乗っているバスの運転手が、行き先表示板と違う方向に行こうとしたとき、乗客は「そっちじゃないよ」というでしょうし、その権利もあるはずです。私がこのサイトに関心を寄せ、投稿しているのは、党が掲げている「共産主義」の方向へ着実に進んでいるか心配しているからです。
「話を変えていうと、企業で自分の会社の批判を公にしていたら、即、首です。それは、資本間の熾烈な競争をしているからです。政党でも同じです。」
と保坂さんは書いておられますが、このような考え方は危険だと思います。資本間の熾烈な競争と政党間のそれが同じというのであれば、なおさら検討し、批判することを恐れてはならないと思います。
そもそも、批判の自由を持たない人々に果たして民主的な感覚というのが養えるのでしょうか?
「多分、みなさん方は日々闘う必要の無い、言いかえれば、国家により保護されている、大学関係者や法曹関係の方々かもしれませんが」
何も根拠がないように思われます。
大学関係者は「軍学共同」の危険にさらされ、国立大では「独立行政法人化」の策動、私立大では年々進む少子化や国庫補助削減によりいつ何時自らの良心に背く研究をさせられるかわからない状況です。法曹関係者は抑圧されている人権を守るために、人権蹂躙を行なっている警察権力や弁護側の証拠や弁論を碌に聞かない司法権力と闘っています。
「堂々と中央委員会へ直接具申するとか、党内の会議で意見を出せばよいのではないかと思います。」
党内の会議だけで議論の時間が足りますか? 私は足りません。仕事が終わり、会議に出掛けても出てくるのは財政と拡大の話ばかりで(もちろん大事ですが)、党の政策について論議される時間もありません。ある日突然商業紙にすっぱ抜かれる政策についての説明もありません。(少なくとも私のところでは)会議でも議題に上らないので、意見も出せません。それでも、機関役員をつかまえて話をするのが現状です。しかしそれは正規の討論ではありません。チョットした「世間話」の域を出ません。
人民の期待が大きいければ大きいほど、私たちの党の政策が正しいものかどうか、誤っていればそれをどのようにすればいいのか考えるのが党員の義務です。
「単なる党中央盲従分子程度にしか思われないのかも知れませんが」
そんなことは思ってませんよ。
盲従分子というのは何も考えず、与えられたものが全てだと思い、自ら考えない人をそういうのでしょうから。
「日本の民主的変革にとってこのようなホームページの存在は「害悪」です。即刻閉鎖されることを切望いたします。」
私は反対です。譬えこのサイトが反共分子によって運営されていたとしても(管理人集団がそうでないと私は信じていますが)閉鎖には反対です。なぜならば、多様な意見の発露は民主主義の成熟度の重要なバロメーターだからです。
だからこのようなサイトがますます活発になることこそが私たちの党の多様な考え方の証明であり、引いては私たちの党の政策決定の透明度を引き上げるための良い方策であると信じています。