちに支えられる共産党でなければなりません。
参議院選挙惨敗の総括が正しく行われていないことが、またまたこのような失策を招来しています。参議院選挙惨敗の基本的要因の1つが、政治路線の右傾化にあることは疑問の余地がありません。
規約改定案が議題となり、綱領改定も示唆した昨年9月の7中総を報じた記事の中で、朝日新聞(2000年9月20日)は「党のすそのを広げるには、柔軟路線に踏み切るしかない。だが、その路線を推し進めれば独白性は薄れる─そんなジレンマを抱えつつ、共産党は大きなかけに出たのかむしれない。」と報じています。
そして、その結果が参議院選挙惨敗でした。マスコミがつくりだした「世論」や国会内の多数に迎合することなく、少数であることを恐れず、闘うべき時に敢然と闘わずして、どうして支持が寄せられるでしょうか。
青年層の支持が激減していることの理由は、ここにもあると思います。たとえば、「民主主義の原理からすれば、なぜ国会が『賀詞奉呈』の決議をしなければならないのか」という少数派であることを恐れない立場からのラジカルな問いかけと、「新しい生命の誕生は等しく喜ばしい」(志位談話)とか「…我が党は今の憲法を守る限り、天皇制を認める立場で、賛成は自然なことだ」(市田談話)と比べてみたとき、どちらの見解が変革の立場に立つ青年をとらえることができるのでしょうか。私たちが青年のころ、日本社会党よりも社会的にははるかに抵抗感の大きかった日本共産党を選んだのは、そういう理由でした。「消費税を3%に」などという折衷主義的な政策、アメリカ帝国主義の世界支配に屈服する「武力制裁容認」、石原都政に対する是々非々主義など、味噌も醤油もソースも何でも混ぜて味付けをしたような「まあまあ主義的」な政治路線は、青年・学生層を引きつけるはずがありません。「高度に発達した資本主義国の一員としての左翼」であり続けようとする現在の党指導部の路線に青年が魅力を感じることはないでしょうし、民主主義の原理よりもマスコミがつくりだした世論や国会内のお付き合いに迎合する不破、志位、市田指導部に革命的勢力が結集することはあり得ないでしょう。
魚は腹わたから腐る。政党は指導部から腐る。不破氏は、日本共産党指導部を腐らせた人物として歴史に名をとどめるであろう。しかし、不破氏は革命的人民、党員から糾弾されてもがんばり続けることだろう。間もなく「勲××等○○章」のお声がかかるであろう。そして、皇居にてうやうやしく天皇から勲章を授かればよい。「日本共産党に天皇制を認めさせた」功績により。