少しばかり感傷的な思いで投稿を読ませていただきました。
まず離党届の件について私の見解を述べます。離党の取扱について何か内規があるのかもしれませんが、その内容がどうであれ、「離党が承認された」ことを離党者に伝えることは社会常識からいって当たり前のことです。
しかし、現実には頑迷幹部氏のいうように、「今までもそんな事はした事がない」のかもしれません。私が知っている離党者からは「党から離党の承認があった」という話は聞いたことがありません。もちろんこれは最近のことではありませんが。
これらの背景には、離党者、除籍者などいったん党を離れた人を異端視、白眼視する宮本時代のなごりがあると思います。特に党を離れた理由が党の方針や政策に異論があった場合にはさらに露骨なのかもしれません。もういい加減にスターリン流の党の組織原則、党のあり方に決別すべきですが、これだけが中央幹部をつとめる人々の覇権を支える最大の支柱であるため、かたくなに変更しようとしません。
条件があるときには党を離れた人々とも、行動を統一して協力すべきことを、党の方針として明確にすべきだろうと思います。少々荒っぽい言い方をすれば、それほど党の壁にこだわることはないと思います。
必要な場合にはかつて党籍を有していた人々とも協力することが可能となるためには、党と党員であった人々との間に常識的な社会的関係を維持しておかなければならないわけですから、「別れ際」もそれにふさわしいものにしておかなければならないことは当然でしょう。せせこましい党の壁にこだわらないで協力関係を築き上げることが政治変革や社会進歩にとって有益であることは自明でしょう。
いずれにしても、グスコーブドリさんが離党の確認を希望されるならば、地区委員長や県委員長あてに手紙を書くとかして、その意思をお伝えになるのがよいでしょう。それでも何の音沙汰もなければ、親展で「拝啓志位和夫委員長殿」を出されたらいかがでしょうか。そこまでやって何の反応もないとは考えにくいのですが、もし何の反応もなければ、さざ波にその旨を公表されるのがよいでしょう。なぜなら、離党届を出した人にそのような対応をするということは非常識きわまりないことですから、党機関は社会的な批判を受けて当然であり、社会的な批判がなければこのような体質はなおらないからです。
グスコーブドリさんの初めての投稿を読んだのはずいぶん以前のことになります。そのとき、「ああ、まだこんな素晴らしい人が党内にいたのだ!」とある種の感慨に似たものをおぼえたものでした。私は日本共産党指導部に疑問を持つようになったのは大変に古いことですし、指導部の方針、政策が間違っている、と思うようになったのもそれほど近年のことではありません。しかし、そういう人の存在を信じていたからこそ、私は党にとどまっていましたし現在もなおとどまっているのです。
グスコーブドリさんの決断は熟慮と苦悩の結果であり、その人生における最大の決断の一つであったでしょうから、私はそれについて何も申し上げることはありません。
「自衛隊問題や天皇問題」等での信じがたい政策変更を行った党に対する支持拡大をすることに深い懊悩が伴わないはずがありません。自らの意に反することを長期間続ければ必ず心身ともに疲労困憊してしまいます。
離党することによって、「党員であることによる困難さ」からは解放されるでしょうが、「党をやめたことによる困難さ」があらたに出てくるでしょう。しかし、現行綱領確定後の日本共産党の歴史の中で、今日ほど党中央に厳しい批判的見解を持つ人たちが党内に広く存在した時代はありません。たとえばさざ波通信の存在がその証左です。ここには現役党員も、投稿内容を読めばまず間違いなく党籍があったと確信させる人も、党外の人も投稿しています。グスコーブドリさんも引き続き投稿されますように。
がんばってください。